◆第五話 ② ◆
揺れる馬車の中にはルビア・マリーとリシャール・デルト、護衛の騎士が一人と侍女が一人の合計四人が乗せられた。
もちろん外にも馬に騎乗した護衛が幾人もいる。
馬車の中にルビア・マリーとリシャール・デルトの二人だけでないのは、婚約者でもない若い男女が、二人きりになることはできないという理由もある。
が、それだけではない。
ルビア・マリーとリシャール・デルトが馬車の中で何を話したのか、それを侍女に扮した者が、宰相や国王に後で報告する。
それをルビア・マリーとリシャール・デルトは共に理解していた。
だから、馬車に乗せられた後、ルビア・マリーもリシャール・デルトも口数を少なくしていた。
リシャール・デルトは手にしていた『妖精言語』の本を読んだふりをしている。
ルビア・マリーもまた、『妖精言語』を書き写した帳面を読んでいた。
しばらく経った後、リシャール・デルトがその本を閉じ、おもむろにルビア・マリーに顔を向けた。
「……この『妖精言語』の本を開くのも久しぶりだな。最近はなかなかに忙しく、本を読む時間なども取れなかったからね」
「そうでございますね……」
「ルビア・マリー。君はこの本の内容を覚えているかい? 君もこれを読むのは久しぶりだろう?」
「ええ……」
リシャール・デルトの問いかけに、ルビア・マリーは首を傾げそうになった。が、それをとどめて曖昧に返事をした。
リシャール・デルトに『妖精言語』の本を読ませてもらって以来、毎日のようにルビア・マリーはそれを読んでいる。
読んでいることを、リシャール・デルトは知っている。
(殿下は何故このようなことを? 久しぶりなんて、そんなこと無いのをご存じなのに。何か意図があるのかしら?)
じっと見つめていれば、リシャール・デルトは気恥ずかしそうに笑った。
「私は久しぶりにこれを手にしたから……。まあ、覚えているとは思うのだけれど『星詠みの神殿』につく前に、ちょっと練習に付き合ってくれないかい?」
「もちろんですわ」
「じゃあ、最初の方から。私の本の方では……ええと。8ページ辺りでいいかな? 女王についての記述があるあたりだ」
リシャール・デルトが本のページをめくる。
ルビア・マリーも、写した帳面の、該当のページを開いた。
「先に私が読むよ。ルビア・マリーはそれを翻訳してくれるかい?」
「畏まりました」
リシャール・デルトの意図が分からないままに、それでもルビア・マリーは頷いた。
「じゃ、読むよ。≪ルグリット・ランド・アンタナ・パッセン・ブロウ・ブロウスタ……≫」
「花咲く妖精の国、ルグリット……でございますね」
「正解。じゃあ、次だ。≪ナム・デイッフェンカラ・クロウズ・エン・ルゴス・ル・フェイ……≫
「精霊族の女王の名はルゴス・ル・フェイ……。ああ、そう言えば、妖精の国の王は女王でいらっしゃいましたね」
「そうだね。≪キメリーカナ・アンテル・ウル・アンテリーケナ・ゲットル・プレイシスト・エイリル・フルックリラ……≫はどうだい?」
「体はなく、顔だけの女性であるが、純白の大きな鳥に変化できる……でございます」
「素晴らしい! では、少し難易度を上げようか。≪ギフロ・ギャロラ・リーフィスト・ランディ・カルク・レーゼ……≫ちょっと難しすぎたかな?」
ルビア・マリーは目を見開きたくなるのを押さえ、咄嗟に考え込むような顔を作った。
リシャール・デルトが今話した妖精の言葉は、本に記述されている内容ではない。
リシャール・デルトは『この国から逃げたいと願うのなら、精霊に頼め』と言ったのだ。
「え、ええと……」
「ちょっと難しかったね。ではこちらを≪エフ・ファラウデ・アニアランド・モーント、プスケ・ディーガ≫
今度は『他国に行けば『悪役』なんて運命は誰も知らない」だった。
『妖精言語』の本には記載されているはずのない文言。
ここまでくれば、流石のルビア・マリーにもわかった。
護衛騎士や監視役の侍女に知られないように話をしようとリシャール・デルトが言っているということに。ルビア・マリーはすっと息を吸った。
「……翻訳の難易度が少し高いようです。もう少し……その、精霊たちに告げる挨拶や、簡単な言葉を練習したいのですが……」
「いいよ。じゃ、翻訳形式じゃなくて、お互いに妖精の言葉で会話をしようか」
リシャール・デルトはにこりと笑った。