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 婚約披露宴というのは、幸せで胸がいっぱいになるような催しに違いない。その相手が心から好いた人ならば尚の事そうであろう。

 しかしエミリアの胸は今、別の意味でいっぱいになっていた。


「うぅ……吐きそう」


 壁に手を突くとエミリアは青ざめた表情で口元に手をやった。


「珍しいですね、馬車に酔われました?」


 タリアの言葉にエミリアは緩慢に首を振った。

 扉一枚隔てた向こう側には既に大勢の人が集まっており、歓談する声が聞こえてくる。


 この中に今から入って行かなくてはならないなんて。

 ヒソヒソと口元に手を当てて噂話なんてされようものなら、耐えられない。


 披露宴の前にヨシュア王子と話す時間を取れないか打診したが、忙しいことを理由に断られてしまった。

 婚約披露宴の当日だというのに会う暇もないほど忙しいというのは、一体どういうことなのだろう。

 避けられているとしか思えない。

 もはやどんな顔をして王子の横に立っていいのかわからなくてエミリアはドレスを固く握った。


「もうすぐ定刻ですが、遅いですねヨシュア王子」


「やっぱり避けられてるのかな」


 このまま現れなかったらどうしよう。不安が胸に渦巻いてエミリアは顔を俯けた。


「お嬢様」


 タリアに呼ばれてエミリアが顔を上げると、両頬を思いきり手で挟まれた。


「タ、タリア……。いひゃい……」


「下を向かない。確かに今は出自の件で色々と噂をされていますが、お嬢様本人が何か問題を起こしたり後ろ指差されるようなことをしたわけではありません。胸を張って、堂々としていればいいんです」


「ふぁかった、ふぁかったから、てぇはなひて」


 顔の形が変わるほど強い力で挟まれてはしっかり喋ることもできない。エミリアは情けない顔で懇願した。

 タリアは無表情にパッと手を離すと、打って変わって優しい手つきでエミリアの頬を撫でた。


「お嬢様の出自がどうであれ、本当に貴女を大切に想い慈しんでくれる方は何があっても貴女から離れて行ったりしません。逆に好都合ではないですか」


「こ、好都合?」


「今日の披露宴でお嬢様に対して向けられる視線は、そのまま彼らの本音です。敵味方がはっきりします」


 清々しいほど前向きなタリアにエミリアは呆気に取られてしまった。そんな風に物事を捉えることができたらどんなにいいだろう。

 タリアの強かさを羨ましく思いながらも、エミリアは伏し目がちに弱音を口にした。


「でもみんな敵だったら?」


「私がいます。それとも味方が私一人ではご不満ですか?」


 力強い言葉にエミリアは目を瞬かせた。

 そんなの聞かれるまでもない。


「いいえ、百人の味方よりもたった一人のタリアの方が何倍も頼もしい」


「それなら、もう不安に思うことなんてありませんよね」


 タリアは口の端を上げて笑った。


「今日の私はお嬢様の侍女ではなく、ルフェン伯爵令嬢として参加していますから先に会場に行きますが、暗い顔で入って来たら許しませんからね」


 タリアはにこやかな表情をしつつ手で拳を作って言った。

 それは、もし暗い顔して入場しようものなら殴るぞ、という脅しだろうか。いや、脅しではない、タリアなら殴りかねない。エミリアはタリアの右手に向かって何度も必死に頷いた。


