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割れない殻とレースとリボン

作者:

「うわ、森田、マジで百点じゃん」

「おれ、自分の答案で見たことない。すげえなあ」


 周りからかけられる声はからかう口調だったけど、苦みはなかった。僕はそれに安心しつつ、あいまいに首を振って答える。


「今回のテストは運が良かったよ。最後のはわかんなくて、アミダで選んだからなあ。ほらここ、消したあと見える?」

「あ、本当だ。森田でもわかんないことあるんだなあ」

「おれも今度アミダやってみよ」


 彼らの笑い声にかぶさるようにチャイムが鳴った。僕らは手を振りあい席に着く。

 普段話さない相手だったからちょっと緊張したけど、うまくやり過ごせたはずだ。

 やり過ごす、っていうと悪いことしてるみたいだ。いや、実際そうなのかな。僕が適当に会話してることには変わりないから。


 さっき僕の口から出ていたのは、自分の心の奥底からの声じゃない。

 心の表面の、上の、上の方。するっとすべっていくような声だった。五分後には誰も思い出せないような、なんでもない会話。


 誰かの心に響くようなことは言えないし、誰かから言われたりもしない。


 中学一年生から二年生になって、クラスの顔ぶれが変わっても、ほとんど同じ、自分の外側をなでるように過ぎていく毎日。


 ただ、変わらないのはきっと僕だけだ。周りの世界は毎日ちょっとずつ変わっている。

 たとえば、さっき話していた二人組。気がつくと、お互いが自分の中身を見せ合っていた。

 この間、図書室で話しているのを偶然聞いてしまったんだ。親が離婚するだとか、希望の進路を反対されているだとか。


 盗み聞きする趣味はないので、すぐにその場を離れたけど、ずいぶんディープな話の内容に、僕はかなり動揺していた。

 彼らがやっていたみたいに、自分の中身を見せたり見たりするのって、どうやったらできるようになるんだろう。


 気にはなるけど、実行する気はまったくない。僕には無理だってわかってるから。

 だって、相手が語ることがあまりに重すぎて、こっちが受け止めきれずに共倒れしてしまったらどうするんだ?

 自分が大切にしている思いを話して、笑われて、立ち直れなくなってしまったらどうするんだ?


 一度、心の殻を割ってしまったら、もう元にはもどらないんじゃないか?

 弱い中身をさらして、いつ攻撃されるのかとビクビクしながら生きていくことになるんじゃないか?


 こんな風に心の「殻」のことを考えるとき、僕は自然と、教室の空席に目が行ってしまう。

 二年生になってから一度も登校していない生徒の席だ。

 名前は羽柴、だったかな。女子だと思う。不登校になった理由は知らない。もしかして、学校で中身を出して、それを攻撃されるようなことがあったんだろうか。


 僕だってなにがきっかけで攻撃されるかわからない。

 逆に僕が間違って、誰かにひどいことを言ってしまうかもしれない。それでいじめられて、学校に来られなくなるかも。


 顔も知らない人の席を見て、僕は気を引きしめた。

 無理に殻を割らなくても、かぶったままで生きていけるなら、それでいい。僕は自分をそう納得させた。


 クラスでの僕の立ち位置は「害のないガリ勉キャラ」だと思っている。

 テストの順位で誰かを馬鹿にするなんて絶対しない。目立たないように、浮かないようにと心がけていたから、休み時間に勉強をしていても嫌味だと思われていない……たぶん、今のところは。


