19
レブルス公爵夫人と同じ瞳の少女ソフィアの噂は、先日の一件以降、急速に広まった。
エミリアがそう感じる要因の一つが、周囲から向けられる視線だ。
直接何か言われるようなことはなくとも、廊下ですれ違う時などに探るような視線を向けられることが増えた。講師陣の中にも、エミリアを腫れ物のように扱う人が現れたくらいである。そんな中、以前と全く変わらないアマンダ女史の講義は、エミリアにとって安心できる数少ない時間だった。
「落ち着いたら、きちんと話す、か……」
講義後、エミリアは窓辺にもたれかかると、父の言葉を反芻した。
ソフィアが公爵家の本当の娘であることは疑いようがない。けれど母は、ソフィアを酷く拒絶した。そして父も、ソフィアには声すら掛けなかった。
自分とソフィアの入れ替えに、いったいどんな理由があるのか。はっきりとはわからないが、母のあの態度が関係していることは間違いない。
エミリアは左手の薬指にはまる指輪をそっと撫でた。
不安を感じるとそうするのが、いつの間にか癖になっていた。
ぼんやりと考えごとをしている間に日は沈み、外の景色は闇に溶けてよく見えなくなった。それでもエミリアは不明瞭な夜の闇へと視線を投げた。
いつもならあれをしろ、これをしろと指摘するタリアもこの日は何も言わなかった。
ただ静かにエミリアの為に部屋に灯りを入れ、食事や入浴の支度を整え、部屋の隅に控えている。
当たり前のようにエミリアの側にいるタリアだが、彼女が本来仕えるべき人は公爵令嬢のソフィアだ。
両親同様に、エミリアはソフィアから姉同然の理解者をも奪ってしまった。その事実がさらにエミリアの罪悪感を膨らませた。
停滞した空気を打ち破るようにコンコン、と乾いた音が響く。
花瓶の水を取り替えていたタリアは手を止めて扉へと向かった。
「殿下。どうされたのですか?」
殿下、という響きにエミリアは弾かれたように顔を上げて戸口を見た。
「やぁ、エミリア。今ちょっといいかな?」
片手を上げてそう呼び掛けたのは、エドワードだった。ほんの少しの期待が消えて、エミリアは力無く頷いた。
エミリアの態度にエドワードは苦笑した。
「少し、外で話そうか」
いつになく優しいエドワードの声音にエミリアは少しだけ、泣きそうになった。
タリアを部屋に残して二人がやって来たのは、王宮の中庭だった。噴水脇の椅子に並んで座ると、エミリアは空を見上げた。部屋から見た時は気が付かなかったが、今日は星がよく見える。
広大無辺な夜空を眺めていると、自分の存在などとるに足らないちっぽけなものだと思い知らされる。
美しい景色と静謐な空気に、ほんの少しだけエミリアの気持ちは軽くなった。
「ありがとうございます、殿下」
「ん? 何が?」
「私が落ち込んでいると思って、連れ出してくださったんですよね?」
「可愛い弟の、可愛い婚約者の為だからね」
エミリアが微笑むと、エドワードは満足そうな表情をした。
「あの、殿下。聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「殿下って、タリアのことが好きなんですか?」
明日の天気でも聞くように、エミリアはさらりと尋ねた。
エドワードは目を丸くしたかと思えば、これ以上ないほど優しい笑みを浮かべた。
「うん、そうだよ。彼女のことが好きなんだ」
やっぱり、あの日見たタリアへ向ける愛おしい表情は、エミリアの気のせいではなかったのだ。
女垂らしで、あちこちで浮き名を流している殿下の本命が幼馴染のタリアだったなんて。
とんでもない秘密を知ってしまった、とエミリアは目を輝かせた。
「ね、なんでわかったの?」
「それは、その……」
エミリアは俯きモゴモゴと口篭った。その顔をエドワードが横から覗き込む。
「おーい。なんで恋心を暴かれた僕より君の方が恥ずかしそうな顔するのさ」
「それは、だって。エドワード殿下の顔が……」
「僕の顔が?」
「その……、ヨシュア殿下が私に向けて下さるのと同じ顔を、殿下がタリアに向けていたからです……!」
エミリアは意を決して一息で言い切った。
こんなの、ヨシュアが自分のことをとても好いてると自慢しているようなものである。
婚約者なのだから問題ないとは思うが、自惚れていると思われても仕方がないだろう。
エミリアは真っ赤になると両手で顔を抑えた。
僅かな沈黙のあと、中庭にエドワードの笑い声が響いた。チラリと横目で見ると、肩を揺らして笑っていた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃありませんか!」
「いや、ごめんごめん。かわいいなぁと思って。……ふふふっ、そっかぁ、鈍感なエミリアにも気づかれたかぁ」
エドワードはそう言ってはにかんだ。
しかしどこか小馬鹿にしたような鈍感という響きにエミリアは口を尖らせた。
「私、そんなに鈍感ですか?」
「ごめんごめん。言うほどでもないか。僕がヨシュアに変装した時だって、君はすぐに気付いたもんね」
エドワードは子供扱いするようにわしゃわしゃとエミリアの頭を撫でた。
「タリアの方が、君よりよっぽど鈍いからね。僕の愛なんてちーっとも伝わらない。君がヨシュアの婚約者になったことを気遣われたくらいさ」
「それは殿下がいつも茶化した物言いばかりするからでは?」
