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摩天楼(まてんろう)

作者: 金川明

 少女の荒い息が建物全体を震わせながら、降るようにおりてくる。その女は無限に思えるような、途方もない螺旋(らせん)階段を駆け上がっていた。円柱状の建物の壁はガラス張りで、外の景色は重く沈んだ暗い夜。俺は、数周下から少女を追いかける。

 少女の位置は、その子が持ったろうそくではっきりとわかった。紺に赤い線が走ったそのプリーツスカートの制服は、俺の学校のものではない。一方の俺も夏服で、長袖の白シャツに黒いズボンといった制服姿だ。その胸に縫い付けられたエンブレムは、やはり俺の学校のものではない。

 少女の足は速く、俺はそのあとを死ぬ気で追いかける。少女は浅い息で、俺は咳き込むほど乱れた息づかいだった。

 少女はやがて頂上であるガラス張りの球状の屋根の部屋にたどりつき、俺もそこで追いつく。逃げ場を探す少女の背に、俺は飛びついて押し倒す。

「きゃっ!!」

 どさりと仰向けに倒れこむ少女。聴き慣れてしまった悲鳴が上がる。

 燭台(しょくだい)が火の灯ったろうそくをのせたまま転げ落ちた。

 全裸の俺は、少女に馬乗りになってその首を絞める。

「やめて……」

 のどから搾り出したような悲鳴。少女も、裸だった。

 俺は無言で首を絞める。

 その腕を汗がしたたり、少女の頬に当たると、涙となって流れ落ちた。

 少女ーー山本沙耶は、俺の大好きな人だ。

 その首を、馬乗りになって無言で絞める。

 異常な感覚だった。

 汗が止まらない。指先がぬるぬると滑る。それでも、確かに締まっていくのがわかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 何を謝ることがあるのか、山本沙耶は涙を浮かべて必死に漏らす。

「遅ぇよ」

 言いながら、俺は山本に顔を近づける。

 そうして至近距離から目を合わせ、告げるのだ。


「ーーーー死んでくれ」



   1


 そこでいつも、目がさめる。


 飛び起きると決まって寝汗がひどかった。そして、強く握りしめられた両手がずきずきと痛む。

 今日で何回目だろうか。夏休みに入り、山本と顔を合わせなくなってから多くなった気がする。真夏の早朝は、ベランダにとまったセミがジンジンとうるさかった。

 一軒家に家族と暮らす俺は、決まっていつも一人で起きる。両親が共働きで、朝早く出て、夜遅くまで帰って来ないからだ。だが最近は、この夢のせいで俺の方が早く起きる。

 台所に向かい、中身が少なくなっていた牛乳パックを直飲みしながら考える。

 山本沙耶は、一言で言えば大和撫子を絵に描いたような女だ。

 明るくて、はきはきと喋って、清楚で可憐で美しい。体型はどちらかというと細身だが、ここではスレンダーと表現すべきだろう。そのくらいにはスタイルが良く、何度かモデルにスカウトされたことがあるという話だ。当然男子からも人気で、たびたび告白しにいっては玉砕する(やから)を目にする。その理由は、他に好きな人がいるから、らしい。山本とは去年から同じクラスだが、彼氏がいるような素振りはなく、実際、本人も認めているという。

 山本に片想いを強いるとは一体どんなイケメンだろうと一時期男子の間で噂になったが、真相は誰も知らない。

 そんな山本を、俺は恨んでいるのだろうか。

 そんなはずはない。

 ならば、嫉妬からくる妬みか。

 これも違う。

 女子ならともかく、男子の俺が、山本がいくらモテたところで妬んだりはしない。

 ならなぜ、あんな夢を見るのか。

 知らない制服に、異様に長い螺旋階段が続くガラス張りの建物。そして、馬乗りになって山本の首を絞める俺。その手は俺の意思に従って動くが、そのときの俺は山本への殺意で満ち溢れている。

