第五章「反知性教会」
翌日の早朝から、一郎は徒歩でプルマロハの町を歩き回った。通りや大通りの名前を覚え、頭の中に町の地図を作っていく。
町は、おおまかに三つの部分で構成されていた。まずは古い港。大西洋を臨む広い湾に面していて、大型の船舶が接舷できるピアを複数備えているが、現在はがらんとしている。レンガ造りの古い倉庫が並んでいて、その大半は閉鎖されている。船と言えば、港の端のほうに設けられたヨットハーバーに年代物のヨットが十数隻。反対の端が漁船溜まりになっていて、早朝には隣接した空倉庫で魚市場が開かれ、水揚げしたての新鮮な魚介類が売られている。
「元々は軍港だったんですね。でも百年近く前に海軍がポーツマスに移転して、以後は寂れてしまった」
一郎は、昨夜マエストラ・マリアから教授された、プルマロハの歴史を思い出す。
港町の背後には高台があり、巨大な住宅団地が建設されている。それも、もう五十年以上は経っている年代物だ。住民は高齢者が大半で、閑散とした印象だ。高台のへりは公園になっている。古い大砲が何門か置かれ、砲口を海に向けている。団地から、高台を時計回りに巻くように線路が敷かれていて、下の港町、さらに先の港へと続いている。一郎が乗った路面電車が往来している。
「団地はかつての海軍基地の跡地に建てられている。そして港と基地を結んでいた軍用鉄道を、路面電車の軌道として再利用してるんですね」
プルマロハで唯一の賑わいを見せているのが、港と高台の間の港町だ。「蝶の夢」をはじめとする娼館が五軒ほど並んで、その周辺は飲食店街が軒を連ねている。大通りを隔ててビジネス街となり、大きなホテルが数軒。小さなホテルや安宿が十数軒。市役所や市議会、消防署、警察署もこのエリアにある。
「そして、焚書隊本部と『教会』ですか」
一郎が路面電車から見上げた岬の教会はカトリックだが、それとは別の、もう一つの教会。
「反知性教会のことはご存じザマスね、一郎?」
一郎の脳裏で、昨夜のマリアの言葉が再生される。
「知識や文化を否定し、図書館を破壊して本を焼く、狂信者の集団ザマス。焚書隊はその尖兵。十字教を名乗っているが、とんでもない。野蛮きわまりないカルトザマスよ。バチカンからは『最悪の異端』認定されているザマス。その『反知』が、この十年ほどで急速に全米各地で勢力を広げている。いまや、都市の三分の一以上が『反知』の支配下にある。ここプルマロハもその一つザマス」
「そうなんですね」
「『反知』の侵略を防いでいる都市に対しても、焚書隊の非公然組織がテロを繰り返しているザマス。ワシントンDCの国立公文書館も焼き討ちされて、多数の歴史的文書が焼失しました。シカゴでのドローンテロは、一郎がターゲットだったんザマスね?」
「そうです。死者が出なかったのは不幸中の幸いでしたが、多くの人が被害に遭いました。ぼくの友人もその一人です」
「おそらく、日本を発った時点でマークされていたんザマス。シカゴの『組織』に接触する前に抹殺するつもりだったんザマスよ」
「はい。それなりに偽装を試みたのですが」
「『組織』に『反知』のスパイが入り込んでいた。そうとしか考えられないザマス。アメリカ政府も信用できない。信用できるのは、図書委員会のみ。今はアタマに『地下』がついてしまったザマスけどね」
その焚書隊員が一分隊十名ほど、歩道を行進している。黒の制服制帽と黒のブーツ。プロイセン式の脚をまっすぐ上げる歩き方で、ザッザッと足音を立てて進んでいる。スーツ姿のビジネスマンたちや、ベビーカーを押している女性が、あわてて行進に道を譲る。
(ナチスですか)
一郎は嫌悪感をおぼえる。
路上に設置されたスピーカーから「ぴんぽろぱんぴろ」とチャイム音が流れる。続いて、大音量でアナウンスが始まる。
「善良無知な痴民の皆さま、正午をお知らせいたします。今日もお元気にお過ごしのことと喜ばしく思います。今週は図書撲滅週間です。ご家庭やご職場で本をお見かけになりましたら、お近くの焚書隊員、もしくは焚書隊本部にお届けください。報奨金が出ます。本の不法所持は犯罪です。本を目撃されたら、すみやかに焚書隊にご連絡ください」
続いてバッハの教会音楽が流れ、それに合わせてシュプレヒコールだ。
「イエス、イーデン! ノー、ナレッジ!」
「イエス、イーデン!! ノー、ナレッジ!!」
「イエス、イーデン!!! ノー、ナレッジ!!!」
怒濤のごときシュプレヒコールに、行進中の焚書隊員も唱和する。
(ナレッジ…知識を捨てて、イーデン…エデンに帰れ、ということなんでしょうか。知恵の実を口にする前のアダムとイブが、無知で無垢なまま過ごしていたエデンの園へ)
