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「殺されるかと思った……」
紅茶を一気に飲み干すとエドワードは青い顔をして言った。
「すみません。イラッとしてつい」
ぐったりと項垂れるエドワードに、タリアは腕組みして見下ろしながら謝罪した。心がこもっていないのは明白である。
「つい、イラッとで殺されかけたら堪ったもんじゃありませんけどお嬢さん?」
情けない声で主張するエドワードだったが、タリアはそっぽを向いて完全にこれを無視した。
エドワードが余計なことをしてタリアに怒られる、幼い頃から変わらない見慣れた光景。
側から見ればくだらないやりとりだが、エミリアにとっては心安らぐ時間だった。
疲れているからだろうか? 二人を眺めているだけで自然と笑みが溢れてしまう。
「まぁまぁ、殿下。お茶もう一杯いかがですか?」
「ありがとう、いただこうかな」
「タリア、淹れて差し上げて」
エミリアは膨れ面をしたタリアに微笑みかけた。タリアは無言で固まっていたが、結局はティーポットを手に取った。
「……仕方ありませんね」
渋々といった様子で戸棚から紅茶の缶を選ぶと慣れた手付きで用意する。
「なんだかんだ言って、エミリアの言うことは素直に聞くんだよなぁ」
お茶を用意するタリアを眺めながら、エドワードは「はあぁぁぁ」っと長い溜め息を吐いた。
くたびれた様子で頰杖をつくエドワードが面白くてエミリアはふふっと笑みを溢した。
「そうでもありませんよ。面倒臭がりだし、弱音を吐けば容赦なく怒られるし」
「ははっ、たしかに。タリアは他人の機嫌を伺ったりしない、まっすぐな性格だからね」
「はい。一見横暴にも見えますけど、タリアは私の一番の理解者で家族同然の大切な存在です」
「うん、わかってるよ。羨ましいなぁ、僕なんて彼女に振られっぱなしだからね」
そう言ってタリアを眺めるエドワードの表情は穏やかで、どこか熱を帯びている。
これとよく似た表情をエミリアは見たことがある。
そう、ヨシュアがエミリアに微笑みかけてくれる時と同じ顔だ。
あれ? もしかして、とエミリアは目を瞬かせた。
不躾かもしれないし、自分の勘違いかもしれない。
それでも芽生えた疑問の答えが知りたくてエミリアは隣に座るエドワードの横顔を凝視してしまった。
「あの、エドワード殿下って……」
「彼女ほど優秀な人材は他にいないからね。引き抜きできないのは残念だよ」
黙っていられずエミリアが声を掛けるのとほぼ同時にエドワードが悄然と項垂れた。
「はえ?」
思っていたのと違う言葉が聞こえてきて、エミリアは間抜けな声を上げてしまった。
「ん? どうかした、エミリア」
「えっ、ま、まさか、ジェフリーだけでなくタリアのことも狙ってらしたんですか!?」
慌ててエミリアが問い詰めると、エドワードは面食らった様子でエミリアを見つめ返してきた。
しかしそれもすぐに意地の悪い含み笑いに変わった。
「そりゃあ、優秀な人材は何人いても困らないからね」
「絶対あげませんよ!!」
エミリアはエドワードに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。しかしエドワードは笑みを崩さない。それどころかエミリアの反応を楽しんでいるようだった。
「いつもの冗談に決まってるだろう? かわいいなぁ、もう」
「揶揄わないでください!!」
「なに暴れてるんですか、埃が立ちますよ」
ティーポットを片手に戻ってきたタリアに早速注意されてしまいエミリアは渋々椅子に腰掛けた。
エドワードはタリアからティーカップを受け取り一息つくと、さもたった今思い出したかのようにわざとらしく「あぁ!」っと声を上げた。
「エミリア。君の王宮での滞在期間だけどね、正式に決まったよ」
そういえば王宮には、しばらく滞在と曖昧な言い方をされていた。
この息苦しい生活がいつまで続くのか大変気になるところである。
「いつまでですか?」
「今日からちょうどひと月」
「ひ、ひと月ですか……」
思いのほか長い。思わず口が引き攣ってしまった。
「え、もしかして講義つらかったりする? アマンダ女史がエリミアのことを物凄く褒めていたけど?」
「えっ!? そ、それ本当ですか?」
紅茶を飲もうとしていたエミリアは驚きのあまりカップを落としそうになった。
「本当本当。彼女が人を褒めるなんて珍しいことだから驚いたよ。僕も幼い頃はアマンダ女史から色々なことを学んだけれど、毎回小言を言われていたからね。凄いよエミリア」
エドワードはいたく感心したようで、腕を組むとうんうんと何度も頷いた。
「殿下のことだから講義も聞かずに寝ていたのでは?」
タリアに胡乱な目を向けられてエドワードは「酷いな」と仰け反った。
「五割は起きていたよ」
「五割は寝てたんじゃないですか」
「まぁ、僕のことはいいんだよ」
エドワードは逃げるようにタリアから視線を逸らした。
「私、アマンダ女史には嫌われていると思っていました」
エミリアの脳裏に先ほどまでの講義の様子が思い出される。会話は必要最低限、ニコリともせず、淡々と進んでいく講義。