 考えれば考えるほど、最悪の悪夢だ。

「あ……」

 牛乳が切れた。しかも、案外量が残っていたそれは、どうも最後の一本だったらしい。半端に量が残っていたので、今日にでも誰か買いに行く予定だったのだろうか。

 ともかく、今日これから起きてくる家族に対して最後の牛乳を飲み干してしまったとあってはバツが悪い。どのみち寝る気も起きないので、俺は買い出しに出かけることにした。


   2


 スーパーは空いていなかったので、少し遠いコンビニへ寄ることにする。と、入口の脇でアイスを頬張る人影が、こちらに気づいて顔を上げた。

「あっ」

 山本だった。

 いつもはおろしている髪を後ろでラフにまとめている姿は新鮮で、そのくりくりした瞳に見つめられ、思わずドキリとした。

「お、おう」

 ぎこちないながらも一応軽く挨拶して、コンビニへ入る。山本とはその程度の仲だ。偶然会ったところで、現実はそう甘くない。

 牛乳パック一本と朝食のパンをいくつか買ってコンビニを出た頃には、当然、出口に山本の姿はない、はずだった。

「ねっ」

 出入り口の自動ドア付近で待ち構えていたらしい。正直驚いた。山本は、上半身を乗り出して顔を近づけてくる。後ろ手に持っているのはスマートフォンだろうか。

「連絡先交換しない?」

「え?」

 戸惑う俺の様子を察したように、山本が笑う。

「クラスのグループ、招待してあげる。まだ入ってないの、岡戸(おかど)くんくらいだよ?」

「あ、あぁ……そういうことか」

「え?」

「いや、なんでもない」

 やはり、現実は甘くない。

 山本は仲間はずれをひどく嫌う。今回も、たまたまとはいえ俺だけグループに入っていないのを気にしていたのだろう。

 交換し終えると、用は済んだとばかりに山本は去っていった。

「じゃ、また今度なんか送るねー!」

 そんな陽気な社交辞令を残して。

 とはいえ、悪い気分ではなかった。ただでさえ女子と話せるのは気分がいい。山本ならそれはなおさらだ。わかりやすく上機嫌になっているのを自覚しながら、しばらく歩いていた、五分ほどあとのことだった。

「ん?」

 突然、携帯が震えだした。

 見ると、山本から電話だ。

 まさかなと思いつつ、電話に出る。山本の声は、震えていた。

「ねぇ、岡戸くん、まだ近くにいる?」

「え? あぁ、いるけど」

 振り返ると、まだコンビニが見えた。

「今すぐ来て!!」

 山本にそう言われ、慌てて場所を聞き出すと、そこは帰り道の途中だった。急いで向かうと、山本が道路の脇でしゃがみこんでいる。

「どうした!?」

「岡戸くん……あの子」

 山本が、ひどく落ち込んだ様子で振り返る。視線の先では、車に轢かれた猫の死骸が無残な姿で放置されていた。

 行きでも見かけたが、俺は悪いものを見たと思った程度で、気にも留めなかった。それを山本は、弔ってあげたいと言い出す。しかし一人で車道に飛び出すのは危ないので、俺を呼んだのだ。車の往来が途切れたのを見計らって、俺たちは二人で駆け出し、内臓がぶちまけられた猫の死骸をかき集めると、俺がちょうど持っていたコンビニのビニール袋に入れた。

