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予定されていたダンスが終わると再び喝采が湧き起こる。
来賓に向かってお辞儀をしている間もエミリアの心中は穏やかではなかった。
どうして彼がヨシュア王子のふりをしているのか今すぐにでも問い質したかったが、衆目に晒されたこの状況ではそうもいかない。
どうしたものかとエミリアが思い悩んでいると、突然体が宙に浮いた。
あっ! と驚きの声を上げる暇もなく、気付いた時にはエミリアは横抱きに抱えられていた。
広間のそこかしこから黄色い悲鳴が上がるが、王子はそんな来賓の反応などどこ吹く風という表情だ。
「披露宴が始まったばかりではありますが、足を痛めてしまったようなので、私共は一度下がらせていただきます。どうぞ皆様は心ゆくまで宴をお楽しみください」
では、と短く言い残して王子が踵を返す。
主役二人が早々に中座を宣言したことに来賓の間には動揺が走った。
しかし示し合わせたかのように楽団が演奏を再開させると、歓談する人やダンスを楽しむ人が現れ始めた。
来賓の意識が主役の二人から逸れると、その隙に王子はエミリアを抱えたまま広間を抜け出した。
「あの、私足なんて痛めてませんけど」
だから降ろしてください。という気持ちを込めて見上げると、王子は悪戯っぽく笑った。
「もちろんわかっているよ。足を痛めたのは僕の方だからね。君、ダンス中三回も僕の足を踏んだろ?」
「あ、あああ、あれは! 不可抗力です! あんな頭が混乱してる状況でダンスなんてできる訳ないじゃありませんか!」
確かに足を踏んだことは申し訳なく思うが、その原因を作ったのは紛れもなく目の前のこの男に他ならない。
恥ずかしさと申し訳なさと怒りが入り混じって、もう何がなんだかわからない。
エミリアは顔を真っ赤にしながら言い募った。
「ごめんごめん。あれはあの場から抜け出す為の口実。どこに人の目があるかわからないんだし、もう少し我慢してよ」
ヨシュア王子そっくりの顔でウインクされてエミリアはグッと押し黙った。
横抱きにされたまま城内を歩くことしばし、バルコニーに出るとようやく降ろしてもらえた。
エミリアは周囲に人がいないことを確認すると、目の前の王子に詰め寄った。
「なんでヨシュア殿下のふりなんてしてるんですか、エドワード殿下!」
「はははっ、やっぱり驚いた?」
ヨシュア王子の兄にして、王太子であるエドワードは楽しげな笑い声を上げた。
「はははじゃありませんよ! 説明してください!」
「説明って言ってもなぁ……。あ、ていうか見て見て、どっからどう見てもヨシュアでしょ?」
エドワードは髪を掻き上げると、流し目をつかってきた。
「似てません……。ヨシュア殿下はそんなかっこつけたことしません」
「確かに。そういう柄じゃないか、あいつは」
「あの、殿下。髪と瞳の色はどうしたんですか?」
「あぁ、これ?」
そう言ってエドワードは顔にかかる金髪を摘んだ。
元々のエドワードの髪は鳶色で、普段は長い髪を後ろで一つにまとめている。瞳の色も深い青で、紫色ではない筈だ。
「髪の方は被り物。瞳の色は目薬で変えた。驚いただろう?」
さっきは咄嗟に似ていないと口にしてしまったが、さすがは兄弟。実際は非常によく似ている。
異母兄弟ではあるものの髪や瞳の色を変えただけでこうもそっくりになってしまうのか。
エミリアは心の中で驚嘆の声を上げた。
これだけ似ていると、おそらく広間に集まった来賓達には、エドワードが変装していた事実は気付かれていないだろう。
しかし言動や仕草は似ても似つかないので、変装した状態でエドワードに喋られると、顔はヨシュアなのに中身がエドワードという不可解な現象が発生している。
