第四章「蝶の夢」
マリアが三人娘に命じる。
「さあ、もう一五〇〇ザマスよ。セニョリータがたがご出勤される前に、あんたらは着替えてお仕事開始! ベンガ、ベンガ、ベンガ!」
「ふあーい」
部屋を出ていく、ジャズ、シャル、ビビ。
「一郎には『蝶の夢』の館内をご案内いたしますわ。ご説明せねばならぬこともいくつかありますので」
マリアに従って、一郎も部屋を出る。廊下は木材を多用したコロニアル風の内装で、幅広くて天井が高い。床には分厚い絨毯がしかれている。廊下の左右にドアが並んでいる。どれも、一郎がいた部屋と同じような部屋につながっているようだ。大きなベッド。豪奢な調度。ホテルのようだが、ホテルとは違う。
「ここが娼館ザマス。殿方に仮初の恋をご提供する夢の館」
「はあ」
朴念仁の一郎だが、常識的知識は一通り備わっているので、「娼館」が何を意味しているかは理解している。
(女性が男性に、幾ばくかの金員と引き換えに、性的サービスを提供する施設ですね)
肝心なところをぼかしつつ、あからさまに法学部くさいが、的を得ている。
(日本で言うところの、遊郭)
廊下を多数の少女たちが、急ぎ足で行き来している。全員メイド服姿だ。「メイド」と言っても、日本国は東京のアキバ界隈で客引きをしているコスプレじゃない。紺のロングスカートのワンピースに白のエプロン、袖口には白のカフス、頭はフリルのついた白のモブキャップという、英国ビクトリア朝時代を思わせる、由緒正しき本格メイドスタイルだ。掃除用のバケツやモップを手にしたり、タオルやシーツを運んだり、ティーセットや水差しを載せたカートを押していたりする。
「この子たちはニーニャ。娼館の雑用係です。開店前の、今が一番忙しい時間帯ザマス」
一郎はメイドたちの中に、三人娘の姿を見かける。他の少女たち同様のメイドスタイルだ。ジャズは細かく編み込んだヘアをくるくるお団子にしてモブキャップに格納している。一郎たちには見向きもせずに、それぞれ自分の仕事に集中している。
「こちらへ、一郎」
マリアは一郎をいざなって、従業員専用と思しきドアを開けて中に入る。そこはオフィスビルを思わせる、質素にして実用的なエリアだった。廊下の向こうから、複数の女性が歩いてくる。二〇代だろうか。キリっとしたスーツスタイルで、ビジネスウーマンのようだが、それぞれ金髪や黒髪のロングヘアなのが、ちょっと変わった印象だ。白人、黒人、ヒスパニック、アジア系と容貌はさまざま。一郎には感知できていないが、全員、スタイル抜群で、かつ胸も尻もバーンと張った、グラマラスな美人揃いだ。
「オラ、マエストラ」
「ブエナス・タルデス」
すれ違う際に、マリアに挨拶する。マリアも一人ひとりに挨拶を返す。
「彼女らがセニョリータ。うちの主力部隊」
「主力?」
「娼婦ザマスよ」
マリアと一郎は、エレベータに乗り込む。マリアは階数ボタンは押さずに、
「いん のうみな びぶりおてかりあ まぎか」
と告げる。
(リンガ・ビブリア!)
一郎は気がつく。本来、図書委員や司書以外には聞こえない言葉だが、一郎は長年の侍経験により、読唇できるようになっている。さらに、いくらかは実際に聞こえるようにも。
「音声認識完了。マエストラ、マリア・パスカルドミンゲス」
合成音声が答えて、エレベータは降下を開始する。階数表示は出ない。そこそこ時間をかけて、かなりの「地下」に向かっているようだ。
エレベータが停止する。短い通路を抜けて、ドアを開く。
そこに立っていたのは、巨大な女性だった。身長二メートル以上。横幅も広い。体重は…? 軽くお相撲さんレベルだろう。若くはない。四〇代はとう超えているだろうが、何歳か見当がつかない。でも「お婆さん」にはとても見えない。エネルギッシュなオーラを発散している。服装は、厚手のシルクで、やたらヒダの多い、巨大な紫色のドレスだ。
「ようこそ、プルマロハ地下図書館へ。セニョール天沢一郎」
女性はスカートをつまんで、深々と礼をする。
「ブエナス・タルデス、グラン・ママ」
マリアがお辞儀する。
一郎は、あっけにとられている。
「わたしは、プルマロハ地下図書館館長のグラン・ママ。本名はラウラ・ガルシアヒメネスです」
「天沢一郎です」
一郎も片膝を屈して礼を返す。
「図書委員会とアメリカ政府の『組織』との共同作戦で、『伝令』としてプルマロハに参りました。まずは、これを」
一郎は自分の口内に指を入れて、右奥の親知らずがあった場所にはめ込まれた偽造奥歯を抜き取る。ハンカチで拭いて爪で割ると中からデータチップが現れる。それをマリアに渡す。
「もう一つ」
一郎はジャケットを脱ぐ。ポケットからミニカッターを出して、それでジャケットの裏地を切る。中から透明なプラスチックシートを取り出す。シートには古びた紙が挟み込まれている。