 正直気持ち悪かったが、俺がそんな素振りを見せると、山本は本気で怒ったので、しぶしぶ手伝った。死骸は、近くの公園の木の下に植えた。

「袋、ごめんね。ーーーーでも、岡戸くんって、もっと優しい人だと思ってた」

「え?」

「うぅん、いいの。手伝ってくれて、ありがと。またね」

 山本は、今度ばかりは笑っていなかった。


   3


「ーーーーだって、気持ち悪いものは、気持ち悪いじゃないか」

「……」

「なんで怒るんだよ」

「……」

「なんで、なんでそんな顔、するんだよッ!!」

 吠えるように声を張る俺。喉の裏側がひりひりと痛い。

「やめて……」

 こぼれ落ちた涙が、山本の瞳に落ちる。

 裸で馬乗りになった俺は、相変わらず、裸で抵抗する山本の首を絞めていた。

 そこは、螺旋階段の先の、円球のガラス屋根の部屋。

 こんなことしたくないのに、どうしてか、頭は殺意で満たされる。

「うっ」

 山本から、吐き出すような生々しい吃音(きつおん)が漏れた。

 けれど、俺の手は緩まない。

 いや、指令を出しているのはこの頭だ。

 汗ばんだこの頭が、山本沙耶を殺せという。

 俺自身の、意思が。



 そこまで考えたところで、目がさめた。

 最悪の目覚めだ。

 今日の夢はえらく具体的だった。

 轢かれた猫を見向きもしなかった俺。悲しみ、弔おうと考えた山本。

 昨日の出来事が夢に影響しているのはあきらかだったが、狂っているのはどちらか、言うまでもない。なぜ印象に残っているんだろう。

 いつか、誰かの小説に、こんな一節があった。


 ーーーー間違っていたのは自分だと、狂っているのは、世界だと、そう、告げられるだろうか。


 そうだ。世界が百人だったとして。九十九人が右を向いているのだとしたら。

 狂人はただ一人か。いや、左を向くのが正しいときだってある。

 九十九人が、世界が、世の中が間違っているときだってあるのだ。

 俺は素通りした。帰りもそのままだったということは、俺以外の通行人も、車も自転車も、みんなあの猫の死骸を無視したってことだ。

 でも、それは間違ってる。

 悲しみ、弔った山本ただ一人が、明らかに正しいのだから。

 俺はあの瞬間、狂った九十九人のうちの一人になってしまっていたのだ。

 いや、待て。

 本当にそうだろうか。

 本当に、俺以外が、俺と同じくらい狂っているのだろうか。

 あるいは、俺が、俺だけがダントツでーーーー

 その先は、鳴り出した目覚まし時計にかき消された。

 悪夢が長引くのが嫌で、昨日の夜、早めにセットしておいたのだ。

 だがそれよりも先に見終わってしまったのでは意味がない。明日は昨日のように早朝に起きるべきだろうか。いや、そんなことをしていたら体がもたない。今日より一時間だけ、早く起きることにしよう。

 起こした上半身をベッドに戻し、シーツに包まったところで、今日の予定を思い出す。

 今日は明後日(あさって)の登校日に提出する自由研究の課題を済ませるために、図書館に行く予定だった。理由は、明日ギリギリで行くとめぼしい楽な研究課題を同級生に取られかねないからだ。

