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レティを公爵家の使用人に預け王宮へ戻ってきたエミリアは休む間もなく身支度を整え、王宮南棟の応接間で両親を出迎えた。
部屋に入ってきた父の表情はどこか翳りが見えたが、エミリアの顔を見るや破顔した。それにつられてエミリアも自然と笑みを浮かべる。
両親と順に抱擁を交わすと、安堵と幸福感に包まれた。
「元気だったかい、ミア」
「はい。お父様とお母様もお変わりありませんか?」
「あぁ、変わらず忙しくて参っていたところだが、ミアの顔を見たら元気が出てきたよ」
「まぁ、お父様ったら」
悪戯っぽく言う父にエミリアはふふっ、と笑みを溢した。最初に見た翳りのある表情が気にかかったが、普段と変わらぬ父の物言いにホッとする。
「ねぇミア。少し痩せたんじゃない? 講義はつらくはない? 本当に大丈夫?」
母が心配そうにエミリアの顔を覗き込む。
美しい瑠璃の瞳に見つめられてエミリアの脳裏にソフィアと呼ばれた少女の顔が過ぎった。二人に再会した今、やはり彼女の容姿は愛する両親にそっくりだと思い知らされる。
エミリアは不安な胸の内を悟られぬよう、明るい調子で答えた。
「覚えることがたくさんあるので大変ですが、なんとか頑張れています」
「ほんとうに?」
心配性の母が念を押す。
エミリアは笑顔で頷くと安心させるように母の手を握った。
「本当です。それに今日は気分転換にと、タリアが街に連れ出してくれたのですよ」
エミリアが話を振ると、横で聞いていたタリアは無言で頭を下げた。
「そうね、タリアが側にいてくれるのだもの。心配するようなことはなかったわね」
母はようやく安心できたようで表情を和らげた。
「タリア。ミアの為にいつもありがとう」
いえ、とやはり謙遜するタリアだったが、その表情はどこか誇らしげだ。
両親との会話には花が咲き、数日間しか離れていなかったにも関わらず、話題が尽きることはなかった。
応接間が笑い声で満ちる中、「そういえば」とエミリアは発した。
「今日屋敷に戻った時に、レティが通行人の男性に飛びかかったんです」
「飛びかかった!? 相手に怪我はなかったのかい?」
父は目を剥くとエミリアとタリアの顔を順に見る。
父の反応に言葉足らずだった、とエミリアは慌てて言葉を紡いだ。
「はい、お怪我はされていませんでした。レティったら屋敷の者にするのと同じようにその男性に甘えていたんです」
「レティが……?」
父は信じられないといった様子で呆然と呟くと母と顔を見合わせた。
母も同じような表情で本当に? と疑問を口にした。
エミリアもそうだが、レティという愛犬がどういう性格なのかをよく理解しているからこそ、今回の件には驚かされた。
実際に現場を目にしていなければエミリアも真偽を疑うほどである。
「ミア、その通行人の男性というのはどんな人だった?」
神妙な顔で父に尋ねられてエミリアは困惑した。
たしかに驚くべきことではあるが、まさか追及されるとは思ってもみなかったからだ。
エミリアは「えっと……」と言って男の姿を思い出す為に目を閉じた。
「歳はお父様とそう変わらないくらいで、異国風のお召し物を着こなしていらっしゃいました。それから物腰が柔らかい感じの方でしたよ」
父は顎に手をやると考え込むように視線を落とした。
いったい何がそんなに気になっているのだろう。疑問に思って訊ねようとした矢先、タリアが口を開いた。
「お嬢様、旦那様と奥様に渡したい物があるのではありませんか?」
タリアの言葉にエミリアは「あっ!」と声を上げた。
街でお店を見て回っていた時に素敵なカップアンドソーサーを見つけて購入したのだ。
大の紅茶好きである両親への贈り物である。
今日のうちに渡すつもりだったというのに、バタバタしていてすっかり忘れていた。
「お父様、お母様、実は街でとっても素敵な品を見つけたんです」
「素敵なもの?」
思案から一転、父の意識がエミリアへと向く。
エミリアは笑みを深くすると椅子から立ち上がった。