「そろそろ被り物は取られたらいかがですか?」
「なるほど、このエドワード様の御尊顔を拝みたいと、そういうことだな」
「いいえ、ヨシュア殿下のお顔でおかしな言動をしてほしくないだけです」
まったく、手厳しいな……とぼやきながらもエドワードは素直に金髪の被り物を脱いだ。
途端に鳶色の長い髪が溢れて背中に落ちる。男性にしては艶やかな髪が照明の光を浴びてキラキラと光って見える。顔にかかった髪を鬱陶しげに払う姿がまるで絵画のようにすら見えるから恐ろしい。エミリアは不覚にも見惚れてしまった。
そんなエミリアの視線に気付いてエドワードがほくそ笑む。
「へえぇぇ、やっぱり私の顔が見たかったんじゃないか」
エドワードは髪を後ろで束ねながら茶化した。
「ち、違いますよ! というか、そういう発言が駄目なんですよ! 台無しです!!」
「台無し? つまり黙っていれば良い男だと、そういうことか?」
「ちがっ、わないけど、違います!!」
「ははっ! どっちなんだよ」
話せば話すほどドツボにハマっていく気がしてエミリアは頭を抱えた。
エドワードはひとしきり笑うと、手摺りに背を預けて空を見上げた。
「……なんだ元気そうじゃないか」
「え?」
不意に優しい表情をみせたエドワードにエミリアは面食らった。
しかしすぐに先ほどまでの馬鹿みたいな遣り取りすべてが、彼なりの気遣いであることに気が付いた。
エミリアを取り巻く状況は当然王室も把握している筈だ。エドワードなりに心配してくれたのだろうか。
思わず涙腺が緩みそうになってエミリアはぐっ、と口を引き結んだ。
「どうして、ヨシュア殿下のふりなんてしていたんですか?」
「んー? どうしても来ることができない弟の代わりだよ」
来たくないではなくどうしても来ることができない、という言葉にエミリアは引っかかりを覚えた。
どういうことなのか追及したかったが、その言葉選びにすらエドワードの気遣いが散りばめられていたとしたら、なんて事を考えたら恐ろしくてできなかった。
「では、国王陛下もエドワード殿下が変装していることはご存知だったのですか?」
「いや、父上には言ってない。というか気付いてないと思う」
「えぇ!?」
エドワードは首を掻きながら、しれっと言ってのけた。
「で、でもエドワード殿下が参加していない時点でおかしいと思われるのでは……?」
「いやー、どうかな? 式典やら公務やらすっぽかすのはいつものことだし。まぁ、無断で欠席したことは、怒ってるかもしれないけど」
王妃との間に生まれた第一王子にして、次期国王でもあるエドワードは宮中では放蕩王子と呼ばれている。
彼が公務に不真面目であるが故にそのような呼び名がついてしまった。
それはエミリアもよくわかってはいる。うん、まぁ、わかってはいたが……。
「とんでもない人だな……」
「エミリアー? 声に出てるよ? 失礼だよ?」
「え、あっ、すみません!」
笑顔で指摘されてエミリアは慌てて口を押さえた。
危ない、完全に無意識だった。
「どうしてヨシュア殿下の代わりなんてしたんですか。もし会場でバレていたら大変なことになってましたよ?」
「だって婚約披露宴をすっぽかされたなんてお笑い種だし、そんなことになったら君泣くだろ?」
「なっ、かないって言いたいところですけど、そうですね。結構辛いです……」
エミリアは傷ついた顔をしているところを見られたくなくて項垂れた。
今日の披露宴にヨシュアは来なかった。
どんな理由があってのことかエミリアにはわからないが、ひと言の連絡すらなかった。
当然悲しいと思ったし、裏切られたような思いさえした。
それでもエミリアは自分にヨシュアを責める資格はないと思った。
なぜなら先に彼を裏切ったのはエミリアの方だからだ。