 クラスの人たちが内心どう思っているかはわからないけど、少なくとも不快感を示す人はいなかった。

 ほどよく距離を保ってくれて、心の内側に踏み込まれるようなこともない。学校でも塾でも、人と深く関わらないようにすることに、うまく勉強を活用できていた。


 固い殻の内側は静かで、気が楽だ。


 六時間目が自習になった。図書室を利用する許可が出たので、僕は勉強道具を抱えてひとり、廊下を歩いていた。

 すると、廊下にひものようなものがいくつか落ちているのを見かけた。


 近づいてみると、それはリボンとレースだった。


 ひらひらしたレース、リボンの赤やピンクの鮮やかさは、手芸店ならなじむのだろうが、学校では異質に見える。

 誰かが歩いている途中で落としていったのか、レースとリボンは廊下から教室の入り口にかけて点々としていた。


 ここは空き教室のはずだけど、家庭科部の部室だったりするんだろうか。

 落としものをこのままにしておいたら誰かに踏まれてしまいそうだな……と、しゃがんで拾い集めていたとき、教室の中から人の声がした。


「ポーチにちゃんとしまったと思ったんだけど、人が来そうだからって慌てて片付けたから、よくおぼえてない……」

「じゃあ被服室かな。先生、行ってこようか」

「うん……あ、待って、わたしも行く。わたしのものだから」


 そんな会話のあとに、そろそろと扉が開き、女子生徒が顔を出した。

 いや、生徒、か?

 一瞬考えてしまったのは、あまりにも服装が奇抜だったからだ。じっくりみるとうちの学校の制服を着ているとわかるが、ぱっと見にはわからないほど着崩されている。


 ブレザーの外に出してあるブラウスの襟は、花柄模様のレースがついている。

 胸元にはふわふわしたリボン。袖口からもスカートの裾からも、とにかくひらひらしたものが激しく自己主張をしている。

 両肩に垂らした三つ編みにはリボンが編み込まれていて、目の前の女生徒がリボンとフリルとレースが大好きだってことは嫌ってほどわかった。


「あ……」

 僕の姿を見た彼女は、口を開けたまま固まってしまった。

 僕はその間に落としものをすべて拾い集め、彼女に渡そうとした。どう見ても、これは彼女のものだろう。


 しかし彼女は受け取らずに、教室の中に引っ込んでしまった。すぐそばにいた女の人の後ろに隠れてしまう。女の人は知っている人だった。家庭科の先生だ。


「ああ、森田くんがリボン拾ってくれたの? ありがとう」

 先生は僕にお礼を言うと、後ろの女子生徒を見ながら言った。

「羽柴さん、すぐ近くで見つかってよかったねえ。この子、羽柴さんと同じクラスの森田くんだよ。会うの初めてかな?」


 えっ。

 目の前の派手な格好をした人が、羽柴さん。クラスの空席の主なのか。勝手に我が身を振り返らせてもらっていた……。

 僕が驚いたり声を上げたりしたら、羽柴さんはもっと気まずくなってしまうかもしれないと思ったので、僕はつとめて落ちついた態度で、拾ったものを差し出した。


「森田です。よろしく。全部集めたと思うけど、確認してね」

 羽柴さんは僕の顔を見ないまま、おそるおそる受け取った。


 どうして不登校の羽柴さんが空き教室にいるんだろう、と疑問に思ったが、すぐに気づいた。ここは別室登校に使われているんだろう。

 根掘り葉掘り事情を聞く気などなかったので、僕は会釈をして図書室に向かおうとした。すると先生が僕を呼び止めた。


「森田くん、よかったら、羽柴さんに勉強教えてあげてくれない?」

「先生?」


 羽柴さんが抗議するような声を上げる。耳に刺さるような高音だ。

 僕はその声と先生の提案、両方に驚いた。


「ちょっとの間だけよ。ちょっと用事済ませてくるから。ほら、先生、数学は専門じゃないから教えるの難しいんだよね。頭のいい森田くんなら教え方が上手そうだし、羽柴さんも理解しやすいかなって」


 そう言うと先生は僕たちの背中を押して席に着かせ、小走りにかけていってしまった。

 席に着いてしまったものは仕方がないと、とりあえず教科書を広げてみる。

 僕はまあいいけど、羽柴さん、大丈夫なのかな。教室に通えない状態なのに、同じクラスのよく知らない奴と勉強なんて、具合悪くなるんじゃないか?


