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母は悪役令嬢だった  作者: 春咲 司


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15/21

15

 楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。

 公爵邸へと向かう馬車の中、エミリアは過ぎゆく時間を惜しんだ。


 街を出歩くのは随分と久しぶりのことだったが、人目が気になって小さくなっていたのは最初だけで、気付けば街歩きを堪能していた。


 気分転換に付き合ってあちこち歩き回ったレティはといえば、エミリアの膝に頭を乗せてすやすやと可愛らしい寝息を立てている。

 窓から差し込む斜陽がレティの白い毛を眩い橙色に変える。

 エミリアは起こさないようにそっと愛犬の体を撫でた。


「気持ちよさそうに眠っていますね」


 馬車の向かい側に座っていたタリアは目を細めて言った。


「レティにとっても外へお散歩に行くのは久しぶりだったから疲れちゃったのかも」


 レティは散歩好きな大型犬ではあるが、公爵邸の庭を歩くだけで満足する。

 高齢であることに加えて警戒心が強く、屋敷の人間以外に懐かない狂暴な性格なので外に連れ出すことは滅多にない。


「街中は人も多いし、吠えたりするかもって心配だったけど、良い子にしてくれててよかった」


「年の割には活発ですけど、もうお婆ちゃんですからね。昔と比べると随分大人しくなりましたよ。だから今日一緒に街に連れていっても大丈夫だと思ったんですけど」


「そうよね、もうお婆ちゃんなのよね」


 エミリアは膝を枕にして眠る愛犬の顔を覗き込んだ。

 今は真っ白な毛をしているレティだが、元は白に近いクリーム色の犬だった。加齢に伴い色が抜け、今ではまつ毛に至るまで雪のような白になっている。


「お嬢様、足痺れてませんか?」


「大丈夫よ。それに、もう少しこの重みを感じていたいから」


 エミリアと同じ十六歳。同じ時を生きてきた筈なのに、あっという間にこの子は老いてしまった。

 あとどれくらいこの子と一緒にいれるだろう。


 感傷的な気分になったエミリアだったが、すぐに別のことが頭を(もた)げた。

 エミリアの産みの親であるカリル侯爵令嬢。彼女の処刑はいつ執行されるのだろう。

 自分にとっての母は十六年育ててくれたお母様だけだ。けれどお腹を痛めて産んでくれたカリル侯爵令嬢のおかげで、エミリアは今こうして生きていられる。


 許可が降りるかはわからないが会うべきなのだろうか。

 だが、彼女は悪女だ。残忍な犯罪者だ。

 実際に会って、彼女が噂以上に悪辣な人物だったら、きっと今以上にエミリアは自分に流れる血が恐ろしくなる。

 けれど刑が執行されれば、二度会うことは叶わない。

 時間は有限だ。ましてや彼女は死刑囚。悩んでいられる猶予はあまりないだろう。


 そんなことを考えているうちに、馬車は公爵邸へと到着した。馬車の揺れがおさまると、ようやくレティが頭をあげた。大きな欠伸をすると、自ら椅子から降りて馬車の扉が開くのを待った。