「これは!」
マリアが驚きの声を上げる。
「『アメリカ独立宣言』ザマスか」
「一八二三年の複写です。国立公文書館が焚書隊の焼き討ちにあった際に、避難保護された文書の一つです。プロマロハ地下図書館に納本していただくべく、持参しました」
うむ、とグラン・ママがうなずく。
「歴史の浅いアメリカ合衆国においての、最古の文書の一つだ。莫大なマナ量が宿っている。地下図書館への補給物資として、ありがたく受領させていただくよ」
「よろしくお願いします」
「そして、一郎。あなたがプルマロハに来た一番の理由は別にある。そうだね?」
「はい」
「それは、あなたの両親たちを救うために、魔導書を…」
グラン・ママが言いかけたところで、背後で物音がする。
ドアが開いていて、そこにメイド服の大柄な少女が立っている。ビビだ。
「すいません。お取り込み中に。でもわたし、ご本を図書館に届けなくちゃって。お店が始まる前に急いで、って」
「ホウレンソウがなってませんザマスよ、ビビ」
とマリアが叱責するのを
「まあまあ」
とグラン・ママが制する。
「で、ご本とは?」
優しくビビに問う。
「これです」
ビビがママに差し出したのは、年代物のペーパーバックだ。
「スティーブン・キングの『キャリー』だね。刊行は一九七四年だが、これは九〇年代のペーパーバック。どこでこれを?」
「メールを受け取ったんです。団地の一人暮らしのおばあさんから。家の中を整理してたら、本が出てきたって。娘が大事にしてた本だって。高校を出てポーツマスに行って結婚して、それからあれこれあって、もうプルマロハには戻ってこないだろう一人娘の本で、焚書隊に焼かれるのはしのびないから、『図書館』に入れてほしい、って」
「それで単独行動したんザマスか?」
「団地に行って、おばあさんからご本を受け取って、でも、その帰りに…」
一郎は思い出す。この一冊の本を守るために、ビビは焚書隊と戦うことになったのだ。
「わたし、この小説が大好きで、何度も何度も読んでいたんです。わたしもキャリーみたいに鈍くさくて学校でいじめられてたから。あんな凄い能力でいじめっこに復讐できたらいいな、って」
いい話っぽかったのが、そこそこ怖い話も交じってくる。
「それで、地下図書館に納本しようって、持ってきたんですが、一郎が持ってきてくれた、すっごいご本に比べたら…こんな、つまらない…」
ビビは、しゅんとしている。
「そんなことはありません!」
ビビの心情を瞬時に察した一郎が断言する。
「すばらしい本ですよ。ぼくもスティーブン・キングの大ファンです。全作品を揃えてこその図書館ですよね」
ビビの両手をギュッと握りしめる。
「一郎…」
ビビは一郎を熱く見つめる。
ぱんぱんぱん、と拍手する音が聞こえる。グラン・ママだ。
「すばらしい。すばらしいよ、一郎もビビも。あんたらの力に支えられて、このプルマロハ地下図書館は存在してるんだ。『独立宣言』も『キャリー』も、ありがたく収蔵させていただくよ」
夕刻の一六五〇。娼館一階のメインホールに、全キャスト、スタッフが集合する。娼館の「主力部隊」であるセニョリータ…娼婦たちは三十名ほどで、それぞれ、スペイン・セビージャの春祭りを思わせる、派手で豪奢なドレスを身にまとい、ヘアもメイクもばっちりの「完全武装」だ。
その左翼にセニョリータ見習いの「チカ」と呼ばれるハイティーンの女性が十名ほど。セニョリータたちよりは幾分控えめだが、十分に魅力的なドレス姿だ。彼女たちのサポート役であるニーニャたちは、総勢で五十人ほど。揃いのメイドスタイルで後方に控えている。
ホール正面の演壇に、マエストラのマリアが登壇する。
「アッテンシオン!」
マエストラ付きメイドが号令し、居並ぶセニョリータもチカもニーニョも全員がビシッと姿勢を正す。
「傾聴!」
マリアがマイクなどなしに、朗々たる訓示を垂れる。
「士気高き、我が娼館のセニョリータ、並びにチカ、ニーニャ諸嬢。本夕も常と変わらぬ精鋭至強の隊列を眼前にし、マエストラとしては満悦至極であります。今さら言うまでもなく『蝶の夢』はプルマロハ最古の歴史と伝統を持ち、最大の規模を誇る娼館。人呼んで?」
「ヘブン・アンド・ヘル! 天国にして地獄!」
全員が声を揃えて返答する。
「そこに集うわたしたちは?」
「ベスト・オブ・ベスト! 最良にして最高!」
「そこを訪れる、戦い疲れた殿方に対しては?」
「サービス! サービス! サービス!」
「オーライ! それでは、哀しき殿方たちに、今宵一夜の夢を。今夜もはりきっていくザマスよ! 『蝶の夢』開館!」
「マム・イエス・マム! ゴー・フォー・ブレイク!」
全員が唱和する。
一郎は、圧倒されるばかりで、一言もない。