 とはいえタリアも両親も先に会場入りしてしまい、王宮の侍従達の中に取り残されるとエミリアは心細くて仕方がなかった。

 刻一刻と時間は迫るが、ヨシュア王子が現れる気配すらない。

 気付けば披露宴開始三分前になっていた。流石に遅すぎる。腕時計を確認する侍従の額にも冷や汗が浮かんでいる。


 もしこのまま本当にヨシュア王子が来なければ、エスコート無しで会場入りすることになるのか。

 募る不安に心臓がバクバクと脈を打つ。もしそうなったとしても腹を括って入るしかない。

 堂々と顔を上げて。でないとタリアの鉄拳を喰らう羽目になる。


 開始一分前。侍従達の戸惑いが顔にも立ち居振る舞いにも現れる。しかしエミリアは目の前の扉だけを真っ直ぐ見つめた。


 ゴォーン、ゴォーン。

 披露宴の開始を告げる鐘が鳴る。


「開けてください」


 エミリアは側に立つ侍従に厳かに告げた。

 恐ろしくても一人で歩くしかない。

 薄く開いた扉の向こうから飾電灯(シャンデリア)の燦々とした光が漏れてくる。

 全身が光に照らされる寸前、唐突にエミリアは手を取られた。

 最初に驚きが、少し遅れて安堵と喜びがやってくる。


 自分よりも一回り大きい男の手に自分の手を重ねながらエミリアは会場に足を踏み出した。


 本当は隣を歩くヨシュア王子の方に顔を向けたかったが、グッと堪える。


 会場には五十人程の貴族が参加しており、登場した主役二人に視線が集まる。

 エミリアはエスコートを受けながら真っ赤な絨毯が敷かれた広間を進んだ。


 来賓との距離は遠く、幾分か緊張せずに済んだ。

 しかし中にはあからさまに嫌そうな顔をしている者も少なからずいる。そんな顔を向けられると良い気分はしなかったが、タリアの言葉と隣を歩くヨシュア王子のおかげで思いのほか気にはならなかった。


 ふと会場の隅に目を向けると人垣の中にタリアの姿があった。人が大勢いるから見つけられるか心配だったが、周りの令嬢達に比べて背が高くて目立つのですぐに気がついた。


 エミリアは嬉しくなって思わず頬が緩んでしまった。しかしそれとは対照的に、タリアは怪訝そうにエミリア達を見つめていた。


 タリアがそんな表情をする理由がわからず、何かおかしな点があるだろうか? とエミリアは自問自答した。

 緊張はしているが手と足が一緒に出てる訳でもないし、化粧もドレスもばっちり決まっているはずだ。

 唐突に不安が押し寄せて来たエミリアだったが、ふと不可解な光景が目についた。


 会場の正面奥は他より数段高くなっており、そこには椅子が三脚用意されている。真ん中の椅子には国王が、その右隣りには王妃が腰掛けている。しかし本来埋まっている筈の国王の左隣りの椅子が空席になっている。


 頭が混乱した状態のまま、エミリアは国王夫妻が待つ壇上にたどり着いた。

 主役二人が集まった来賓に向き直ると、国王が立ち上がり朗々とした声を上げた。


「皆、今日はよく集まってくれた。今宵、我が第二王子ヨシュアとレブルス公爵令嬢エミリアの婚約を宣言する。そして皆にもこれを祝福してほしいと思っている」


 宣言がなされると会場は大きな拍手に包まれた。

 割れんばかりの喝采を浴びながら再び王子にエスコートされてエミリアは広間の中央に立った。


 婚約披露宴のメインイベントは宣言後に行われる主役二人のダンスである。

 エミリアは王子と向き合うと、左手を肩に右手を王子の手に重ねた。

 ──あぁ、そうか。

 この日初めて正面から王子の顔を見たエミリアは、タリアの怪訝な表情と上座にできた空席の正体に気がついた。


 淡い金色の髪に、切れ長の紫の瞳。鼻筋の通った美しい顔立ち。よく似ているけれど、エミリアが慕うヨシュア王子ではない。


 え、何故? この人は一体何をしているの? 動揺が顔に出てしまったエミリアに王子が微笑む。


「やぁ、エミリア。流石に気付いた?」


「な、なな、な……」


 どうして王の隣に座っていなければならない人が目の前にいるのか、衝撃的過ぎて開いた口が塞がらない。

 驚きが喉元を通り過ぎると、エミリアは思わず声を出してしまった。


「エドワード殿、……!」


 しかし言い終わるよりも先に楽団の演奏が始まる。弦楽器の調べが広間に鳴り響くと、王子がグッとエミリアの背を引き寄せた。


「ダンスが終わるまでは我慢して。今ここでバレる訳にはいかないだろう?」


 悪戯っぽい口調で囁かれて、エミリアは心の中で叫び声を上げた。


 ──な、なにしてるのよ、この人はーー!!


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