「はい! あ、何を買ったのかはまだ秘密です。実際にお見せしたいので。部屋に置き忘れてしまったので取ってまいりますね!」
エミリアはそう言い残してそそくさと部屋を出た。
応接間に残された公爵は眉をハの字にしてタリアを見た。
「今のは少しわざとらしいんじゃないか?」
「旦那様こそ、お顔に出ていらっしゃいましたよ」
タリアの指摘に公爵は苦笑した。
「ミアにも不審に思われただろうか?」
「まず間違いなく」
だからこそ強引に話を逸らしてエミリアを退室させたのだ。とはいえエミリアも馬鹿ではない。退室するよう促されたことなど承知の上で出て行ったに違いない。
申し訳なく思いつつも、すべては知り得た情報をエミリアに渡すため、と自身に言い聞かせた。
「駄目だな、わたしも。余裕がなくなるとすぐにこれだ」
落ち込む公爵の背を夫人は元気付けるように軽く叩く。二人が顔を見合わせる仕草に本当に仲睦まじい夫婦だとタリアは思った。
カドニアの貴族はほとんどが政略結婚だ。それはタリアの両親や国王夫妻も例外ではない。
しかしこのレブルス公爵の場合は稀に見る恋愛結婚であり、それも相手である公爵夫人はほとんど権力を持たない地方貴族だったので当時はかなり騒がれたらしい。
歳を重ねても良好な関係を保っている公爵夫妻の姿が、タリアの目には羨ましく映った。
「タリア。さきほどミアが話していた通行人の男は異国風の服を着ていたというが、彼は他国の人間だったのかい?」
「いえ、おそらくカドニア人かと。衣服は確かにクレタ風の幾何学模様が施されていましたし、髪も瞳もカドニアにはあまりいない色をしていましたが、言葉に訛りがありませんでしたし、そもそも容姿についてはある程度細工をすることが可能ですから」
髪は染めればいいし、瞳の色も目薬で変えることが可能だということはエドワードが婚約披露宴の時に証明している。
「そうか」
タリアの言葉に公爵は深い溜め息をついた。
その表情は暗く沈んでいる。
「思い過ごしであればいいのだが、なんだか嫌な予感がする」
公爵が顔を曇らせる原因がなんであるのか、タリアにはわからなかった。公爵に忠誠を誓う父や、跡取りである弟であれば事情を知っているかもしれない。
しかしタリアはルフェンの人間でありながら、公爵家ではなくエミリア個人に向ける想いの方が強い。
父もそれをわかっていて、タリアには情報を共有しないのだ。
それは今回エミリアが王宮へ行くことになった経緯を伏せられたことによってはっきりとした。
本来であれば、タリアはレブルス公爵の不利益になるようなことや望まないことをしてはいけない。
それはルフェン家の掟に背く行為だからだ。
タリアとてそんなことはわかっている。自分が公爵家の問題に首を突っ込むのは分不相応なことだと。
しかしエミリアの不安そうな顔を見るたびに思うのだ。当事者であるはずのエミリアを尻目に事態が進んでいくことの恐ろしさと、大切にするあまりエミリアを尊重できていない公爵への腹立たしさを。
エミリアが聞けないのなら、タリアが尋ねるより他にない。父には余計なことをするなと叱られるかもしれないが知ったことではない。
ちょうどいい機会を得たと意気込むタリアだったが、向かい側に座る夫人の顔色の悪さが目についた。
血の気の失せた顔で自らの腕を掻き抱く姿は、何かに怯えているように見える。
異変に気付いた公爵が夫人の震える肩をそっと抱いた。
「テレサ、大丈夫かい?」
夫人は囁くような声で「ごめんなさい、大丈夫です」と答えたが、とても平気なようには見えない。
結局夫人は口元に手をやるとよろよろと立ち上がった。
「少し、外の空気を吸ってまいります」
「あぁ、行っておいで」
公爵の言葉にタリアは腰を浮かせかけた。
あの状態の夫人を一人にしていいのだろうか。
「よろしいのですか?」
部屋を出て行く夫人を見送ったタリアは思わず口に出していた。
「今は一人にした方がいい。私が行っても逆効果にしかならないし、王宮の中で滅多なことは起きないだろう」
そう言って公爵はやるせない表情で天を仰いだ。




