第六章「ファミリー」
「一郎のエスコート付き」という条件で、マエストラ・マリアから外出許可を取ったジャズは、一郎と路線バスでプルマロハ郊外の団地へと向かう。
ジャズは私服のアフリカンカラーのワンピース。原色に近い派手な彩色が漆黒の肌によく似合っている。髪に編み込んだビーズがキラキラと朝の光を反射している。
「ありがとう、一郎」とあらためて礼を言う。
「いえ、ぼくこそ、仕事がもらえて助かっています」
バスの車内で、ジャズは一郎に念を押す。
「娼館のことはもちろん、図書委員のことも、ママにも家族にも絶対に内緒だよ」
自分は全寮制のダンススクールに入っていることになってる、とジャズは一郎に説明する。卒業後は、ニューヨークのダンススタジオに入って、ブロードウェイでのデビューを目指す、と。
「すてきな目標ですね」
一郎がコメントするのに対して、ジャズは
「違うの。そんなんじゃない」
と却下する。
「ダンスはもちろん大好きなんだけど、あたしが目指す目標、目標はねえ…ちょっと言うのは恥ずかしいかな」
「無理に言う必要はないんですよ」
「ううん、一郎には教えてあげる」
「はい。聞かせてください」
「あたし、数学者になりたいんだ」
「それは、すばらしいですね」
「驚かないの?」
「だって、ジャズはエレカの図書委員でしょう?」
「何だ、そこまで知ってるのか」
一郎はシカゴで「組織」から、アメリカの図書委員会についての基本的な知識をレクチャーされていた。歴史的にプロテスタントの十字教会と敵対関係にあって、抗争がたえなかったということ。教会の力が強い南部では、図書委員会は地下組織となっていたこと。女性だけの集団が目立つのを避けるため、女子修道院や尼僧院を偽装することがしばしばだった、とも。
(だから、プルマロハでは娼館なんですね)
さらに、日本の図書委員にはない、アメリカ独特の属性「エレカ」についても。
ジャズが一郎に語る。
「小学生の時に、図書委員の資質検査を受けて、A判定だったんだ。属性はアクア。これでハイスクールまで学費も無料だって、パパもママも喜んでくれた。でも、試験の後にマエストラに呼び出されてさ」
「マリアに?」
「そう。あたしはアクアだったんだけど、それよりもずっとレアなエレカの資質がある、目指してみないか、って。マエストラ自身、エレカなんだよね」
「そうだったんですか」
「アクアの能力は基本的に『水の鎧』みたいな『防御』なんだけど、レベルが上がれば、マナの力で水を雷雲に変えて雷を落とす『攻撃』もできる。雷=電気だよね。その途中の『水』をすっとばして、マナを直接電気に変換するのが、エレカの図書委員」
「なるほど」
「でも、電気は難しいんだぜ。インピーダンスとか交流電力とか、使いこなすには微分積分や三角関数の数学の知識が必須。それを小学生から教え込まれた。フツーなら、足し算引き算とか九九やってる年だよ」
「それは大変でしたね」
「ううん、楽しかった。マエストラって、すっごく教えるのが上手なんだ。さらに自分で指と指の間に放電して見せたり、実物教育ってやつ? それも充実しててさ。おかげで、あたしは中学校に上がる頃には、一人前のエレカになれたんだ」
「ジャズは、がんばり屋さんなんですね。すばらしいことです」
「だけど、家族には秘密にしなきゃってさ。『反知』がプルマロハを支配して、図書館が破壊されて、蔵書は全部焼かれた。学校の図書室も同じ。図書委員は全員、潜在的犯罪者。『本の魔女』とか呼ばれている。だから、図書委員は辞めた、と家族に説明した。ダンススタジオの試験に受かって、その奨学金で全寮制のダンススクールに入学した、そんな感じにマエストラがとりはからってくれたの」
「そういう事情でしたか」
「だから、図書委員のことも娼館のことも、絶対に家族には秘密。特に娼館だなんて、あたしがセニョリータ目指してる、なんて万が一でもママが誤解したら、心臓止まって死んじゃうよ」
「気をつけます」
「エレカの修業を通じて、数学ってホントおもしろいなー、って思うようになった。大学進学して数学専攻して、数学者目指したい、って目標ができたの。それがあたしの夢」
二人は終点でバスを降りる。大きな団地だ。でも海軍基地跡の高台の団地よりもずっと新しい新興住宅地だ。住人はずっと多く、活気がある。住人の大半が黒人や中東系であることに一郎は気づく。エスニックフードを料理しているのだろうか、香ばしいスパイスの匂いが漂っている。
ジャズが団地内歩いていくと、何人もが手を振ったり、「ハロー」と声をかけたりしてくる。同年輩の少年少女が多いが、大人も老人もいる。ジャズも手を振り返し、「ハローハロー!」と元気いっぱいの挨拶を返す。「ワーオ」と歓声を上げ、ジャズにハグしてくる少女たちもいる。
(ジャズは人気者なんですねえ)
一郎は感心している。
「ここがウチなんだ」
ジャズは建物の一つを指さして、一郎に教える。その入り口に、太った黒人のおばさんが、若者やこどもたちに囲まれて立っている。
「ママ!」