「それじゃあお嬢様、私はレティを屋敷の者に預けて参りますのでこちらお待ちになっていてください」


「あ、待って。私も行くわ」


 レティの手綱を握って馬車を降りようとするタリアをエミリアは慌てて引き留めた。


「屋敷のみんなに会いたいし、ジェフリーにもクッキーのお礼を言わなくちゃ」


「構いませんけれど、あまり時間は取れませんよ。旦那様達と会う前に着替えを済ませる必要がありますから」


「大丈夫、長話はしないから」


 そう言ってエミリアはレティの手綱を受け取り馬車を降りた。二週間振りの公爵邸を前にしてエミリアは頬を緩ませた。

 何日も空けていた訳ではないのに、こうして目の前に立つと帰ってきたのだと実感して安心する。

 屋敷の門を潜ろうと歩き出したエミリアだったが、右手に持った手綱がピクリとも動かずつんのめった。


「レティ? どうしたの? 帰るよ」


 声をかけてもレティは屋敷とは反対の方へ顔を向けたまま反応しない。鼻をひくつかせて、じっと何もない通りを眺めている。

 なにか様子がおかしい。不審に思いエミリアが正面に回り込もうとした瞬間、レティは唐突に走り出した。

 その拍子に手綱がするりとエミリアの手から抜けて、放たれた弓矢のように走って行く。

 突然のことだったので側にいたタリアにも捕まえることはできなかった。


「レティ! 待って! レティ!!」


 エミリアの静止も虚しく、レティは曲がり角の先へと姿を消してしまった。


「お嬢様、レティがどうなさいました!?」


 少し遅れて御者台にいたハンスがひょっこりと顔を出した。しかし悠長に説明している時間があるはずもなく、エミリアとタリアは慌ててレティの後を追った。


 もし誰かに危害を加えてしまったり、逆にレティが危ない目にあったらどうしよう。

 なぜもっときちんと手綱を握っていなかったのかと、エミリアは自分を責めた。


「うわあぁぁぁ!!!」


 レティが走って行った先から男の悲鳴が上がった。

 尋常ではないその声にエミリアの心臓は嫌な音を立てた。

 息を切らせながら角を曲がると、レティが通行人の男に馬乗りになっている姿がエミリアの目に飛び込んできた。


「レティ!? だめよ! 離れなさい!!」


 エミリアは真っ青になりながらレティと押し倒された男に駆け寄った。

 先に辿り着いたタリアが男からレティを引き離そうと手綱を引く。しかしレティの力は凄まじく容易には引き剥がせない。

 全身から血の気が引いていく感覚がしてエミリアは目眩がした。

 レティに潰された状態の男はくぐもった声を発しながら抵抗するように手足をばたつかせている。

 なんとかしてレティを退かさなくてはと焦るエミリアだったが、あろうことかタリアは手綱を引く力を緩めて一人と一匹を見下ろした。

 傍観している場合ではないのにとエミリアは困惑したが、すぐにその理由に気が付いた。

 たしかにレティは通行人の男に襲い掛かっている。襲い掛かっているのだが……。


「やめ、やめてくれ。ふ、っは、ははは」


 下敷きになった男の声に笑いが混じっている。

 まさかと思いレティに目を向けると、男の顔をこれでもかと言わんばかりに舐めていた。

 屋敷の人間以外には決して懐かないレティが見ず知らずの男に甘えている。それも熱烈な愛情表現で男が窒息しかけるほどに。


 エドワードですら毎日のように通い詰めてようやく吠えられなくなったところだったのに。

 信じられない光景にエミリアは目を疑った。


「レティ、いい加減離れなさい」


 見かねたタリアが巨大を抱えて引き離す。最初こそジタバタと腕の中で暴れていたレティだったが、遂にはキューン、キューン……と甘えるような声を出して男の方を見た。


「はぁ、助かった……」


 我に返ったエミリアは慌てて男を助け起こした。


「申し訳ありませんでした! お怪我はありませんか!?」


「ええ、大丈夫です。突然のことだったので驚きはしましたが」


 男は上着のポケットからハンカチを取り出すとよだれだらけになった顔を拭った。

 目元の皺や手に浮き出た血管の感じからして、おそらく四十代半ばくらいだろう。幸い怪我はなさそうだが、見るからに仕立ての良さそうな服が土で汚れ、肘の部分が破けている。

 やってしまった……! 

 エミリアは叫び出しそうになるのをグッと堪えると重ねて謝罪の言葉を口にした。


「当家の飼い犬が失礼いたしました。お召し物はこちらで弁償いたします」


「いえ、ちょうど買い替えようと思っていたところなのでお気になさらず。それに犬は嫌いではありませんから」


 男は優雅な動作で立ち上がると身なりを整えた。

 異国風の幾何学刺繍が施された上着に、絹のシャツ。ボトムスはカドニアで流行りの細めの作りで、足元はシックな革靴を履いている。どうやら香水を使っているようで、男からはシナモンに似た独特な香りがした。

 衣服は一目見ただけで質が高いとわかる上に、香りにまで気を使っている様子からして、お洒落好きな人物であることは容易に想像がついた。


 お気になさらず、とは言われたものの「そうですか」とは言えないし、そんな気持ちにもなれない。

 しかし男は本当に気にしていないようで、レティの頭を撫でると「この後用事がありますので」と言い残し颯爽と歩き去ってしまった。

 無理に引き止めることもできずエミリアとタリアは男の背を見送ることしかできなかった。


「行ってしまいましたね」


「ええ、本当に悪いことをしたわ」


「それにしてもレティが公爵家以外の人間に甘えるなんて驚きました」


「私もよ。今までこんなことなかったのに。もう、どうしちゃったの、レティ。駄目じゃない」


 エミリアは膝を着くとわしゃわしゃとレティの頭を撫で回した。するとその拍子にレティの口から何かが落ちた。舗装された路面にぶつかってカツンッという音を鳴らしたそれは液体の入った小瓶だった。

 異国風の幾何学模様が彫られた瓶で、思わず飾っておきたくなるほど綺麗な形をしている。

 タリアはすかさずそれを拾いあげると軽く中身を振った。瓶の蓋を開けてみると、先ほどの男からしたのと同じ独特な香りが漂ってきた。


「おそらく東方クレタ由来の香水だと思います。さっきの男性のものでしょうね」


「レティ!? 盗っちゃったの!?」


 エミリアの問いにレティが困り顔になる。

 追いかけようにも男は既に雑踏の中に紛れてしまい、探し出すのは困難だった。


「お嬢様方〜! 大丈夫ですか?」


 途方にくれていた二人の元へハンスが駆け寄ってきた。


「なかなか戻って来ないので心配しましたよ」


「遅い」


 タリアは気遣うハンスを一瞥すると短く吐き捨てた。


「それはこっちのセリフですよ。そろそろ王宮に戻らないと、面会時間に遅れてしまいますよ」


 ハンスの言葉にエミリアは「あぁっ」と嘆きを口にした。周囲を見回せば街は黄昏れの中に溶け込み、街灯が灯り始めている。


「お嬢様、人探しは私の方で手配しておきますから、とりあえずレティを屋敷に預けて王宮へ戻りましょう」


 タリアの言葉に頷き、エミリアは王宮へと急いだ。

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