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母は悪役令嬢だった  作者: 春咲 司


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 王の住まいというだけあって王宮内は廊下でさえ美しい。

 壁には等間隔に絵画が飾られ、アーチ型の高い天井からは宝石のついたシャンデリアが煌めいている。


 応接間を出たエミリアは張り付けていた笑みを消すと、重々しい足取りで部屋へと向かった。

 よく磨き上げられた床は鏡面のように周囲の景色を写すので、俯いたエミリアの表情もはっきりと見える。

 思い詰めた自分の顔を床に見つけて、エミリアは華美なこの王宮を恨めしく思った。


 やっぱり、自分がいては話しづらいことなのだろうか。エミリアは小さくため息を漏らすと、足を止めた。

 タリアに話題を振られた時、退席する為のきっかけを作られたのだとすぐに気が付いた。

 レティの話を聞いた父は何か気にかかることがあるようだったし、部屋に入ってきた時も難しい顔をしていた。


 そういえば、父と母は彼女が王宮にいることを知っているのだろうか。

 エミリアは中庭で出会った少女のことを思い出して気が重くなった。

 父と母がエミリアを娘だと認めてくれたところで、自分たちによく似た愛らしい少女が現れれば、エミリアのことなど邪魔に思うかもしれない。

 いや、両親は優しくて愛情深いからあからさまに邪険にしたり、虐げたりはしないだろう。

 それでもきっと、情は湧くに違いない。


 そもそも本当に彼女の存在を知らないのだろうか?

 何か理由があって娘と公表していないだけで、実は定期的に会っているのかもしれない。

 今日だって陛下に謁見する為に登城したと言っていたが、本当にそれだけなのだろうか。


 一人で考えたところで答えがわかる筈もない。エミリアは頭を振って余計な考えを払い除けた。


 気を取り直して足を踏み出したエミリアは、先の方にある柱の影からドレスの裾がはみ出しているのを見つけた。

 誰かが隠れているようだが、なぜ廊下の柱に?

 すっかり日も暮れたこんな時間に子供がかくれんぼしているとは思えない。

 どのみちここを通らないと部屋には辿り着けないので、エミリアはそろそろと柱の横を通った。


 ちょうど真横を通り過ぎる時、あの独特なシナモンに似た香水の香りがした。つい興味本位で視線を柱の陰へ向けると、驚いた様に大きく見開かれた瑠璃色の瞳と目が合った。


 隠れていたのはソフィアと呼ばれたあの少女だった。つい先ほどまで彼女のことを考えていたエミリアはまさかこんなところで出会うとは思わず叫び出しそうになった。


 しかし声を上げるより先に柱の陰から飛び出してきた少女の手によって口を塞がれた。

 驚きのあまり固まるエミリアに彼女は静かに! と必死な様子で訴えた。

 エミリアがうんうんと何度も頷くと、少女はようやく口元から手を離してくれた。

 エミリアが言葉もなく立ち尽くしていると、少女はハッとした様子で勢いよく頭を下げた。


「ご、ごめんなさいっ! 私ったら誰かに見つかってしまったと思って、つい」


「あ、いえ、大丈夫です」


 エミリアがそう答えると、少女は何かに気が付いたようにまじまじとエミリアの顔を見た。

 愛らしい容姿と上目遣いの仕草に気後れして、エミリアは後退りしそうなったが、すんでのところで踏み止まった。

 至近距離で観察していた少女は「やっぱり!」と胸の前で小さく手を打ち鳴らすと、とろけるような微笑みを向けてきた。


「前に中庭でお会いした方ですよね?」


「あ、えっと、は、はい……」


 顔を覚えられていた事に驚きつつ、しどろもどろに答えると少女は笑みを深くした。


「その節はきちんとご挨拶もできなくて申し訳ありません。私、ソフィアと申します」


「ソ、ソフィアさん」


「堅苦しいのは苦手なので、どうかソフィアと呼んでください」


「あ、では、私のことはミアと」


 本名をそのまま名乗ることは気が引けて、エミリアは愛称を口にした。それがお気に召したのか、ソフィアは目を輝かせた。


「ミアですね! ここには友人もいないので、寂しい思いをしていたのですが、ミアと知り合えて私とっても嬉しいです」


 人懐こいソフィアの態度にエミリアはたじろいだ。

 正直、彼女の素性は気になるが、親しくなるのは少し怖い気がした。


「前に会った時も気になったのだけれど、ミアはどうして王宮に? あっ、もしかして王家に連なる方だったりするのかしら。だとしたら、わたし、なんて無礼なことを……」


「いいえ! 私は行儀見習いの為に滞在しているだけで、そんな貴い身分では」


「まぁ、そうなの?」


 エミリアは頷くと、ずっと聞きたかったことを尋ねた。


「えっと、ソフィアはどうして王宮に?」


「私? 私はヨシュア殿下のご厚意でここに置いてもらっているの」


「ヨシュア殿下の?」


 思いがけず飛び出した婚約者の名前にエミリアはつい反応してしまった。


「ええ。実は私、家庭環境が良くなくて。色々あって王宮で保護してもらってるの」


 そう語るソフィアの表情は淋しげで、エミリアは心を抉られるような感覚がした。

 間違いない。彼女こそ公爵家の本当の娘だ。そしてどういう因果か、カリル侯爵令嬢の娘として育てられたのだ。

 なぜ、ソフィアと自分の立場が入れ替わっているのだろう? 

