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恋の片道切符

作者: 矢本MAX

いつの時代にも若者たちは恋と音楽に夢中になるものです。

これからしばしの間、あなたの心は、この不思議な空間へと入って行くのです。

 その日は朝から雨が降っていた。

 雨の日はただそれだけで憂鬱な気分になる。ブルーな気分の時は、よりブルーな音楽を聴く。逆療法だ。

 タクトは悪魔に魂を売ったという伝説のあるブルースマンのレコードを聴きながら朝食をとり、気を引き締めて家を出た。

 今日はドレミと一緒に映画を観る約束になっていた。

 待ち合わせの映画館の前に行くと、彼女はすでに来ていた。上映開始まで、まだ三〇分以上もある。映画館の前は、当日券を求める客が行列を作っていた。

「早かったね」とタクトが言うと、

「うん、なんか待ちきれなくって」と答えて、ドレミはちょっとはにかんだように笑った。

 今日観る映画は『恋の片道切符』という、一九五〇年代末期の日本を舞台にした音楽青春映画だ。

「昭和」という大昔の時代、敗戦の痛手からようやく立ち直り、高度経済成長を遂げる途上に花開いた若者文化、ロカビリー・ブームを背景に描かれる切ない恋愛映画でもあり、監督が協賛者から資金援助を募るクラウドファンディング方式で製作されたインディーズ映画でありながら、口コミで評判が広がり、ロングラン上映となった作品である。

 今日も客席は満席で、立ち見が出るほどの盛況ぶりだ。客層は、圧倒的に若いカップルが多かった。館内は異様な熱気に包まれていた。タクトとドレミは予約指定席を取っていたので、比較的いい席に坐ることが出来た。

 映画は、ウェスタンカーニバルと呼ばれたコンサートのシーンからはじまった。ギターを抱えた歌手が激しく腰を振りながら歌うと、かぶりつきの女性ファンたちが身を乗り出して嬌声を上げる。歌は、映画のタイトルとなった「恋の片道切符」だ。ロカビリーそのものがアメリカのポピュラー音楽なので、この曲もオリジナルではなく日本語の歌詞を付けたカヴァーである。腰を振りながら歌うというスタイルは、アメリカのロック歌手エルヴィス・プレスリーの影響で、世界中に広まったものだということを、タクトもドレミもよく知っていた。二人でよくエルヴィスのレコードを聴いたものだ。歌のクライマックスには方々から飛んで来た紙テープによって、歌手はぐるぐる巻きになってしまった。

 物語は、集団就職で上京した貧しい少年と少女が、ウェスタンカーニバルの会場で出逢い、恋に落ちるという、観ている方が気恥ずかしくなるような陳腐なラヴストーリーだったが、うぶで不器用な二人が互いに惹かれ合いつつ、ちょっとしたことで誤解したりすれ違ったりする姿が、「ダイアナ」「リトル・ダーリン」「ミヨちゃん」「好きなんだ!」「クレイジー・ラヴ」などのヒット曲とともに甘く切なく描かれて行く。

 CGで再現された昭和三〇年代のどこかチープな風景と相俟って、紙芝居か人形劇を観るようなファンタスティックな味わいがあり、観客の心をいつしか鷲づかみにしてしまったようだ。

 ラスト、家庭の事情で帰郷する少女を追って、片道切符を手にした少年が、走り出した列車に飛び乗るシーンでは拍手喝采が起こり、タイトル曲「恋の片道切符」と「星はなんでも知っている」が流れるエンディングでは場内が大合唱となった。タクトとドレミも一緒に口ずさんだ。

 映画館を出ると、雨はすでにやんでいた。

 二人は、手をつないだまま、しばらく黙って歩き続けた。映画の余韻に浸っていたかったし、何か言うと、涙が噴き出してしまいそうだったからだ。

「いい映画だったね」

 映画館のまわりを一周して、再び入口の看板を見上げて、ドレミが言った。

「うん」と答えて、タクトは何度もうなずいた。

 暗く閉塞した今の時代だからこそ、こんな映画に人気が集まるのだろうと彼は思った。他愛のない恋愛映画だったが、ここにはまだ、明日に希望を持てた時代の空気が感じられた。せっかくのロングランなのに、来週で上映終了なのは惜しい。だけどそれは外部の圧力による強制終了だという噂も耳に入っていた。

 それから二人は、いつも映画の後に感想を語り合う行きつけの喫茶店に入ったが、会話は弾まなかった。

「どうする? これから……」

 冷めたコーヒーを飲み干してタクトが訊くと、

「あなたの部屋へ行きたい」

 とドレミが答えた。

 タクトの部屋は、ギターと大量のレコードが、一見雑然としていながら、ある種の調和が感じられる音楽的な部屋だった。彼はアルバイトをしながら、アマチュアのシンガーソングライターとして活躍していた。

 部屋に入ると二人は、無言のままに抱き合い、そのままベッドに入り、身体を重ねた。互いを慈しみ合うように、丹念に丹念に相手の快感を確かめ合い、そしてひとつになった。

「タクト、タクト」あえぎながらドレミが呼びかけた。「生きて帰って来てね」

「うん、約束だ」とタクトは答えた。

 楽譜が乱雑に載った机の上には、一通の手紙が置かれていた。

 昔ながらに赤い紙に印刷された臨時召集令状だった。

 人はそれをこう呼んだ。

 死への片道切符、と。

われわれが生きる今の時代は、戦後ではなく、もはや戦前なのだと言う人がいます。そしいそれはいつの間にか「戦中」になっているのかも知れないのです。

それではまたお逢いしましょう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 独特な登場人物の名前でありながら昭和の雰囲気溢れる作品に、過去の話かなと読み続けましたが、最後に意味がわかってもう一度読み返しました。 これはいつか来る可能性のある未来の戦前のお話なのですね…
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