出発
「短い間だったけど、楽しかった。
二度と戻らないわけじゃないけど……やっぱり、名残惜しいな。」
荷物をバッグに詰め終え、がらんとしてしまった部屋を見回す。ここに来てからのことは、たぶんずっと忘れないだろう。初めての街、初めての仕事、そして初めての仲間たち。思い出が詰まったこの部屋を離れるのは少し寂しいけれど、それ以上に次の冒険への期待が膨らんでいる。
宿の親父さんと、イロスさん、サーリヤさん……この街で親しくなったのはそのくらいかな。あとは仕事関係の人たちばかりだし、出発前にギルドに顔を出して挨拶すれば十分だろう。
来たときよりも少し重くなった荷物を背負い、扉を開けて部屋を出る。階段を下りると、食堂から香ばしい匂いが漂ってきた。親父さんは朝食でも作っているのだろうか。
食堂に入ると、親父さんと目が合った。昨日のうちに旅立つことは伝えてあったが、親父さんは少し寂しそうな顔をして話しかけてきた。
「元気でやれよ。またこの街に来ることがあったら、うちに寄れ。あの部屋が空いてるかはわからんが、できるだけ融通してやるさ。」
「ありがとうございます。でも、そんなにしんみりしないでくださいよ。すぐに帰ってくるつもりですから。仕事でちょっと遠出するのと同じですよ。」
「そうかい。それでも、お前さんみたいな若い奴の旅立ちは心配になっちまうんだよな。すまん、勝手に湿っぽくなって。」
親父さんの目が少し潤んでいるのを見て、俺は気まずくなった。ここで泣かれたりでもしたら、戻ってきたときに「早すぎる」なんて呆れられそうだ。軽く頭を下げて、「じゃあ、行ってきます」と言い残し、俺は早足で宿を後にした。
次に向かうのは、イロスさんのお店だ。商業区の通りを進み、見慣れた看板を見つけて扉を開ける。
「こんにちはー、イロスさんいらっしゃいますかー?」
すると、奥から顔を出したのはイロスさんの娘、サーリヤさんだった。
「あら、ファースト君じゃない?どうしたの?お父さんなら今いないわよ。」
「そうなんですね。ちょっと他領に行くことになったので、挨拶にと思ったんですけど。」
「あら、そうなの?律儀ね~。うちのお父さんなんかしょっちゅうあっちこっちの領に行ってるから、何とも思わないわよ。去年なんか隣の国まで行ってたんだから。」
確かに、行商や交易をしている人なら、あちこち旅するのは当たり前なのかもしれない。サーリヤさんの軽い口調に、俺も少し気持ちが楽になった気がする。
「戻ってきたら、お父さんに伝えておくわ。それで、どこの領に行くの?ハイデルン?それともルーランド?」
「えーと、たしかトーセン……だったかな?すみません、詳しくはよくわかってなくて。」
「また遠くの領に行くのね。ここからだと2ヶ月くらいかかるわよ。まさか、一人で行くわけじゃないでしょうね?一人だったら途中で死んじゃうわよ。」
「いえ、護衛役の方たちと一緒ですから、大丈夫です。」
「ならいいけどね。」
サーリヤさんに軽く礼を言い、店を後にする。彼女の言葉に知らない地名が出てきたが、どうやらかなり遠い場所のようだ。それでも、護衛役のダーレスさんやドルガンさんたちがいるなら安心だ。……いや、安心しすぎるのもよくないな。
ギルドに向かうと、ダーレスさんとエーリッヒさんが難しい顔をして話し込んでいた。隅の椅子では他の4人が談笑している。
「あ、ファースト!やっと来たわね。これでそろったわ。」
ルナが手を振りながら声をかけてくる。どうやら俺が最後だったらしい。
「お、来たか。じゃあ、俺たちはそろそろ行くから。後は頼んだぞ。」
ダーレスさんがエーリッヒさんに向かって軽く手を上げる。それに応じてエーリッヒさんもこちらに目を向けた。
「ファースト君、くれぐれも気を付けてくださいね。君は確かに、同年代の冒険者と比べると強いかもしれない。でも、まだ子供と言っていい年齢です。無理をして命を落としたら、それこそ元も子もありませんからね。」
「はい、わかりました。ありがとうございます。」
俺は深く頭を下げた。エーリッヒさんの言葉には、優しさと同時に厳しさも感じられる。それはきっと俺を思ってくれているからこそだろう。少し浮かれていた自分に気づき、俺はもう一度気を引き締めた。
門を出るとき、守備兵隊長のアーネスさんが「気をつけてな」と声をかけてくれた。俺も小さく手を振り返して、街を後にする。
西に向かって歩き出す。まだ日が昇りきるまでには少し時間がある。これから先、どんな危険や出会いが待っているのかはわからない。でも、それでもいい。いや、それがいい。
これは新しい冒険の始まりだ。
俺は胸の高揚感を感じながら、一歩、一歩、しっかりと歩みを進めていった。
これで1章は終わりになります。
2章からは主人公とその師匠とのお話になります。
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