ジャズは駆け出して、飛びつくように母親に抱きつく。
「ママ、お誕生日おめでとう」
「ありがとう、ジャジー」
ぎゅっと抱き合う二人。何度もキスをして、さらに抱き合う。
「ハロー、あなたが妹の付き添い役の、ええと、お名前は…」
背の高い黒人青年が一郎に声をかける。
「天沢一郎です。ないすとぅみーちゅー」
「妹がお世話になりました。おいらはビル。ビル・スミス。ジャズミンの一番上の兄です」
一郎とビルは握手する。
「こいつが、マイケル。二番目。こいつはジョージ。三番目。四番目のトニオ」
ビルは兄弟を紹介する。全員真っ黒で背が高い。NBLの選手並みだ。
一郎は、一人一人と挨拶し、握手する。
「こっちは俺たちの女房です。アニー、メリーアン、デイジー、それにカルメン」
女性たちを紹介する。それぞれ一郎と頬を合わせてチークキスする。
さらにこどもたち。男の子も女の子も、めっちゃ沢山いる。ジャズの甥っ子、姪っ子たちだ。一人一人紹介されるが、とても覚えられない。
そのまま、アパートの集会場へと連れて行かれる。ジャズの母の誕生日パーティの準備ができあがっている。
「一郎の席はこっちよ。あたしとママと一緒!」
ジャズが一郎の手を引っ張って連れて行く。
(これは、ちょっと「帰る」とは、とても言えない雰囲気ですね)
パーティにはスミス・ファミリーだけじゃなく、近所の人たちも多数訪れて、大変な盛況だった。
飲み物はビールやワインやバーボンウィスキー、未成年者にはコーラやソーダとアメリカの普通のものだったが、食べ物はフライドチキンやピザやコーンドッグに加えて、キャッサバ、玉子焼きのチャパティ巻き、スパイシーなチキンシチューなど、アフリカン・フードがあれこれ。一郎にとっては珍しい食体験だった。
巨大なバースデーケーキに何十本もの蝋燭を立てて、ジャズの母親が吹き消したのを、切り分けて皆で食べた後も、ギターやサックスや各種打楽器など、さまざまな楽器を奏でて、歌ったり、踊ったりと、宴は果てしなく続いていく。
一郎が、酔いをさまそうと外に出ると、日はとうに暮れていた。
「まさか、帰るんじゃないでしょうね?」
声をかけられて振り向くと、ジャズが立っていた。
「今晩はここに泊まっていくよね。一郎のベッドもちゃんと用意しているんだよ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
ぺこりと礼をする。
「よかった!」
ジャズが笑顔を全開にする。
「一郎はアメリカ生まれだったんだね。だったら、あたしたちがいわゆるフツーの『アメリカン黒人』とは違うって分かるよね?」
ジャズは一郎に「家族の歴史」を語る。
「うちはニューカマーなんだ。アフリカ難民。三十年くらい前に、東アフリカの内戦から逃れて、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんが、まだ小さかったママやおじさん、おばさんたちを連れて、アメリカにやってきた。
スミスっていうのは、アメリカに来てから付けた名前。本当はンジョロゲ何とかって言う、けっこう長い名前なんだけど、アメリカ人には発音が難しいし、覚えてもらえないだろうから、って改名したの。お祖父ちゃんは母国じゃ報道カメラマンをやっていて、ユージン・スミスっていう、有名なアメリカ人のカメラマンを尊敬していたから、彼の名前を貰ったんだって。
プルマロハ郊外に新築された団地に入居して、お祖父ちゃんはカメラじゃ食えないから、港で働いた。沖仲仕をしたり、漁船に乗ったり。お祖母ちゃんはホテルの掃除婦とか、ウェイトレスとか。二人で一生懸命働いて、こどもたちを育てた。そのうちに、一家を頼って親戚やら知り合いがプルマロハにやってきて、コミュニティができた。ママはパパと結婚して、四人の兄さんたち、そしてあたしが産まれた。パパは三年前に交通事故で死んじゃったんだけどね」
「それは、ご愁傷さまです」
一郎が弔意を表する。
「でも、家族はたくさん。今やスミス・ファミリーは百人以上。女も男も、皆元気いっぱいの働き者。あたしも皆のためにがんばらなきゃ」
一郎とジャズは会場に戻ってパーティに復帰する。飲んで、歌って、踊って、夜が更けるまで。
「一郎のベッドも用意してある」とのことだったが、一郎が気がつくと、黒人兄貴十数人と雑魚寝していた。部屋が人間の温かさで満たされている。
「今日一日で何人とハグしたんでしょうか?」
翌朝、港町に戻るバスの中で、一郎はジャズに尋ねる。
「どうして略称がジャズXなんですか?」
「Xは変数で、どんな値も代入可能。スミスでもンジョロゲでも。だからX」
ジャズは数学的に説明する。
娼館に帰ると、シャルが、あからさまに不機嫌だ。
「お二人で仲良く朝帰りとは。ゆうべはさぞかしお楽しみでしたようで」
どこかで聞いたようなセリフでイヤミを言う。
「一郎と一晩一緒で、すっごく楽しかった!」
ジャズの天然の笑顔に
「うう…」
と、二の句が継げないシャルであった。