 どう話しかけていいかもわからず、しばらく教科書をじっと眺めていた。だけどずっとそうしてるわけにはいかない。観念してそうっと顔を上げる……と、すごいものを見た。


 羽柴さんは僕の全身に穴を開けそうなほど鋭い目で、こっちをにらみつけていたんだ。

 めっちゃ怖いんですけど。怖がらせたら申し訳ないと思ってたけど、怖いのは僕だよ!


「無理していなくてもいいよ、もう帰れば。自分は頭良くて不登校の人間にも優しいー、ってアピールしたかったんならごめんね。他でやって」


 僕をにらみつけたまま、羽柴さんはていねいに突き刺すように言った。

 なんだ、こいつ?


 イラッとした。言い返しはしなかったけど、膝の上でこぶしを握る。

 てのひらに爪が食い込む痛みを感じながら、そんな自分にびっくりしていた。今まで、学校でだれかにイラついたことなんてなかったから。


 クラスの誰にも、こんな突き刺すような目でにらまれたことはなかったし、とげとげしい言い方をされたことだってない。

 僕が弱そうに見えるから、強く出られるってことなのか? それってもっとムカつくな。


 僕も相手も不愉快な気持ちでいるなら、得るものなんてない。じゃあもうここを出て行こうか? 

 だけど、椅子から立ち上がろうとする僕を止めるものがあった。羽柴さんの不可解な仕草だ。


 あれほどいやな目つきと口調で僕を圧倒した直後なのに、手元のレースやリボンを大事そうに、慎重な手つきで何度もなでている。

 ポーチからそれらを出したり入れたりを繰り返し、やがて大きくふうっと息を吐いた。


 なんだ、なにかの儀式か?

 羽柴さんの行動が気になって、僕は浮かしかけた腰をふたたび椅子に戻す。そのとき、中途半端に動いたせいで足が椅子にひっかかり、大きな音を立ててしまった。


 羽柴さんの肩が大きく跳ねた。

 レースの襟に隠れるように肩を縮こまらせて、両手は袖のフリルを握りしめている。あきらかに怖がっている仕草だ。

 なんだ、やっぱり、人が怖いのか? だったらなんで、こっちを怒らせるようなことを言うんだよ。意味がわからない。


「……ごめん」

 肩をすくめたまま、羽柴さんが謝った。さっきとは打って変わって気弱そうな細い声だ。なんだなんだ、態度がコロコロ変わるから混乱するな。


「え? いや、今の大きい音は怒ったからじゃないよ。足が椅子に引っかかったからで」

 相手を怖がらせたままでいるのは居心地が悪いので、僕は両手を振って言い訳をした。それを聞いているのかいないのか、羽柴さんはうつむいたまま言葉を挟んだ。


「……よくわかんなくて。話し方。バカにされたり、怒られたりする前に、こっちから同じことやっちゃえってなるの、悪いくせだって言われてたのに……」

「え、どういうこと?」


 聞き返してから、しまった、と思った。これって、羽柴さんの「中身」じゃないか。どうしてわざわざ突っ込みに行くんだよ、自分。


「みんな、わたしを見たら、バカにしたり、ムカついたりするから」

「……初対面でそんなひどいこと言う人いるの?」


 素直に答えてくれる羽柴さんに驚きつつ、そっと聞き返した。「中身」が怖かろうが、ここまできたらもう後には引けない。


「言う、っていうか……態度でわかる。みんな、わたしの格好見たら、うわ、ってドン引きする。そういう空気を出すよ。それから、わたしの声、キンキンしてるからイラッてされる。それを気にして黙ってたら、今度は感じ悪い、その態度はなに? っていう目で見られる」

「だけどさ、実際に話を聞いてみたら、相手は本当に引いたりムカついたりしてないかもしれないよ」

「……わかんない。ただ、人とわたしの間の空気が、ピリピリしてくるのは感じる」


 羽柴さんがすごく繊細で、空気が読めるってことなのかな。

 ただ、その空気って奴は、人によって違った色に見えるかもしれないわけで……。だめだ、やっぱり人の中身ってわからない。


「ごめん、正直さっきはムッとした。だけどそれはさ、羽柴さんがわざと嫌味言ったからだよ。声だけでムカついたりなんかしない。服は最初びっくりしたけど……バカになんてしないよ。なんていうか、理由を話してくれたから、こっちも落ちついてきた」


