20
「すぐに来れなくてすまなかった、ミア」
開口一番謝罪する父に、エミリアは首を横に振った。
「お父様、お母様の様子はいかがですか?」
「まだ少し不安定だが、だいぶ落ち着いたよ」
エミリアが椅子を勧めると、二人はテーブルを挟んで向き合う形で座った。長テーブルの上にはタリアが事前に用意してくれたティーカップが二つ、湯気を立てて並んでいる。
父の目元にはクマができ、目は虚ろだ。憔悴した様子から心労が伺える。思えば実子ではないと打ち明けられたあの日も、同じような顔をしていた気がする。
母はもちろんだが、父の方こそ倒れてしまわないか心配だ。
静まり返った部屋では、時計の秒針がチッチッ、と妙に大きな存在感を伴って時を刻む。
規則正しいその音を何百、いや何千回か聞いた後で父はようやく重い口を開いた。
「タリアに言われたよ。ミアを大切に思うのなら、ちゃんと話をするべきだと。大事だからこそ、嫌な思い、つらい思いをさせたくなくてお前を真実から遠ざけた。けれど今は、それが間違いだったと思っているよ」
父はエミリアに苦悶の表情を向けた。
「そんな顔をさせてしまうくらいなら、初めから包み隠さず話せばよかった」
父から発された深い後悔に満ちた声。
エミリアはそっと自分の顔に手を当てた。今どんな顔をしているのか、自分ではわからない。
エミリアは手元のティーカップに視線を落とす。並々と注がれた紅茶には、父と同じ表情をした自分が映っていた。
「私も同じです。お父様もお母様も、私を公爵家の娘として大切に育ててくれたのに、真実を知ってからは二人に自分の気持ちを伝えられずにいました。もっとちゃんと、遠慮せずに踏み込めばよかった。だって私達、家族なんですから」
エミリアが微笑むと弱々しくはあるが父も微笑み返してくれた。
「ミア。私は十六年前、子どもを入れ替えた。テレサの心を守るために」
「お母様の心?」
「あぁ。ソフィアという少女のことは知っているね?」
「はい。一目見た瞬間、彼女がお父様とお母様の本当の娘なのだとわかりました」
腰まで伸びた癖のある亜麻色の髪、目尻の下がった優しげな顔立ち、そして何より他に類を見ない瑠璃の瞳が公爵家の人間であることを雄弁に物語っていた。
エミリアの言葉に父は目を伏せると、自分たちの他には誰もいないというのに声を落とした。
「ソフィアはテレサの非嫡出子だ」
エミリアは父の言葉をすぐには理解できなかった。
非嫡出子。その言葉の意味は知っている。
しかしそれを両親とソフィアの関係に落とし込むのは容易でなかった。
ソフィア。彼女は母が父以外の男性との間に身籠った子どもということになるが、それにしては彼女の容姿は父レブルス公爵にもよく似ている。髪の色や目元の形などは特にそうだ。
そんなエミリアの動揺が父には手に取るようにわかったのだろう。父は視線を下に向けたまま言葉を続けた。
「ソフィアが私に似ているのもおかしな話ではないんだ。あの子の父親は私の弟だから」
その言葉にエミリアは「えっ!?」と思わず声を漏らしてしまった。
「弟って、西部のエミール叔父様ですか?」
エミリアの問いに父は緩慢な動作で首を横に振った。
その反応にエミリアはますます混乱した。
前レブルス公爵、つまりエミリアの祖父には息子が二人いる。
一人は長兄であり、公爵家を継いだ父。そしてもう一人は西部にある祖母の領地を継いだ次子のエミール。
ほかに兄弟がいたという話は聞いたことがない。
「私にはエミールの上にもう一人弟がいるんだ。ただ、もう一人の弟ダミアンは公爵家から除名されているから、ミアに話したことはなかったね」
除名されたもう一人の弟ダミアン。家系から除名など相当なことがあったに違いない。エミリアは顔を強張らせて父の言葉に耳を傾けた。
「ダミアンは父と反りが合わなくてね、頻繁に口論になっては私や母が仲裁に入っていた。昔から問題行動の多いやつだったけれど、私にとっては大切な弟の一人だったよ」