 取り違え? いや、違う。ソフィアが産まれたのは産院ではなく公爵家だ。それにマーサからの手紙にも、産まれた女児は公爵家でひと月の間、なんの問題もなく健やかに成長したと書かれていた。

 偶発的な出来事ではなく、明確な意図があって娘を取り替えたとしか思えない。

 片や王子の婚約者、片や犯罪者の娘。本来なら逆であったはずの立場、ソフィアがいるべき場所に自分がいる。

 見知らぬ相手が明確に名前と顔のある相手に変わったことで、エミリアの中にある罪悪感はこれ以上ないほどに膨れ上がった。


「ねぇ、ソフィア。どうしてこんなところに隠れていたの?」


 これ以上、身の上話を聞くのは耐えられそうにないのでエミリアは話題を変えることにした。

 ソフィアは「あっ!」と思い出したように声を抑えるとエミリアの耳に口を寄せた。


「本当は私、こっちの南棟には入ってはいけないことになっているの。でも、どうしても会いたい人がいて。人目を盗んでやっとここまで来たの」


 王宮でそんな大胆なことができるなんて、とエミリアはソフィアの行動力に目を見張った。

 彼女が王宮でどの程度の権限を与えられているかは不明だが、エミリアと同じように客人扱いであったとしても規則を破れば罰せられるおそれがある。

 その危険を犯してでも会いたい相手とは一体誰なのか。


「それって……」


「ミア」


 エミリアの声は、後ろからやって来た母によって遮られた。振り向いた先にいる母の顔色はあまりよくない。それだけでなく声もいつもより弱々しく覇気がない。


「大丈夫ですか? もしかしてまた体調が?」


 エミリアが訊ねると母は苦笑した。


「少しだけね。でも歩いているうちに良くなってきたから大丈、夫……」


 母の声が不自然に途切れる。

 視線はエミリアを通り越して、その後ろに立つ人物へと向けられていた。


「お母様……?」


 呼び掛けたのはエミリアではない。

 肩越しにどこか半信半疑な声がそう呼び掛ける。


「お母様ですよね? 私です! ソフィアです!!」


 ソフィアは歓喜の混じった声音でそう言うと、エミリアの後ろから進み出て母へと手を伸ばした。

 危険を犯してでもソフィアが会いたいと切望した相手、それは母のことだったのだ。

 妖精のように美しいソフィアはやはり母にそっくりで、エミリアは途端に自分が異質なものに思えた。

 本当の母と娘の再会だ。喜ばしいことの筈なのに、なぜ寂しいと感じてしまうのだろうか。エミリアはドレスの裾をギュッと掴むと所在なさげに二人を見つめた。

 ソフィアの手が母に触れた瞬間、乾いた音が閑寂な廊下に響く。

 音の正体が手を払い除けた時に鳴ったものだと理解できたのは、母の絶叫を耳にした後だった。


「嫌っ!! 触らないでっ!!!!」


 美しい顔を引き攣らせながら放たれた言葉は、明確な拒絶だった。

 優しくて穏やかな母がこんな風に声を荒げるなんて。

 目の前で起こったことが信じられず、エミリアはただ呆然と見ていることしかできなかった。


「お、おかあ、さま……。ご、ごめんなさい。でも、わたし……」


 拒絶されてソフィアは困惑したようだったが、震える声でもう一度呼びかけた。

 しかしそれすらも母は容赦なく遮った。


「あなたなんて知らない、私の娘はミアだけよ!!!」


 これ以上はなにも聞きたくない、とでも言うように両手で耳を押さえると、母はその場に蹲ってしまった。

 エミリアは母に駆け寄ると歯の根が合わないほどに震える体を抱きしめた。


「お母様! 大丈夫ですから、ゆっくり息をしてください」


「あぁ、ミア。私のミア」


 どうしてこんなことに。

 エミリアは戸惑いながらも、子どものように縋り付く母の背中を優しくさすることしかできなかった。

 それから間も無く、バタバタと人の足音が近付いてきた。


「テレサ!!」


「お父様!!」


 血相を変えた父とタリアが廊下の先から現れた。

 それから少し遅れて、騒ぎを聞きつけた衛兵もやって来るとその場は騒然とした。 


「ミア、私が代わろう」


 父の申し出にエミリアは素直に頷くと、怯えた様子の母を預けた。


「大丈夫かい、テレサ。どうしてこんな」


 父は労わるように母を抱き寄せると、エミリアの肩越しに固まったままのソフィアを見た。

 父は僅かに目を大きくしたものの、すぐにソフィアから視線を逸らした。


「ミア、母様のことは私に任せなさい」


「は、はい……」


 不安を隠すことができずにいるエミリアに、父は沈痛な面持ちをした。


「落ち着いたら、きちんと話すよ」


 父は優しくエミリアの頬を撫でると、母の肩を抱いてその場から離れた。

 きちんと話す。そう言ってくれたのに、エミリアの心はざわざわと落ちつかなかった。


「お嬢様、私たちも参りましょう」


「え、ええ……」


 タリアに促され、エミリアは立ち上がった。

 そっとソフィアの方を盗み見ると、衛兵に囲まれた彼女は呆然と立ち尽くしていた。

 父母に拒絶されたソフィアにエミリアが掛けられる言葉などあるはずもない。

 気まずさからエミリアは俯きがちに横を通り過ぎた。


「お父様、お母様……。どうして……?」


 ソフィアの震えた声がエミリアの耳に鮮明に届く。エミリアは堪らず振り返った。耳を劈くようなあの拒絶がまるで自分のことのように感じられて胸が苦しかった。

 ソフィアは去って行く両親の背中を捉えたまま、微動だにしていなかった。

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