 起き上がり、着替え、一応スマホを確認する。もちろん、通知はなかった。

 山本以外にもフレンド交換した男子が何人かいるが、クラスラインの存在を俺に教えていない時点でお察しの通りだ。

 外へ通ずるドアを開けると、セミの喧騒が一層強くなった。


   4


 図書館に着くと、知った顔ぶれがちらほらとあった。そしてその中には、山本の姿もあった。

「お! また会ったね」

 山本はキラキラした目を見開かせて大げさに喜ぶ。もう中学生なのに、思いのほか子どもっぽい。

「あぁ、山本」

「……山本ぉ、じゃないよぉ」

「なんだよ」

 尖った言い方にならないように笑いながら言うと、山本は笑顔を浮かべた。

「岡戸くんも自由研究でしょ? あっちにいいのがあるの、一緒にやろ!」

 手を引かれ、言われるがままについていくと、人気のない奥の本棚に案内された。高い本棚が壁になり、少し薄暗い。

「あれなの。とりたいんだけど、この脚立、グラグラするから怖くて。おさえててくれない?」

「わかった」

 しゃがみこんで脚立を両手でおさえていると、ホットパンツから伸びる山本のしなやかな足がすぐ目の前に来た。山本の、花のようないい香りもする。

「ん、しょ、なんだろ、なんか、引っかかって取れない。ーーーーきゃっ」

 山本の悲鳴に、見上げると、時すでに遅し。ぐらりとかたむいた山本の体が真上の空中にあった。

「いたたたた……」

 ドサッと、引っかかっていたらしい本と共に山本が俺の上に落ちて来た。

 思わずつぶっていた目を開けると、その重みにハッとなる。

 山本が、俺の上に馬乗りになっていた。

 瞬間、脳裏を連日の悪夢がよぎった。

 山本への好意よりも、自分への恐怖の方が大きかった。慌てて山本をどかし、誤魔化すように散らばった本をかき集める。

「ごめん、大丈夫だった?」

「大丈夫」

「ホント? なんか顔色悪いよ」

「え?」

 山本の方に振り返ると、山本は、怖いものをみるように一歩身を引いたあと、突然笑い出した。

「どうした?」

「もう。なんでそんな怖い顔してるの?」

 返事もできずに、自分の顔を手のひらで触る。筋肉がこわばっているのがわかった。

 その後は何もなく、山本と隣り合って座って、植物の生態について書かれた本の、違う種類がのっているページを適当に描き写してまとめ、課題を終えた。


 帰り際、俺は山本に問いかける。

「よかったのか?」

「なんで?」

「別のやつらと来てたんだろ?」

 言うと、山本は少し悲しそうに笑う。

「そっか、岡戸くんにはお見通しだったか。でも、いいの。最近、話が合わなくて」

 気になったが、これ以上首をつっこむのは馴れ馴れしい気がして、なんとなくはばかられた。

「ねぇ、このあと、暇?」

「え?」

「どっか、遊びにいかない?」

 願ってもいないチャンスだった。が、

「いや、……ごめん、このあと、予定あるから」

「そっか」

 俺の先を歩く山本。その表情はうかがえない。

「残念」

 小声だったが、確かにそう言った気がした。


   5


 正直、行きたかった。行きたかったが、どうしてかあのとき、両方の手がこわばるのを感じた。まるで、あの夢の中で、山本の首を、絞めようとするときのように。

 そして、今夜も。


「来ないで!!」

 叫ぶ山本の声が、頭上から聞こえる。例の異様に長い螺旋階段を駆け上がる途中。数周上の山本の背を、無言で追いかける俺の横顔が、どうしてかはっきりと見えた。

 俺は思わせぶりな山本に腹を立て、走りが力強く、乱暴なものになる。頭の中が、顔が、身体中が、怒りで燃え上がっていた。

 そうして、いつもの半円球のガラス屋根の部屋に出ると、背後から容赦なく襲いかかり、馬乗りになって押し倒す。

「どうせ他に好きな奴がいるんだろ? なら最初から期待させんなよ!」

 それはあまりにも身勝手な怒りだった。

 首に手をかけることはせず、何度も何度も振りかぶり、何度も何度も殴打する。

 山本の顔は、暗く影が落ちたようにぼやけてかすみ、見えなかった。


「やめて!!」


 頭の中に、山本の声が響き渡った。

 そこで、目がさめる。

 さめたはずなのに、山本の声の余韻がはっきりと残っていた。

 薄いカーテン越しに見える窓の外はまだ薄暗く、早朝と深夜の間ほどだった。

「大丈夫?」

 ドアがノックされ、母さんの声が聞こえる。

「何が?」

「なんか、大声で叫んでたよ。寝言?」

 頭の片隅に残るこの余韻は、どうやら自分の声だったらしい。



   6



 今日は登校日だ。

 久々に学校に来たところで、同じクラスに談笑する相手などいないはずだったが、今日はやたらと山本が話しかけてきた。

「ねぇねぇ、岡戸くん。今日は、遊べる?」

「え、あぁ……今度の、金曜なら」

 また断るのも悪い。かといって、今日いきなりというのは、心の準備ができていない。だからとりあえず先延ばしにすることにした。金曜日というのも、適当だ。塾なんか通っていないし、予定なんて本当はいつでも空いてる。

「ホント!? やった!」

 山本は嬉しそうにガッツポーズを作り、ようやく離れていった。周りの男子のうらめしそうな視線が刺さるが、本当に恐ろしいのは、そんなものじゃない。


『最初から期待させんなよ!』


 昨日の夢が反芻(はんすう)する。そうだ、山本が俺を、好きなはずがないのだ。勝手に一人で期待して、思い上がってふられるのが、拒絶されるのが、たまらなく怖い。

 俺はひょっとすると、あの夢のように、いつか山本を殺してしまうかもしれない。殴った感触も嫌にリアルだった。小学校時代よくいじめられ、そのたびに怒って暴れて、たびたび相手を殴ったことがある。だが、あの夢の感触はそれ以上だった。やわらかく、生暖かい肉が、圧縮され、ぐちゃりと潰れるような感覚。頬骨の硬い感触。記憶以上にリアリティなそれは、今もはっきりと思い出すことができる。