娼館「蝶の夢」に戻った一郎は、バックヤードのマリアのオフィスを訪ねた。
「昨夜はしっかり眠れたザマスか、一郎。何か不足はありませんか?」
「そのことなのですが、マリア」
「お金のことは言わないザマスよ。一郎がプルマロハに滞在する間の宿泊費、食事代その他は全部、当館が負担します。それが当然ザマスから」
「ありがとうございます。それで…」
「ああ、失礼、昨日はうっかり忘れていたザマス。夜のお世話も当然コミコミ、お好きなセニョリータをご指名いただければ、今晩からしっかりサービスを」
「それは遠慮させていただきます」
一郎はあわてて断る。
「若い娘はお嫌いザマスか? 年増がお好きならば、こほん。不肖、わたくしがご担当さしあげても…」
「ぼくは結婚していますから、妻を裏切るわけにはいきません」
一郎はさらにあわてる。
「それよりもマリア、お願いがあります」
「何ザマス。何でもおっしゃっていただければ、ご希望にかなうよう…」
「ぼくも働かせてください。待機中に、皆さんのお世話になってばかりというのじゃ気が引けます。男手が必要なこともあるでしょう。荷物運びでも草むしりでも、何でもいたします」
「あら、まあ…」
マリアは当惑する。
「当娼館のメンバーは、キャスト、スタッフから、事務系の裏方まで全員が女性。殿方にやっていただくお仕事など…」
腕を組み、さらに目をつぶって真剣に考えている。しばらく考えた後、
「すぐには思いつけませんが、グラン・ママに相談して…」
マリアが言うのに、一郎は、
「いえ、あの、いつでもけっこうです」
ぺこりとお辞儀して、一郎はオフィスから退出する。
廊下にメイドスタイルの少女…ニーニャが一人立っているのに気がつく。ジャズだ。
ジャズも一郎に気がつく。
「あ、え、あの…」
あからさまにキョドっている。
「どうしたんですか、ジャズ?」
「いや、何でもないんだけど…」
「マエストラにご用なら、オフィスにいらっしゃいますよ」
「うー、うー」
ジャズはうなっていたが、やがて、突っ立ったままボロボロと涙を流し始める。
「あたし…あたし…」
泣きながらつぶやくのを、一郎が引き取って、
「ちょっと休みませんか」
と、自販機が置いてある休憩スペースまで連れて行って、ベンチに座らせる。
砂糖とミルク入りのコーヒーを自販機で買って、ジャズに渡す。
「熱いですよ。気をつけてお飲みください」
こくん、と頷いて、ジャズはコーヒーをすする。
やがて、ジャズは話し始める。
「あたし、明日が外出日だったんだ」
「外出日?」
「あたしらニーニャは基本、娼館に住み込みなんだけど、月に一回、外出日を決めて、実家に帰って一泊か二泊できる決まりなんだ。今月の外出日は明日に決めてたの。でも…」
そこでいったん言葉を切る。
「急に取り消しになっちゃってさ。糞焚書隊が『図書撲滅週間』なんてのを実施してるし、それにビビが…」
「ビビが襲われたからですか?」
「そう。そもそも、あたしらニーニャは一人で外出しちゃいけないんだ。最低二人、できれば三人以上で行動するのが決まり。あたしとビビとシャルは図書委員だから、例外的に一人外出もオケーなんだけどさ。現に一人で出たビビが危ない目にあったから」
「そうだったんですか」
「あたしの外出日は来週に繰り延べになっちゃって。でも、明日はママの誕生日で、ママ、ずーっとあたしに会えるのを楽しみにしてて」
「そういう事情なら、マリアに相談すれば。きっと何とかしてくれますよ」
「ダメ!」
ジャズは断言する。
「あたしがそんなことを言ったら、マエストラは困るだろうし、その上であたしを特別扱いするってことになったら、原因を作ったビビが辛い思いをする。だから、あたしが、がまんすれば…」
ジャズはすっくと立ち上がる。
「うん。それでオケーなんだ。一郎、ありがとう。一郎に話したら気持ちが楽になったかも。じゃね! コーヒーごちでした」
立ち去ろうとするジャズを、一郎が引き留める。
「一人じゃダメでも、二人なら何とかなるんじゃないですか?」
「え?」
「ぼくがマエストラにお願いして、ジャズのエスコートを許してもらいます。それなら大丈夫ですよ」
一郎はジャズをいざない、マリアのオフィスに入っていく。
この一部始終を物陰から目撃していたもう一人の小柄なメイド少女がいた。シャルだ。
(わたしは見た。今ここで。天性の女タラシを。わずか五十セントの自販機コーヒーで、テンパった女心をときほぐし、息を吐くように甘い言葉を並べ連ねて、乙女心を掌握する…)
シャルは両こぶしを握りしめ、わなわなと震えている。
(あれが、ジャパニーズ・サムライ!)




