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流行りの「悪役令嬢」をテーマに書きました。
色々な人物の思惑が見え隠れする群像劇のようなものにするのが目標です。
そんなに長編にする予定はないので気軽に読んでいただければ幸いです。
よろしくお願いします。
自分を産んだ女が世間を騒がす極悪非道の侯爵令嬢であることを知ったのは、想い人からプロポーズされた日のことだった。
手から溢れ落ちたティーカップがカシャンッ! という音を立てて割れる。
「お嬢様! お怪我はありませんか!?」
部屋の隅で控えていた侍女が慌てて駆け寄って来る。
並べ立てられる気遣いの言葉も、お気に入りのドレスに染みが広がっていく様子もどこか他人事のように感じる。今のエミリアには他のことを考えている余裕がなかった。
「それは、本当ですか……?」
大きな瞳を見開いてエミリアは父の顔を凝視した。
父は言いづらそうな顔をしつつも、結局は先程聞いたのと同じ言葉を繰り返した。
「ミア、お前は私達夫婦の本当の娘じゃない。お前の本当の母親はメイザース侯爵の一人娘、カリル侯爵令嬢だ」
「そんな……」
知りたくなかった真実にエミリアは両手で顔を覆った。
カリル侯爵令嬢といえば、国でその名を知らぬ者はいないほどの悪女である。
家を破産寸前に追い込むほどの浪費家で、気に食わないことがあれば使用人の腕を切り落とす残虐な女だ。
当然それだけではない。誰彼構わず男を誘惑しては他人の家庭を壊して楽しむ悪趣味の持ち主で、裏社会の人間とも深い繋がりがあるという。
つい先日、子供の人身売買が摘発されたことにより処刑が決まった正真正銘の極悪人。
そんな人が実母だなんて……!
エミリアは愕然として色を失った。
「お父様はいつから知っていらしたのですか?」
「お前がこの家に来た日から、そう、最初から知っていたよ」
十六年間、国唯一の公爵の一人娘として何不自由なく育てられた。血が繋がっていないなんて今まで一度も言われなかったし、両親はそんな素振りすら全く見せなかった。
「何故今になってそんなことを言うのですか?」
覚えず声に批難の色が混じる。両親から与えられた愛情が深いからこそ、両親を大切に思っているからこそ、血の繋がりという名の絆が存在しないことが悲しかった。
「愛しい私のミア。そんなに泣かないでおくれ」
エミリアの頬に伝った雫を父が拭う。優しい声と大きな手から温もりを感じて、さらに切ない気持ちが強くなる。
泣けば父を困らせることになるとわかっているのに、エミリアの気持ちとは裏腹に涙は止めどなく溢れてきた。
「実はこの件はもう噂になっているんだ。お前が他人からこの事実を聞く前に、どうしても私の口から伝えたかった」
真実を打ち明けることは父にとって辛く、勇気のいることだったに違いない。向けられる沈痛な表情が父の葛藤を物語っている。
噂にならなければ両親はエミリアに真実を告げることなく、最期まで本当の娘でいさせてくれたのかもしれない。
「私、お父様とお母様の娘として、この公爵家にいても良いのですか?」
エミリアは不安に押しつぶされそうになりながら尋ねた。
「当たり前じゃないか! 何も変わらない。お前は私の娘だ」
愚問だと言わんばかりの勢いで父が断言する。
真摯なその面差しにエミリアは僅かでも父の愛を疑ったことを恥ずかしく思った。
「そうです! お嬢様はお嬢様です! もしそのことでとやかく言う輩がおりましたら、公爵家使用人一同、全力で戦いますわ!」
侍女長のマーサが声高らかに宣言すると、他の侍女達も熱心に擁護を口にした。
「みんな……。ありがとう」
そう言ってエミリアは目に溜まった涙を拭った。
こんな風に言ってもらえるなんて、なんて幸せ者なのだろう。
嬉しく思う反面、左手の薬指にはまった婚約指輪がエミリアの心に暗い影を落とした。