エミリア自身も知らなかったとはいえ、犯罪者の娘だとわかっていたならヨシュアもプロポーズなんてしなかっただろう。
「エドワード殿下は以前と同じように接してくださいますけど、私が犯罪者の娘であることになんとも思わないのですか?」
我ながら辛気臭い質問だなと、エミリアは自嘲の笑みを溢した。
一方訊ねられたエドワードはといえば、きょとんとした顔でエミリアを見下ろしていた。
別におかしなことは聞いていない筈なのに、驚いたような顔をされるとエミリアとしても困ってしまう。
聞くべきではなかったかなと後悔し始めたところ、こともあろうに鼻で笑われた。
やっぱり聞くんじゃなかった! と数分前の自分に腹を立てていると、妙に優しい口調で馬鹿だなぁという声が降ってきた。
「だって、君は君だろ。私の大切な幼馴染であることに変わりないよ」
「エドワード殿下……」
タリアの言った通りだった。
どんな出自であろうとも、大切に想い慈しんでくれる人は何があっても離れて行ったりしない。
エミリアは嬉しく思うのと同時に心が軽くなるのを感じた。
「まぁでも、君と婚約するのはヨシュアじゃなくて私だと思っていたから、惜しい気はするけどね」
エドワードはそう言ってエミリアの髪を梳いた。
夜空には美しい星が瞬き、遠くからは弦楽器の調べと歓談する声が聞こえてくる。そしてバルコニーでは着飾った男女が至近距離で見つめ合う。
これは、なかなかに心ときめくシチュエーションなのでは? なんてことを思いつつ、エドワードの妙に慣れた手つきにエミリアは嘆息した。
「いつもそうやって女性を口説くんですか?」
「んー? どうだろうね」
曖昧な言葉で濁しながらエドワードは微笑んだ。
「そうだ! 傷心中のエミリア嬢に私が助言をしてあげよう」
エドワードはわざとらしく手を打ち鳴らすと戯けた様子でそんなことを言い出した。
こういう話し方をする時は大抵碌なことがないので、エミリアは胡乱な目でエドワードを見つめた。
「おかしな助言なら結構ですけど」
「違う違う、マジなやつ」
エドワードは真剣な表情で言うのだが、それがまた非常に胡散臭い。
俗っぽい話し方も含めて一抹の不安を抱きつつも、エミリアは素直に耳を傾けた。
「今日は早く帰った方がいい。そう、今すぐにでも」
エドワードはそう言って門の方を指差した。
正門の前には馬車が一台停まっている。青薔薇の家紋が刻印されているところを見るにレブルス家のもののようだ。
披露宴の開始からまだ一時間も経っていない。帰宅するには早過ぎる時間だし、両親もまだ広間で国王夫妻と話をしている筈だが、なぜもうあんなところで待っているのだろうか。
「広間に戻ったところで煩わしい思いをするだけだろうからね。それならさっさと帰って休んだ方が精神衛生上健全ってものだろう?」
エドワードの助言は全くもってその通りなので遠慮なく聞き入れることにした。長居しないで済むのならそれに越したことはない。
「エドワード様がそう仰るなら今日はお暇させていただきます。お父様とお母様、それからタリアにも声を掛けないと」
「それなら私から声を掛けておくから、君は先に下に降りて待っているといい」
「分かりました。ありがとうございます」
エミリアはお辞儀をしてからエドワードに背を向けた。
しかし言い忘れていたことを思い出して、バルコニーから立ち去る前に、エミリアは一度振り返った。エドワードはといえば手に持っていた金髪を被り直している。
エミリアは構わず声を掛けた。
「あの、エドワード殿下」
「ん?」
「先ほどは足を踏んでしまい、申し訳ありませんでした」
「律儀だねぇ、君は」
エドワードは肩を竦めると、穏やかな笑みを浮かべた。
「良い夜を」
「はい。殿下も良い夜を」
今度こそエミリアはバルコニーを出て、馬車が待つ門へと向かった。