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第七章「クルマの家」

「たった一セントじゃん」

 ジャズが唇を尖らせる。

「一個六九セントのオレンジ七つ買って四ドル八三セント。五ドル札でおつりが一七セント。暗算できるよね」

「それが一八セントありましたの。一セント多いんですの」

 シャルが説明する。

「おつりが違ってましたよ、って返さないと」

「そのためにお店に戻るの? 一マイル以上あるんだよ。一セントくらい、いいじゃないか。お店のひとも気にしてないよ」

「大丈夫ですわ、ジャズ。わたし一人で行ってきますから」

 にっこりと笑顔を作ってみせる。

「そう? 悪いね、シャル。荷物はあたしが持ってくからさ」


 市場への道を戻りながら、シャルは思う。

(お金のことは何よりも大事。「たった一セント」なんてとんでもない。貧乏人にとっては一セントこそが大事なお金。多くても少なくともダメ。ちゃんとやらなきゃ、貧乏人は生きていけないんですのよ)

 ふう、シャルはため息をつく。

(お屋敷のお嬢さま育ちで、貧乏なんて一度も体験したことのないビビはもちろん、ジャズにも、貧乏って何かは分からないんですわ。大家族で、きょうだいも親戚もたくさんいて、皆で元気に働いていれば、一人一人の稼ぎは少なくても、生活は安定している。貧乏人のわたしみたいな不安を抱くことはないんだろうな、と思うのです)

 ため息をもう一つ。

(わたしは貧乏人です。お金の大切さと、お金が無いのがどんなに辛く苦しいことなのかを知っていますのよ)


 そして、シャルは自分の生い立ちを回想する。


 わたしが物心ついた頃に知ったこと。お(うち)には二種類ある、ということ。アパートメントやコンドミニアムみたいな集合住宅か一戸建? 違います。下に車輪がついている家と、ついてない家の二種類。

 わたしの家は車輪付きでした。モビルホームと呼ばれているのだと、小学校に入った頃に教えられました。元々は、お金持ちが所有していたレジャー用の贅沢品で、パワフルなエンジン付きのクルマで都会から引っ張っていって、空気が澄んだ高原とか、太陽がいっぱいのビーチへ行きます。指定されたキャンプ地に駐めて、水道と電気が接続されます。そうやって、別荘暮らしを手軽にシミュレートしていたんです。

 それも今は昔。おんぼろになったモビルホームは、捨て値で売られて、都市の郊外に集められました。最低限のインフラを供給されて、格安の住居として提供されました。誰に? 車輪がついていない家には住めない、どん底の貧乏人へ、です。それが、わたしたち。


 パパはいませんでした。元々一緒に暮らしてなかったのか、いたけどどっかへ行ってしまったのか知りません。ママはアル中でした。朝起きて、お酒を飲み、飲んで、飲んで、ずーっと飲んで、酔っ払って寝ていました。わたしがとっても小さかった頃、年の離れたお兄さん、お姉さんが何人かいたように記憶しますが、養子にもらわれて行ったのか、独立したのか、家出したのか。気がつけば、わたし一人がママと暮らしていました。


 食べ物は週に一度、段ボール箱に入った冷凍食品が届けられました。それを電子レンジでチンしたのが、毎日の食事。それとは別にママはどこかからお酒を調達して、毎日朝から飲んでいました。


 そんな生活を「あたりまえ」と思っていたところ、小学校に入学して「違う境遇の子」がいると知りました。その子らは、わたしみたいなのを「可哀想(かわいそう)な子」として、同情して、あれこれサポートしようとしてくれました。本やゲームを貸してくれたり、ランチやお菓子を分けてくれたり。それは、わたしにはショッキングな出来事でした。だって、「あたりまえ」に思っていたわたしの暮らしが実は「可哀想」で、その子らのほうが「あたりまえ」だったんですから。


(でも、図書委員になれたことによって、人生が変わったんですわ)


 数年後、小学校三年の時でした。学校帰りに町を歩いていたら、見慣れないポスターが目に入りました。抽象画というのでしょうか。いろんな色の絵具が適当に塗られているだけのように見えるビジュアルの下に、何行か文字が記してありました。英語じゃない。何だか不思議な形の文字。行ごとに色が違ってて、上から赤、青、緑、黄色。その最上段の赤い文字を、わたしは「読めて」しまったのです。

「ここが出口。娼館(しょうかん)(ちょう)(ゆめ)』。集合時刻は○月○日○時」と。


 文字はリンガ・ビブリアでした。図書委員が使う独特の言葉を記したもの。パンピーには読めないはずが、まれに読めてしまう女の子がいる。その子には、図書委員の才能が…それもかなりのポテンシャルがあるんだ、って後で聞かされました。文字が四色で書かれていたのは、図書委員の四つの属性を示しています。自分が読めた文字の色が、自分の属性ですの。赤い文字を読めたわたしは、赤をシンボルカラーとする、イグナの図書委員。本に宿るマナを、火の力に変える、炎のファイター。


 わたしの心に刺さったのは「ここが出口」という言葉。「今ここ」の「可哀想」から外の、別の何かに通じるドアなんだって確信しました。それで、指定の時刻に「蝶の夢」に行って、マエストラ・マリアに会ったのです。


 図書委員になれば、ハイスクールまで無料で通える。学費の高い私立校もオーケーで、制服とか文房具とか、あれこれ必要なものを買うお金も支給される。そう聞かされて、天にも昇る思いでした。

 さらに「蝶の夢」でニーニャとして働けば、お給料がもらえる。そのお金をしっかりと貯めれば…。


 どこにも行けないクルマのお家。その中で一人お酒を飲んでいるママ。帰ることのないパパを待って、毎日お酒を飲んでいる可哀想なママ。わたしが連れ出してあげる。クルマのお家よりも、ずっとすてきな場所へ。ママがお酒を飲まなくても、楽しく生きていかれる場所へ。


 そして、イグナのわたしの「火」は敵を焼き尽くすだけのものじゃありません。暖炉やオーブンの中で赤々と燃えて、お家を暖め、お湯を沸かし、お料理を作って、家族や仲間皆を幸せにする「火」でもあるのです。

 そうですよね、ママ。わたし、皆を暖かくするために、がんばりたい。凍てついた荒野に火を灯し、大きな焚き火となって、震えるこどもたちを暖めたい。熱々のシチューや焼きたてのパンを食べさせてあげたい。それが、イグナのわたしのミッション。


 …でも、そのために何よりも必要なのはお金。お金ですのよ。


挿絵(By みてみん)


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