14
印象深い出来事というのは深く心に刻み込まれて、何年経っても色褪せることはない。その当時の景色、感情、声音、呼吸の速さ、全てが鮮明に思い出せる。
きっと誰にだってそういう、忘れられない瞬間があるだろう。もちろん、エミリアにもある。
あれはそう、屋敷の中が世界の全てだった四歳の頃。母の膝の上で絵本を読んでもらっている時、エミリアは気が付いた。
母の瞳は家紋の青い薔薇と同じ色をしていて、下から覗き込むとキラキラと金色に光って見えるのだ。
それが信じられないくらい綺麗で、絵本そっちのけで釘付けになった。
「お母様のおめめはキラキラしてて宝石みたい! いいな〜、エミリアもお母様とおんなじがいいなぁ」
純粋な羨望だった。ただただ、自分も母と同じ瞳が欲しかった。その言葉が人を傷付けるなど思いもしなかったし、むしろ母に憧れることは喜ばれることだろうと思っていた。
けれど母がエミリアに向けたのは、悲しげな表情だった。一度口を引き結んで何かを堪えるような顔をした後、エミリアを抱き締めた。
「かわいいかわいい私のエミリア。世界で一番、あなたを愛しているわ」
抱きしめられているから母の表情はわからなかった。
それでも震える母の声音から、言ってはいけないことを口にしてしまったのだと気が付いた。
それから、自分とは違う瞳の色も髪の色も、羨ましいとは口にしなくなった。
思えばこの頃から、自分が母と似ていないことを自覚しながらもあえて気付かないようにしていた気がする。自分が両親と血の繋がりがないのだと告げられるまで、無意識に深く考えることをやめていた。
だからソフィアと呼ばれた少女を目の前にした時、エミリアは頭を殴られたような衝撃を受けた。
やっぱり自分は母とは似ても似つかないのだと、突き付けられたようだった。
あれからうまく眠れない日々が続いている。
エミリアはベッドから這い出ると、チェストに置かれた手鏡を拾い上げた。
恐る恐る覗き込めば、どこかやつれたような顔の自分が映る。ここ最近の中でも一二を争う不細工だ。見るに耐えず、エミリアは溜め息とともに手鏡をひっくり返した。
「今日も眠れなかったんですか?」
水桶とタオルを手に部屋にやってきたタリアは開口一番そう訊ねた。
朝の挨拶より先に出る言葉がこれなのだから客観的に見てもひどいのだろう。エミリアはベッドの上で膝を抱えて座り込んだ。
「お化粧でなんとか誤魔化せるかな?」
「善処します」
迷いのない返答にエミリアは笑みを溢した。
タリアがこう言ってくれるのだ。こんなに頼もしいことはない。
講義を受けるだけならそこまで見た目に気を使う必要はないのだが、今日は少々勝手が違う。講義は一日休みで、夜には両親と会う約束をしている。
なんでも陛下に謁見するらしく、エミリアと会うのはそのついでだ。
顔を合わせるのは二週間振りになるが、やつれた姿を見せて心配をかけることだけはしたくなかった。
「お嬢様、せっかくなので少し気分転換でもしませんか?」
「気分転換?」
「ええ、気分転換です」
さぁ、支度して行きましょう。とエミリアは半ば強引にタリアによって部屋から連れ出された。
詳しい説明もないままタリアの背を追っていたエミリアが辿り着いたのは城門だった。
普段より軽装な上にツバの広いボンネットを被せられたので、もしかしたらとは思ったが外出するつもりらしい。
休みはもらったものの勝手に王宮から出てもいいのだろうか。不安から足取りが重くなるエミリアだったが、心情を察してか斜め前を歩いていたタリアが振り返った。
「外出許可なら取ってありますから心配いりませんよ」
相変わらずタリアは抜け目ない。
それに引き換え、自分はなんて不出来なのだろう。
勉学や行儀作法は嫌というほどやってきたのでそこまで引け目に感じることはない。
ただそれ以外のことはてんで駄目駄目だ。
こうやって悪い方向にばかり考えてしまう思考回路も大嫌いだ。
エミリアは頭を振って暗い気持ちを追い払った。
せっかくの気分転換なのに、余計暗くなっては元も子もない。
視線を前に戻すと、門の横に人が立っているのが見えた。黒のオーバーコートに鍔つき帽、レブルス家の御者ハンスだった。
ハンスはエミリアとタリアに気が付くとブンブンと大きく片手を振った。
そして降ろしたままのもう片方の手には手綱が握られいる。しかし繋がれた先にいるのは普段彼が仕事を共にする馬ではなく、公爵家の愛犬レティだった。
「ハンス! それにレティも!!」
驚きと嬉しさが同時にやってきてエミリアは顔を輝かせた。嬉しさのあまりタリアを追い越して駆け寄ると、レティは千切れんばかりに尻尾を振ってエミリアを出迎えた。
相変わらず老犬とは思えないほど溌剌とした動きで戯れつくと、エミリアの手や顔を舐める。
「ふふっ、くすぐったいわ、レティ」
あんなに色々と悩んでいたのが嘘のようにエミリアの心はふっと軽くなった。
タリアとハンスは顔を見合わせると、表情を和らげた。
「喜んでいただけたようでなによりです、お嬢様」
そう言って鍔付き帽を脱いで頭を下げるハンスの表情はにこやかだった。
「ハンス、わざわざ連れてきてくれたの?」
「旦那様方を王宮にお送りするついでにレティも乗せて来てくれと、タリア様から頼まれまして。レティもお嬢様がいなくなられてからは寂しそうでしたからね」
ようやく落ち着きを取り戻したのか、レティはエミリアの足にぴったりとくっついて座った。
「そっか、ごめんねレティ」
愛犬のふわふわとした毛並みに顔を埋めると、エミリアはそっと呟いた。
レティは満足そうにワフッっと、一声吠えるとエミリアに寄りかかる。レティの温もりと重みが心地よくて、エミリアは目を細めた。
「タリア、いつもありがとう」
「お礼を言われるようなことはありませんよ」
相変わらず素っ気ない返答だが、エミリアは首を横に振って否定した。
「ううん、そんなことない。今回のこともそうだけど、ジェフリーに言ってお菓子を作ってもらったりとか。私、タリアにもらってばかりだわ」
「私は手配をしただけであって、レティを連れてきたのはハンスですし、お菓子を作ったのもジェフリーですから」
しかしタリアは頑として感謝を受け取ろうとしない。どうしたらちゃんと気持ちが伝わるだろうかとエミリアが思案していると、ハンスが隣に腰をおろして耳打ちした。
「あれは照れ隠しですよ。素直じゃないんです」
「ハンス?」
すかさずタリアに嗜められるとハンスは「なんでもありませんっ」と言ってエミリアから距離を取った。
「さぁ、せっかく天気も良いですから街へ遊びに行きましょう! ぐずぐずしてたら時間がなくなってしまいますよ!」
ハンスは離れたところに停めてあった馬車に駆け寄ると、早く早くと手招きした。
遠巻きにそれを眺めていたタリアは嘆息するとエミリアに手を差し出した。
「まったく、調子がいいんだから。私たちも参りましょう、お嬢様」
「うん」
なんだか子供の頃に戻ったような気分でエミリアはタリアの手をとった。