「はーい、席についてー」

 先生が教壇に上がり、ホームルームが始まった。



 半分寝ていたこともあって、登校日の日程はあっという間に終わりを告げた。課題を提出して、先生が何か話をして、それくらいだったはずだ。

 授業中、山本からラインがあった。

『退屈。ねぇ、一緒に抜け出さない?』

 俺は寝たふりをしながら、

『どうやってだよ?』

 とだけ返した。

 帰り際、俺は家が断水になる日なのを思い出し、先にトイレを済ませておくことにした。トイレから出て、何気なく教室の前を通りかかったとき、事件は起きた。

 いや、起きていたんだろう。俺が知る、ずっと前から。

 閑散とした教室で、山本を、数人の女子が囲んでいた。その表情は険しく、山本は気まずそうにうつむいている。

 何をしているのか、一目でわかった。

 いじめだ。

「おい、聞いてんのかよ!!」

 声を荒げた女子の一人が、山本を突き飛ばした。

「きゃっ」

 床に転がる山本。

「かわいこぶるなよ」

 別の女子が刺すように言う。

 とんだ言いがかりだった。

「何してんだよ」

 驚くほど低い声が出た。

 振り返る一同。恐ろしいことに、床に泣き崩れる山本を、なぐさめるふりをしている。

 俺なんかより、こいつらの方がよっぽどおかしいのかもしれない。

 けれど。

 この殺意は、(ぬぐ)えない。

「全部聞いてたぞ。先生にも言う」

 一斉に、女子たちの顔色が変わった。青ざめたのではない。悪びれるでもなく、にらんできたのだ。俺はそれに、静かににらみかえす。

 荷物をまとめ、さっさと帰っていく女子たち。

 これで俺も、明日から嫌われ者だ。いや、元からか。

「岡戸くん……」

 床にしゃがみこんだままの山本が、泣きそうな声で見上げてきた。


   7


「別に、助けてもらったから、って、わけじゃないんだけどさ」

 帰り道。隣を並んで歩く山本が、切り出したように言いだす。

「私、少し前から、岡戸くんのこと、好き……」

 照れからか、最後は消え入るような声だったが、それでも、ぎりぎり聞き取れた。

「だから、その……付き合ってくださいっ!」

 俺の前に回り込んで、両手を差し伸べてくる山本。願っても無いことだったが、俺の頭の中は、さっきの女子たちへの殺意でいっぱいだった。

 昔のように、教室で暴れまわり、あの女子たちを容赦なく叩きのめす自分の姿が、頭の中で、何度も、何度も繰り返されるのだ。

 それは義憤でも、ましてや山本のためでもない。他でもなく、俺自身のためだ。

 自分の大切な所有物を傷つけるものに対するものと、同等の怒り。

 だから、返事は決まっていた。

「ごめん」

 だが、見上げる山本の顔は今にも泣きそうで、慌てて訂正した。

「少し、考えさせてくれ」

 山本の顔が、途端に安堵の表情に変わる。

「よかった。断られるかと思った」

 本当はそのつもりだった。

 その後は、気まずくならないように山本の方から話題を振ってくれ、沈黙はほとんどなかった。が、別れ道が近づいたころ、今度は俺が切り出した。

「あのさ」

「何?」

 山本はあきらかに動揺していた。告白の結果を聞かされるのかと思っているのだろう。けどそうじゃない。

「俺、本当は、殺してやりたかったんだ。あいつら、全員……」

 言った。言ってしまった。くすぶっていたこの殺意を。

 山本を助け出したところで、ヒーローのような高揚感に浸ることができなかった理由。それは、くすぶったこの殺意だ。暴れ足りなかった。叫んで、めちゃくちゃにしてしまいたかった。殺してやりたかった。あいつらを、全員。