エミリアが呆れ顔で告げると、エドワードは「そうかもね」と笑った。
エドワードはまるで脈がないかのように語るが、エミリアはそうは思わない。
エドワードといる時のタリアは楽しそうだし、食の好みも熟知している。エドワードに紅茶を淹れる時もタリアは何種類もある茶葉の中から殿下の好むものを迷わず選んでいた。
エドワードのことをどう思っているのか直接聞いたことはないが、憎からず思っているのではないかとエミリアは推測した。
そこでふと、エミリアの脳裏に閃くものがあった。
「あの、殿下? もしかしてこれってチャンスなんじゃありませんか?」
「というと?」
エドワードは興味深そうにエミリアを眺めた。
「だって、私がヨシュア殿下と婚約すれば、エドワード殿下は別の人を婚約者に選ぶことができますよね? 例えば、タリアとか」
エミリアの言葉にエドワードはおぉ、と目を見張った。
「当然、他にも候補者は上がるでしょうし、ルフェン伯爵が素直にタリアを王家に嫁がせるかは疑問ですけど、希望はありますよね」
エミリアの力説にエドワードは「素晴らしい!」と言って両手を叩いた。
「鈍感と言った先ほどの言葉は取り消すよ。まさしくその為に、僕もヨシュアも父上と取り引きをしたのさ」
「取り引き?」
「僕はタリアを、ヨシュアはエミリアをそれぞれ婚約者として迎えたい。けれども立場上それは難しくてね。実際君は僕の婚約者候補だった。けれど、それを打開する案がレブルス公爵の口から出てきたのさ」
「それって、もしかして」
「うん、君の想像通り。君の出生に関することだよ。君が公爵家の血を継いでいないことこそ、重要だった」
カドニアの貴族は政略結婚が主流。それは古くからの王侯貴族の血統を重んじるがゆえ。高位貴族であるレブルス公爵家の血を継いでいないばかりか、死刑囚の娘と知られれば、エミリアがエドワードの婚約者候補から外されるのは必然だった。
「でもそれなら、ヨシュア殿下の婚約者としても私は分不相応なのではありませんか? 私にも一応貴族の血が流れてはいますけど、それは犯罪者の母の血でもありますから」
「重要なのはそこだよ、エミリア」
「え?」
「言い方は悪いけど、ヨシュアの足枷として君に流れるカリル侯爵令嬢の血は必要不可欠だったんだよ。ほら、第二王子派のことは君も知っているだろう?」
エドワードを目の前にして、第二王子派のことを語るのはなんとも居心地が悪い。エミリアは困り顔で言い淀んだ。
「えぇ、その……、エドワード殿下ではなく、ヨシュア殿下を王位に就けたい人達のこと、ですよね?」
「そそ。でもさ、よぉーく考えてもみてよ。いくら王太子である僕が不出来だろうが、ヨシュアが僕を差し置いて王になったら隣国ミネシアとの関係は悪化するよ。最悪、戦争の口実を与えることになる。……ミネシアの姫が不当な扱いを受けたってね」
エドワードの母である王妃は大国ミネシアの出身。ミネシア国王から溺愛されてきた背景も考えれば、ありえない話じゃない。
戦争とまではいかずとも、経済制裁くらいは受けるかもしれない。
「だからこそ、第二王子であるヨシュアの元に、王妃として相応しいとはいえないエミリアを嫁がせることは、第二王子派の勢いを削ぐことに繋がると父上は判断したんだ」
「理屈はわかります。でもやっぱり乱暴じゃありませんか? 王族に犯罪者の娘が嫁ぐだなんて」
「うーん……。ねぇエミリア。これを僕の口から言うのは憚られるんだけどね」
エドワードは前置きをすると、いつになく真剣な表情でエミリアを見た。
「あいつは君の為なら、王族としての立場なんて簡単に捨てるよ。あいつの世界は君を中心に回ってるから」
それにね、とエドワードは続ける。
「そう悲観する必要はないよ。僕とヨシュアが父上とした取り引きの内容は、カリル侯爵令嬢の罪に関することだから」
「それって、どういう……?」
困惑するエミリアにエドワードは更に言葉を続けた。
「カリル侯爵令嬢だけどね、冤罪の可能性がある。それも高確率で」
一瞬、なにを言われたのかわからなくて、エミリアは言葉を失った。
「……冤罪?」
震える声でエミリアはエドワードの言葉をなぞった。
死刑執行が控えているというのに冤罪かもしれない? もしそれが本当なら罪のない人が、それも自分の生みの親が死んでしまうことになる。
それを理解した瞬間、エミリアは立ち上がり叫んでいた。
「それ、どういうことなんですか!?」
「エミリア、落ち着いて。今ここで騒いでも何の解決にもならないことはわかっているだろう?」
そうだ。その通りだ。頭ではわかっている。それでも動揺を抑えるのは至難の業だった。
だって、いつ刑が執行されるのかも、エミリアにはわからない。
どうして実母についてもっと知ろうとしなかったのだろう。知るのが怖いと耳を塞いでいたのだろう。やるせなさと後悔がエミリアを襲った。
「お嬢様」
呼ばれて振り返ると、そこには息を切らせたタリアがいた。
「タリア? どうしたの?」
「旦那様が、お嬢様にお話があると」
「お父様が……」
とうとう自分とソフィアの入れ替えについて、真実を知る時が来たのだ。エミリアは表情を強張らせた。
「今は応接室でお待ちいただいています」
「行っておいで。この話はまた今度にしよう」
エドワードに背中を押され、エミリアは頷いた。