他分野の講師が和気藹々としている分、どうしてもアマンダ女史は冷淡に映り、嫌われているように感じてしまうのだ。
「うーん……、彼女ね、眼鏡してるだろ? 近眼と老眼の両方に悩まされているから焦点を合わせるのにどうしても睨んでいるような目になってしまうんだよ」
「じゃ、じゃあ嫌われている訳では……」
「ないね。むしろ気に入られている方だよ」
「な、なぁんだぁ……」
無駄に緊張しながら講義を受けていたと知り、エミリアは脱力した。
それにしても、褒めるなら他人に言わず本人に直接言ってほしい。そうすればおかしな誤解もせずに済んだのに。
「まぁ、彼女口下手なだけだから、ビクビクする必要はないよ」
「エドワード殿下」
「ん?」
エミリアはエドワードの方に向き直ると頭を下げた。
「いつも尋ねてきて暇なんだろうな、とか思っててすみませんでした。感謝してます」
「ちょっと待ったエミリア。真顔でお礼言うのはやめて。本気で傷つくから」
「殿下の心情は置いておいて、お嬢様の滞在期間がひと月に決まったのは何か理由でもあるんですか?」
「君はほんとに僕の扱いが雑だな」
「何か問題でも?」
「いいえ、滅相もありません」
タリアが笑顔で握り拳をつくるとエドワードは慌てて首を横に振った。
「えーっと、滞在期間の理由だっけ? 実は西方のクレタ王国から大規模な商談を持ちかけられていてね、使節団が王宮に滞在するんだ」
「商談、ですか?」
エミリアが小首を傾げるとエドワードは頷いた。
「そ、商談。クレタは鉱物資源が豊富な国だろう? 鉄鉱石やら宝石を優先的に我が国に輸出する代わりに、新しい鉱山の開発事業の出資を求められているってわけ。ひと月後にクレタの使節団を王宮に招いて夜会を催すんだけど、エミリアにはヨシュアのパートナーとしてそれに参加してほしいんだ」
「あ、だから色々な分野の講義を受ける必要があったのですね」
学問や礼儀作法のみならず、流行の劇やファッションまで学ばなくてはならない理由がようやくわかった。
「そうそう、外国の使節団が来るとあっては幅広い知識が必要になるからね。勉強ばかりで申し訳ないけれど、使節団の人とも話す機会があるだろうからよろしく頼むよ」
「あの、エドワード殿下。パートナーを務めるのはよろしいのですが、その……」
ヨシュアは来てくれるだろうか? 婚約披露宴以降、未だにヨシュアには会えていない。
もしかしたらまた、変装したエドワードと夜会に出ることになるのではないか。
エミリアはどうしても不安だった。
エミリアが言い淀んでいると、その気持ちを察したのかエドワードがポンポンと優しく肩を叩いた。
「大丈夫、今度はちゃーんとヨシュアが出るから。前みたいなことにはならないよ」
「そうですか……。あの、ヨシュア殿下は今何をしてらっしゃるのですか? 忙しくて会えないと言われているのですが、私にも何か手伝えることはないでしょうか?」
「その気持ちは大変素晴らしいけど、エミリアは講義に集中すべきじゃないかな? それが一番ヨシュアの為になることだと思うよ」
ヨシュアのことは気掛かりだが、こればかりはエドワードが正しい。
「そう、ですよね。まずは自分のことをどうにかしないと。すみません、エドワード殿下」
「なぁに謝ってんのさ。まぁ、ヨシュアに会えない間は僕がちゃんと会いにくるから。そしたらほら、寂しくないだろ?」
「あ、いえ、それは別に。殿下も公務頑張ってください」
「わぁ、エミリアってば取り付く島もないんだから」
エドワードは「お菓子と紅茶、ご馳走様〜」と言って素直に部屋を出て行った。
エミリアは閉じた扉を見ながら机を片付けるタリアに声を掛けた。
「ねぇ、タリア」
「はい?」
「ヨシュア殿下が忙しいのはわかっているけど、エドワード殿下が暇そうに見えるのは私の気のせいかな?」
「……そうですね、気に食わないですよね」
タリアは少し考える素振りを見せた後、ポツリと呟いた。
「えっ!? 気に食わないとは言ってないよ!!」
なかなかに圧の強い言葉が出てきたのでエミリアは慌てて否定した。
「お嬢様、私急用を思い出しましたので、少々失礼いたします」
「え、あ、ちょっと、タリア!?」
言うが早いか、タリアは返事も待たずに部屋を出て行った。机の上にはティーセットが散乱している。
次の講義まで時間がないので、散らかしたままにはしておけない。
仕方がないのでエミリアはティーセットを片付けることにした。落として割らないように細心の注意を払って茶器を重ねる。
片付けが丁度ひと段落ついたところでコンコンッと部屋の扉が叩かれた。
もうタリアが戻って来たのだろうか?
エミリアは早足で扉に向かった。
「タリア? 早かった……って、あ、ごめんなさい」
タリアに違いないと決めつけて扉を開けたエミリアだったが、立っていたのは王宮の侍女だった。
「エミリア様宛にお手紙が届いておりましたのでお持ちいたしました」
エミリアは差し出された手紙を受け取り裏面を確認した。差出人は侍女長のマーサだった。
もう返信がきた。
見たいような見たくないような複雑な気持ちがする。
エミリアは部屋に戻って棚からペーパーナイフを取り出すと、手紙の封を切った。