 叩きのめすなんて次元じゃない。一人一人の殺害方法が、鮮明に脳裏に焼き付いているくらいだ。

「私だって、そうだよ」

 山本から漏れ出た言葉は、意外なものだった。

「私だって、殺しちゃいたいくらい恨んでた。でも、そんなの当たり前じゃない? あの子達だってきっと、私のこと、おんなじように思ってたと思うし」

 だが、そうじゃない。

 山本のそれは、あの明確な殺意とは似て非なるものだ。

 言うならば次元が違う。

 ただ思うか、事実として行うか。その歴然たる(へだ)たりが、山本にはわからないらしい。

 けれど。

 それ以上、あえてその差を説明することは(はばか)られた。

「あ、そろそろ、だね」

「ん? あぁ」

 別れる道が目の前まで来ていた。山本と俺は、この先帰る方向が違う。だから、山本とはここまでだ。

「じゃあさ、今度の金曜日、教えてね」

「え?」

「……返事」

 照れ臭そうにそう言うと、山本は駆け出して行った。

 覚えていたらしい。いや、当たり前か。

 相変わらず、山本に対して殺意はない。かけらもない。現実では。

 けれど。

 いつかこの手で、山本を殺してしまうかもしれない。どうしようもない衝動と、夢の中でだけ溢れ出す、殺意に(さいな)まれて。

 それが、たまらなく怖い。

 俺は残された帰路をペースを落として歩きながら、あの悪夢について考えていた。

 俺が山本に襲い掛かると二人とも急に全裸になるのは、俺が山本をそういう目で見ているからだろう。そこはうなずける。

 問題は、あの建物がどこで、なんなのか。そして、なぜ二人して違う学校の制服を着ているのか。

 ありえないことだが、もし、あのシチュエーションが現実に再現されてしまったとき、俺はやはり、山本を殺すのだろうか。

 ぼんやりと思考にふけっていると赤信号を渡りそうになり、クラクションを鳴らされてハッとなる。

 結局、家に着くまでに考えがまとまらなかった。


   8


 球状のガラスの屋根からのぞく夜空は曇天で、そばに転がるろうそくの灯りだけが頼りだった。

「ーーーーおかしかったか? そんなにっ!! 一人でいる俺が可哀想だって、仲間に入れてあげる自分はいい子だって、思ってんだろ?」

「……やめて」

 そのはずなのに、山本も俺も、闇の中に白い裸が浮かんでいて、はっきりと見ることができた。

 俺の手は当たり前のように山本の首元に伸ばされ、筋肉がこわばって震えるほど強くにぎりしめていた。

「それとも、いじめられて、男子を味方につけたかったのか? どっちでもいいッ!!」

 一人で自問して、一人でキレて、俺はつぶやく。

「死ねよ、死んでくれよ」

「かっ、はぁ」

 条件反射なのか、気道がふさがれた山本の口から、空気が漏れ出て変な音が鳴る。

 ひゅうひゅうとつまった喉で必死に呼吸しようとするその有様は、打ち上げられた魚みたいだ。

 後ろめたい気持ちは、微塵もなかった。

 俺の中身は燃え上がる殺意でいっぱいで、従うように、俺の唇は死ね、死ね、とうわ言のように繰り返す。

 バキッ、と骨が砕けるような感触がしたかと思うと、しめていた山本の首が、ふにゅふにゃになって(しぼ)んだ。空気の抜けたゴム風船みたいだ。


 そう思った次の瞬間、さぁっと血の気が引いて、目が覚めた。

「ーーーーっ!?」

 言葉にならない声を上げ、俺はベッドから飛び起きる。カーテンの隙間から外をのぞくと、雨が降っていた。曇っているせいでよくわからないが、目覚まし時計の時間的にまだ日は昇っていないはず。さすがに、今日はもう一度寝るべきだろう。体を横たえ、薄い布団をかぶる。

 悪夢が、前にも増してひどくなってる。わかっていても、疲れた体の眠気には勝てない。

 夢を見るのは眠りが浅い証拠なのだという。ほとんど毎晩のように悪夢にうなされて起きる俺の体は連日の最悪な目覚めのせいで疲れ切っていて、起きようという気分にはなれない。