 自分の気持ちをごまかして伝えるのは、人の態度に敏感な羽柴さんには見抜かれてしまう気がして、僕は正直に言った。

 間違ったことを言ったんじゃないかとびくついていたけど、羽柴さんは目を丸くしたあと、ちょっと笑った。


「わたしのことすぐに見捨てていかないで、落ちつくまで待つっていう人、めずらしい。森田くんみたいな人いるんだね」


 そういうものなのかな。

 めずらしいと言えば羽柴さんが上だと思う。初めて会った人間に突然心の内を語り出すなんて、相当変わってる。それって、人との距離感が測れてないってことなんだろうか。


 だけど僕だって、適切な距離なんてわからない。

 人の中身を怖がって、できる限りかかわらないようにして生きてきたんだから。


「その服さ。ドン引きする人がいるってわかってても、着るんだね」

 口にしてから、深く考えずに失礼なことを尋ねた自分にびっくりした。気持ちを素直に話す羽柴さんにつられてしまったんだろうか。


「うん、着る。好きだから」

 羽柴さんはレースの付いた襟に両手で触れ、まっすぐに僕を見た。

「これ着てるから、学校に来れる。このふわふわが、かたくて恐ろしい空気から、わたしを守ってくれるんだ」


 守ってくれる……。つまり、「殻」ってことか。


 このふわふわした服も、大事そうに持ってたレースやリボンも、羽柴さんを守ってくれる殻だったんだ。

 僕が想像する「殻」は言葉通り固くて、つるつるしてるものだけど、羽柴さんの殻はずいぶんやわらかい。鋭い言葉は突き破ってきそうに見える。

 だけどきっと、羽柴さんの心を守りながら、勇気づけてくれるものなんだろう。


 僕と羽柴さんの「殻」は全然違っている。

 僕は、人と深くつきあわないようにするために、殻をかぶっていた。

 だけど羽柴さんは、学校に来る勇気を出すために、それをまとっているんだ。


 なんとなく、負けた気がした。いや、そもそも、「殻」って勝手に僕がこじつけただけだから、勝ちも負けもないんだけど。


 ただ、本当になんとなくだけど、羽柴さんと、もっと「中身」の話がしたくなった。


「守ってくれるものがあるっていいよな。学校って大変だし。僕にとっては、勉強することで、学校から守ってもらってるんだと思う」

「えー、勉強して守られるってどういうこと? 勉強が好きなの?」

「いや、別に好きじゃない」


 さらっと言ってはじめて、自分の気持ちを知った。そっか、僕、勉強好きじゃなかったんだ。


「ええー……、好きじゃないのにやってて、それがお守りになるの?」

 納得いかないという表情で、羽柴さんが首をかしげる。そりゃ意味がわからないよな。僕も僕のことがよくわからない。


「余計に人と話さなくて済むから、めんどくさいこと、回避できるんだよ」

「森田くん、普通に人と話せてるじゃん。勉強の方がめんどくさいと思わないの?」

「羽柴さんが着てる、その複雑なファッションよりは、めんどくさくないと思うけど」

「うわ、嫌味な感じ」

「そっちが最初に嫌味言ったんだよ」

「そうだけどさあ」


 これって、僕が今までやってきた無難な会話からはほど遠い気がする。

 僕の言葉の破片が羽柴さんを刺してる気がして。羽柴さんの言葉も殻の内側に刺さってる気がして。ちっともつるつるすべっていかない。


 だけどなぜか、それもいいなと思った。


 机の上に置かれた教科書も、ポーチに入ったリボンとレースも、無視されっぱなしなことに怒らず、黙って僕たちの会話を聞いてくれているような気がした。

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