◆第六話 ① ◆ 妖精事件
ルビア・マリーとリシャール・デルトが馬車から降りると、先行して神殿に来ていた護衛騎士たちが数人、ルビア・マリーたちの側に駆け寄ってきた。
「神殿の中はどんな様子だ?」
前置きなどはしないでリシャール・デルトが騎士たちに問う。
「……突然現れた妖精たちに翻弄され、未だ大変な状況です。数百の妖精たちが『天降石』の周りで何重にも輪になりダンスを踊り、そこに我々護衛の者が何人も連れていかれ……体力が尽きて倒れ、意識を失ってもそのまま踊らされ……。他にもロバやウサギや……色々な動物に変身されさせられた星詠み師達に、ボールのように宙に飛ばされたり……」
「遊び道具にされているようだな……」
「ええ。我々の剣や弓などは花に変えられ、その花びらが神殿の中を舞ったり、楽器に変えられ、その楽器を妖精たちが奏でたりと……。正直我々には手が負えません」
リシャール・デルトは「ふむ……」と、少しだけ考えた。
「大人数で妖精にまみえる意味はないか。私とルビア・マリー。それから……妖精への貢ぎ物を持つ者が幾人か居ればいいだろう」
リシャール・デルトは共に馬車に乗ってきた侍女に要請への貢ぎ物……かごに入れた幾つもの菓子や、瓶に入っているミルクなどを用意させた。
「じゃあ、行こうか。妖精に会いに」
リシャール・デルトから差し出された手。それはまるで舞踏会の時のエスコートのようだった。
妖精は、気まぐれに、願いを叶える。
(わたしは……妖精に会ったら逃がしてくれと、願うの? それとも……この現状からわたしを助け出し欲しいと……言ってしまうのかしら? 殿下は……妖精に願うのかしら? この国を滅ぼして欲しいとか……)
未だ心が決められないまま、それでもルビア・マリーはリシャール・デルトの手を取った。
馬車に乗った時には、真上にあった太陽。それは既に西へ傾いている。まもなく夕刻。空はルビア・マリーの髪のようにオレンジ色を帯びてきた。
神殿の列柱、そしてその列柱の間を歩くルビア・マリーたちの影も長く伸びている。
(前に来た時……『十歳の儀式』の時の夜とは違う。手燭と星灯りだけの夜じゃない。あの時感じたような恐ろしさはない。だけど……張り裂けそうなほどに高鳴る心臓の音は同じ……)
思わず強くリシャール・デルトの腕を掴んでしまった。
「大丈夫だよルビア・マリー。妖精に出会ったら、自分を……自分の願いを強く持つんだ」
「願い……」
心は未だ決まらない。何も選べない。自分からは動けない。動くだけの勇気もない。
ただ、誰かに……連れて行って欲しい。
どこかにある、幸せの場所へ。
自分では何も出来はしないから。
神殿の最奥の『天降石』に近づいていく。
歌う声、楽器の音楽。笑い声。妖精たちのものであろう翅の音……。それらが入り混じった騒がしくも愉快そうな音が聞こえてきた。
さらに進めば、舞い踊る妖精たちも見えてきた。
意識を失ったまま、人形のように振りまわされている護衛騎士たち。神殿の床に倒れ、意識のない者。両手を右と左に引っ張られ「もう止めてくれ」と力なく繰り返す者。宙に飛ばされて、悲鳴を上げる者……。
半数程度の妖精たちは楽し気に踊っている。その他に眠っている妖精も、おしゃべりに興じている妖精もいる。既に意識のない星詠み師達の髪を引っ張って、その髪をみつあみにして遊んでいる妖精もいた。
「すごい数の妖精……何百、いるのかしら……?」
思わずルビア・マリーがぼそりと呟けば、遊び、踊って、騒いでいたはずの妖精たちの声がぴたりと止んだ。
何百……もしかしたら、千以上かもしれない妖精の目が、一斉にルビア・マリーを凝視する。
「ひ……っ!」
叫びそうになり、慌ててルビア・マリーは口を押えた。
リシャール・デルトがそんなルビア・マリーを庇うように一歩前に出る。
「≪初めまして妖精の皆様。私はこの国の第一王子リシャール・デルト。そして、こちらは私の友であるルビア・マリー。まずは我々からの捧げものを受け取ってもらいたい≫」
リシャール・デルトは護衛騎士や侍女たちに持たせていた貢物を妖精に渡せと、指示を出した。だが、護衛騎士たちの足は竦んだように動かず、また侍女もガタガタと震えているだけだった。
羽があるだけの可愛らしい姿の妖精だけなら、初めて見る不可思議な存在に対して、皆、ここまで怯えたりはしなかっただろう。
だが、妖精は可愛らしいかったり美しかったりする姿を持つ者ばかりではない。多種多様だ。
背が低いのに、しわくちゃの顔にごま塩のあごひげをして、更にとがった鼻に輝く目をしているルブラホーン。
人の形を取らない鬼火のような妖精とも精霊ともつかない固まり。
そして、体はなく、顔だけの妖精の女王。
もともと知識を持つリシャール・デルトやルビア・マリーならともかく、単なる侍女たちでは恐ろしがるのも無理はない。
知識を持っていたルビア・マリーすら、一斉に見つめられれば、叫びそうになったのだから。
リシャール・デルトは震えたままの侍女の手から、奪い取るようにして菓子の入っているかごを取っていった。そして、そのまま一人でスタスタと妖精のほうへと歩いていく。
「で、殿下っ! 危険ですっ!」
護衛騎士の一人が叫んだ。が、リシャール・デルトは気にもしない。
そのリシャール・デルトを見て、ルビア・マリーはぐっと唇をかんだ。そして、別の護衛騎士に、
「貸して」
と、言って、彼の持っていたかごを奪い取り、リシャール・デルトの後を追った。
(胸が、ドキドキする。怖い。だけど……。今、殿下はわたしを……友と、称してくださった……)
ルビア・マリーは今まで運命や誰かに逆らうことなく生きてきた。
嫌だと思いながらも、それに逆らう勇気はなかった。
だが、今。
ほんの一歩、いや、半歩かもしれないが、誰かに指示されたことではなく、自分で、ルビア・マリーはリシャール・デルトの後を追いかけていった。
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