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母は悪役令嬢だった  作者: 春咲 司


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 夜半、ベッドに潜り込み眠りにつくまでの僅かな時間。一人になると、ふと考えることがある。

 何不自由ない暮らしと、優しい両親、屋敷の使用人達、愛する人。

 なんの不満もない幸せに満ちた人生を送れているのは、本来これを享受する筈だった人の居場所を奪ったからなのだと。

 レブルス公爵家の娘として誕生した本物の公女は、今頃一体どんな日々を過ごしているのだろうか。


 見も知らぬ彼女が幸せであれば、この胸の内に巣食う罪悪感から逃れることができるのだろうか?


 夜になるとどうしても不安になる。

 だから目を閉じた後は、マーサからの手紙に綴られた優しい言葉を思い浮かべる。


 そして祈る。早く朝が来ますようにと。


 ******


 エミリアが王宮に来て更に一週間が過ぎた。相変わらず朝から晩まで講義を受ける忙しない日々が続いている。

 しかし予定に追われているうちは余計な事を考える暇がないので、それだけは唯一の救いである。


「お嬢様、この後の講義はダンスです。そろそろ別室に移動しないと、間に合いませんよ」


「あ、もうそんな時間?」


 タリアに急かされて壁掛け時計に目をやる。講義の開始まで五分をきっていた。


「わっ、どうしよう! 時間ギリギリ!」


「ほら、さっさと行きますよ」


「ねぇ練習用の靴って」


「もう持ちましたから」


 タリアに背中を押されながらエミリアは部屋を出た。

 南棟二階に与えられた客室から一階のホールに移動するには中庭の通路が近道だ。

 エミリアはタリアと並んで中庭に面した回廊を歩いた。

 大理石の回廊からは、中庭の中心に鎮座する噴水と迷路のような生垣が見える。

 生垣を形成するのは王妃が特に気に入っている白薔薇で、今日も美しい花を咲せている。


「いつ来てもここは変わらないね」


 幼い頃、王子二人の遊び相手として王宮に招かれた時はよくここで四人で過ごした。

 エミリアはかつてと変わらぬ懐かしい景色に目を細めた。


「そうですね。エドワード殿下が掘った落とし穴に通りかかった内務卿が見事に落ちて、怒られていましたね」


「うわぁ、そんなこともあったね。関係ない私達まで穴を埋めるの手伝わされたっけ」


「この頃から既にエドワード殿下は碌でなしでしたね」


 怒らせると恐いことで有名な内務卿に大目玉を食らって半泣きになっていたエドワードを思い出し、エミリアはふふッと笑みを溢した。


「ねぇ、穴を掘ったのって確かあの辺りじゃ……」


 そう言って噴水の横を指差した時、視界の端で金色の髪が横切って行くのが見えた。

 気のせいだろうか。エミリアは指を差したまま、その場に立ち尽くした。


「お嬢様? どうされました?」


 怪訝な顔をしたタリアに肩を叩かれてエミリアはハッと我に返った。


「あ、その、ごめんなさいタリア!! 講義は少し遅れるって先生に謝っておいて!!」


「お嬢様!?」


 エミリアは制止しようと伸ばされたタリアの手をすり抜けると、中庭へと駆け出した。

 気のせいなんかじゃない! たしかに生垣の方に歩いて行く人影が見えた。そしてその髪は陽を受けて輝く見事な金色だった。


 ──ヨシュア殿下!


 話せなくてもいい。ただ姿を見るだけでもいい!

 エミリアは入り組んだ薔薇の迷路に足を踏み入れた。


 入り口部分は左右と正面、三つに道が別れている。

 たしか人影は右側に見えたはず。

 エミリアは迷うことなく右へ歩を進めた。

 しかし数歩も行かぬうちにドンッと何かにぶつかった。


「きゃあっ!?」


 すぐ目の前で誰かの悲鳴が上がる。目を開けると、少女が地面に座り込んでいた。


「ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」


 エミリアは慌てて少女に手を差し出した。


「いえ、私の方こそ不注意で、申し訳ありません」


 少女はエミリアの手を取ると優雅な所作で立ち上がった。


「あの、お怪我はありませんか?」


 申し訳なさそうに訊ねる少女の顔をはっきりと目にした瞬間、エミリアは言葉を失った。

 腰まで伸びた癖のある亜麻色の髪、目尻の下がった優しげな顔立ち、独特な瑠璃色の瞳は光を反射して濃い青の中に金色の粒がキラキラと輝いて見える。


 愛する両親の容姿を足して半分に割ったような、可憐な少女。

 エミリアは目の前の少女から視線を逸らすことができなかった。


「ソフィア!!」


 聞き慣れた男性の声がして、放心状態になっていたエミリアは、ビクリと肩を震わせた。あんなに会いたいと思っていたのに、どんな顔をして会えばいいのかわからない。

 だって今目の前にいるこの少女は……。


「ヨシュア殿下!」


 ソフィアと呼びかけられた少女は花が綻ぶように笑った。

 あぁ、この表情。恋する乙女の顔だ。


 エミリアは直視できずに俯いた。

 近付いてくる足音が恐ろしくて堪らない。

 せめて、挨拶はしないと。いくら婚約者でもヨシュア殿下は王族なんだから、無視するなんて不敬だ。

 でも今は……。逡巡の後、少女が後ろを振り返っている隙にエミリアは生垣の陰に身を潜めた。


「ソフィア、南棟には入らないようにと言ったじゃないか」


「ごめんなさい、迷子になってしまって。それでこの方に、って、あら?」


「どうした?」


「いえ、なんでもありません」


「行こう、部屋まで送るよ」


「ありがとうございます、殿下」


 去って行く二人の足音をエミリアは体を小さくしながら聞いていた。

 ソフィア。彼女は一体何者で、ヨシュア殿下とはどういう関係なのだろう。

 殿下に名前を呼ばれた時の彼女の顔が脳裏に焼きついて離れない。殿下は、どんな顔をして彼女と話していたのだろう。不安ばかりが大きくなる。


「あ、講義……。行かなくちゃ」


 こんなところで座り込んでいる場合ではない。

 エミリアは動揺で震える体を叱咤して立ち上がった。


「お嬢様!」


 薔薇の迷路を出たところでタリアの声が飛んできた。

 普段冷静なタリアのものとは思えないほど切羽詰まったその声にエミリアは驚いた。


「タリア……」


 呆然と名前を呼ぶと、タリアは慌てた様子で駆け寄ってきた。


「急に走り出すからびっくりしたじゃありませんか!」


「ごめんなさい」


「別に怒っているわけじゃ……。お嬢様、そのドレスどうなさったんです」


「え?……あ」


 タリアの視線を辿ると、ドレスのスカート部分が泥だらけになっていた。隠れた時に地面に座りこんでしまったので、その時に汚れたのだろう。


「あ、ちょっと、座った時に汚れちゃったみたい。でもちゃんと講義は受けるから安心して」


 ソフィアという少女のことも、胸のうちに渦巻く不安も今はまだ知られたくなくて、エミリアは笑った。

 うまく笑えているかはわからないし、誤魔化せているかも正直怪しい。エミリアはこれ以上追及されないように、半ば強引に話を切り上げ歩き出した。


「さ、行こうタリア。あんまり待たせたら先生にご迷惑をかけてしまうわ」


「……そうですね」


 何か言いたげなタリアの視線にエミリアは気付かない振りをした。

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