ダミアン。父はその名を呼ぶたび表情を曇らせた。
「テレサと結婚して間もなく、私は爵位を父から譲り受けた。それと同時に父と母はエミールとともに西部で暮らし始めて、公爵家には私達夫婦とダミアンが残った。ダミアンの素行の悪さは相変わらずだったが、父と離れた分、公爵家は以前より平和になったように思えたよ」
まぁ、それも私の勘違いに過ぎなかったのだがな、と父は自嘲した。
「公爵になった当時の私には、こなすべき職務が山のようにあって、家を空けることが多かった。そして仕事の為に私が南部へと赴いた時に事件は起こった」
父の声は重く沈んでいる。語る言葉の先に、母が半狂乱になってソフィアを拒絶した真実があると思うと、知るのが恐ろしく思えた。
「私が屋敷を留守にしている間にダミアンはテレサに手を出したんだ。それを知った私はダミアンを公爵家から除名して国外へ追いやった。愛する人に無体を強いた弟のことを、以前のように庇ってやれるほど私は聖人君子ではないからね。その結果生まれたのがソフィアだ」
「それじゃあ、お母様がソフィアを拒絶したのは……」
望まぬ行為の末できた娘を愛することができなかったからなのだろう。けれどもそれを声に出すのは憚られた。
言葉を飲み込んだエミリアに父は頷いた。
「テレサはソフィアを見ることも抱くことも嫌がっていたから、同じ屋敷で暮らせば二人とも不幸になるのは目に見えていた。どうすればテレサの心と名誉を守ることができるかを考えていたある日、国境地帯に住む友人がはるばる訪ねてきた」
父は手元からエミリアへと視線を移した。
「その人物こそ君の実母、カリルだ」
エミリアは目を瞬かせた。
「友人? お父様とカリル侯爵令嬢が、ですか?」
王家に最も近しい貴族の中の貴族である父と、冤罪の疑いがあるとはいえ、犯罪者であるカリル侯爵令嬢。友人と言われてもエミリアにはいまいち結び付かなかった。
「あぁ。といっても、カリルと親しかったのは私よりもテレサの方でね。二人は同郷出身で幼馴染なんだ」
繋がるはずのない二つの家。エミリアはようやくその接点を見つけた。
「カリルはテレサを心配して屋敷を訪ねて来てくれた。ソフィアと同じ月齢、同じ性別のお前を連れて。テレサはカリルが連れてきたお前を可愛がり、離そうとしなかった。それを目にした瞬間、私の心は決まったんだ。気付いた時には、カリルに頭を下げていた」
瞬間、父の顔から迷いと後悔が抜け落ちた。きっと、それを決断した十六年前も同じ表情をしていたのだろう。意識の外でエミリアはふと、そんなことを思った。
「愚かで残酷な提案だとわかっていたのに、それでもカリルは頷いてくれた」
親友同士だった、母とカリル侯爵令嬢。父が母を想うのと同じように、カリル侯爵令嬢にとっても母はかけがえのない存在だったに違いない。
「それがお母様の心を守る為の手段だったのですね。だから私とソフィアを取り替えた」
エミリアの言葉に父は重々しく頷いた。
「ソフィアはテレサとダミアンの容姿を色濃く継いでいたし、中でもあの瞳の色は嫌でもテレサを彷彿とさせる。周囲から真実を隠す為に、カリルはこの十六年、王都や故郷から離れた場所で暮らし、公爵家とも繋がりを絶ったんだ」
「え?」
父の言葉にエミリアは違和感を覚えた。冤罪という可能性を聞いた後だからか、それは鮮烈にエミリアの心に疑問を投げ掛けてきた。
「あの、お父様。カリル侯爵令嬢は、本当に十六年間、王都から離れていたのですか?」
「あぁ。さすがに用事があれば王都に来ることもあるだろうが、少なくともここ二年ほどは北のレムス領から出ていない。手紙のやり取りはしていたし、定期的にルフェン伯が様子を見に行っていたから確かな情報だよ」
「そんな……」
エミリアは色を失い、口元を押さえた。
「ミア、大丈夫か? 顔色が悪い」
腰を浮かせかけ案ずる父をエミリアは視線で押し留めると、青い顔のまま言葉を紡いだ。
「実は、カリル侯爵令嬢が冤罪かもしれないと、エドワード殿下からお聞きしたのです。今、お父様から話を聞いて、私もそう思いました。だって、カリル侯爵令嬢の不倫話も、人身売買事件も、全てここ一年の間に王都で行われたことです。レムス領から出ていないカリル侯爵令嬢がやったというのは無理があります!」
エミリアは立ち上がると、父に縋りついた。
「お父様、カリル侯爵令嬢は本当に悪女なのですか? 犯罪を犯すような人間なのですか? ずっと聞くのが恐ろしかった……。でも、知らないままじゃいけない気がするんです。どうか、どうか教えてください!」
「ミア……。お前を混乱させるよりはマシだと思って、彼女のことを伝えなかったのは完全に私の落ち度だ。カリルの名誉にも関わることなのに」
父は耐えきれずしゃくりあげるエミリアをあやすように、ポンポン、と背中を優しく叩いた。
「カリルは悪女なんかじゃない。昔も今も。彼女は強く、真っ直ぐで、友人想いの素晴らしい女性だ」
「それならどうして、悪評が国中に蔓延しているのですか?」
エミリアは幼子のように父の胸に顔を押し付けた。
「簡潔に言ってしまえば妬み嫉みだよ。カリルはとても美しい女性で、自分の気持ちをはっきり口にする女性だったから」
いつもうじうじと後ろ向きなことばかり考えている自分とは随分違うな、とエミリアは自嘲した。
「これはテレサから聞いたことだが、カリルは幼い頃からあることないこと吹聴されていたそうだ。しかもそれをわざわざ否定しないから、真実として広まっていったらしい。私がカリルと出会ったのは十八の時だけど、実際に話してみて、彼女が噂されているような人間でないことはすぐにわかったよ」
ミアと優しい声で呼ばれて、エミリアは顔を上げた。
「カリルは犯罪を犯すような人間じゃない」
父はエミリアの目を見て、言い聞かせるようにはっきりと口にした。
「君の中に流れるのは、友人想いの誰よりも優しい人の血だ。卑下したり、嫌悪したりするようなものじゃない。……もっと早く、いや、何よりもまず最初にこれを言ってあげなければならなかったのに……。ごめん、ごめんな、ミア……」
そう言って謝る父の目の端にも薄らと涙が溜まっている。
きっと、父も辛かった筈だ。いや、もしかしたら一番苦しんでいたのは、この人なのかもしれない。
戸惑いはあった。苦しかった。けれどもエミリアには、父に対する怒りなど一欠片もありはしなかった。
だから言葉の代わりにエミリアは父を抱きしめた。
「……彼女が人身売買事件に関わったことで死刑を言い渡された時、私とテレサは陛下に娘の入れ替えのことも含めて全てを報告し、カリルの潔白を訴えた。陛下は詳しく調査をすると仰ってくださった。そして代わりに提案されたのが、ヨシュア殿下とミアの婚約だった」
「エドワード殿下から伺いました。第二王子派を牽制する為の処置、ですよね?」
「そうか、そこまで聞いていたのか。あぁ、婚約を提案されたといっても、強制するつもりはなかったんだぞ。なによりミアの気持ちが大事だと思っていたから、その辺りに関してはお前に任せるつもりで……」
あたふたと慌てる父が面白くて、エミリアは笑みを溢した。
「もちろん、わかっています。殿下からの婚約を受けたのはちゃんと自分自身の意思ですか、ら……」
言葉を口に出した瞬間、なぜか脳裏にソフィアの顔が浮かんだ。中庭でヨシュアに名前を呼ばれた時、花が綻ぶように微笑んだあの子の顔が。
「ミア?」
父に呼び掛けられて、エミリアは何でもありません、と首を振った。
けれど心の中では、自分の中に芽生えた感情に戸惑いと嫌悪を覚えていた。
きっとソフィアはヨシュア殿下に恋心を抱いている。互いの生い立ちを聞いても、ソフィアに対しての負い目は消えない。
それでも、どうしても。ヨシュア殿下の隣を譲ることは、できそうにない。
エミリアはそっと左手の薬指の指輪に触れた。