 このまま一日中横になっていたいものの、今日はそういうわけにはいかない。

 今日は金曜日。

 山本沙耶との、初デートの日だ。


   9


 今朝の雨でできた水たまりを避けながら前を歩く山本が、ちらりとこちらを見てから振り返る。

「緊張してるの?」

「え?」

「また怖い顔になってる」

「あ、あぁ……」

 今日は一日、山本が組んだプランで遊ぶことになっていた。

 俺は万一のために夢に出てくる制服とは似ても似つかない色の服を選んできた。山本は白のワンピースを着てきていて、二人とも、あの夢とは似ても似つかない。

 考えすぎだ、そうわかっているのに、またあの夢の中でのことを考えてしまっていたらしい。

 頭を振って振り切り、俺は山本の隣に並んで歩くことにした。そうしていると、山本独特の花畑みたいな香りがして、緊張もやわらぐ気がした。


「キャッ!?」

 道路を横切ろうとしていたとき、不意にスポーツカーがやってきて、そばの水たまりを盛大に跳ね飛ばしていった。飛び上がった泥が並んで歩いていた山本と俺にかかる。

「もう、最悪……」

 山本は取り出したハンカチで服についた泥を拭く。

「って、岡戸くんの方がひどいじゃん!? 大丈夫?」

「え、あぁ、なんともないけど」

 軽く水滴がついたくらいの山本と比べて、俺は泥のしぶきをもろに受けていたが、山本が心配するほどずぶ濡れというわけではなく、単に汚れた面積が広いだけだ。

「着替えた方がいいよー」

 山本が、俺の服についた泥を拭きながらつぶやく。

「そうだ、まだ時間あるし、服屋さんいかない?」

 確かに、汚れた格好のままデートをするのは変な気がしたし、俺は山本の提案に乗った。

 しかし、立ち寄った服屋で、俺は後悔させられることになる。


「じゃーん! どう? 可愛い?」

 服屋で代わりの服を選んでいると、山本が俺の目の前に飛び出してきた。

 その服装を見て、ギョッとする。

 白い半袖シャツに、赤い線が入った紺のプリーツスカート。あの悪夢の中と、寸分違わぬ見た目をしていた。

「どうしたんだ、その服」

「すごいでしょ? なんだかどこかの学校の制服みたいじゃない? 最近こういうのが流行ってるらしいよ」

 流行りに敏感なわけではないが、リビングで流れているテレビではそんな話はまったく聞き馴染みがない。

「ほらこれ、岡戸くんの分」

 渡されたのは、あのエンブレムのついた長袖の白いシャツと、黒い長ズボン。うちの制服とは生地が違うし、色合いも抑えられていて、コーディネート次第では私服に見えなくもない。しかし、俺のものもの山本のものも、上下をそろえるとどう見ても制服にしか見えない。

 おかしい。何かが。

 断水の日だからと学校でトイレを済ませたら、今まで知らなかったいじめの現場に遭遇したこと。帰りの、山本からの突然の告白。タイミングよく現れて泥を跳ねていったスポーツカー。そして、あの悪夢とまったく同じ制服。

 都合が良すぎる。いや、悪すぎる。

 まるで機械仕掛けの歯車みたいに、運命が回り出している気がした。

 俺が山本を殺し、今までの悪夢が、正夢となる最悪の未来は、もうこの時点で決定づけられていたのかもしれない。


   10


 曇った夜空の下、俺と山本は人気のない道を歩いていた。

「今日はありがと。楽しかった! 花火、見れなかったのは残念だけど」

 俺は、何も返すことができない。

「岡戸くん?」

「……あぁ、俺も、楽しかった」

 ようやくそう絞り出すと、山本は機嫌を損ねてしまったらしく、ほおを膨らませる。

「ーーもう、知らないっ!」

「あ、おい!」

 唐突に走り出す山本。夢中であとを追いかける。

「あはははっ」

 山本の笑い声が、星一つ見えない空の下に響き渡る。

「ねぇ、岡戸くん」

 走りながら、山本が振り返らずにつぶやく。

「私のこと、好き?」

「好きだ」

 切れかけている息を整え、答える。すると山本は、足を止めた。

「じゃあさ、今日は、泊まってかない?」

「え、どこに?」

 山本は、家族と暮らしていると言っていたはずだ。

「この先に、廃墟があるの。いつ行っても誰もいない、私だけの場所」

 嫌な予感がした。そして、それは的中する。



「待ってくれよ、山本!」

「こーこまでおいでー」

 俺たちは、とてつもなく長い、長い長い、螺旋階段を上っていた。

 あのときと同じ服装。あのときと、同じ距離感。

 数段上を駆け上る山本。スカートの中が見えそうだった。とはいえ、この暗闇の中で懐中電灯を向けるわけにもいかないので、俺は大人しく階段を照らし続けた。

 さすがに、というべきか、この現代にろうそくを刺す燭台はなかった。しかし、代わりに山本が持ってきていた懐中電灯がある。今は俺が持っていて、その点も違っていた。

 けれど。

 この無骨なコンクリート製の螺旋階段の先に、何があるのか。もはやわかりきっていた。

「あぁあ、着いちゃった」

 浅い息をしながら、山本がつぶやく。なんでもないように。いつもと変わらない調子で。

 対する俺は、あせりと、恐怖と、膨らむ欲求に胸が張り裂けそうだった。

 幸いなことに、それは殺意ではない。

 山本を襲いたいという字面は同じでも、そこに殺意は含まれない。

「はぁー、楽しかった」

 芝居がかった調子で声を上げ、山本が、手足を広げて大袈裟に床に倒れ込む。今度こそ、山本に向けていた懐中電灯が、スカートの中を照らした。

「エッチ」

 気づかれていたらしい。ばつが悪くなって、適当に目を泳がせていると、山本が着込んだ白いシャツの、一番上と、二番目のボタンを外した。

 山本の、ひかえめな胸元が曇り空の中のかすかな夜光に照らされる。

「ねぇ、岡戸くん」

「なんだ?」

「引くかもしれないけど、私って、結構マゾっぽいところあるの」

 異様に冷たい汗のしずくが、首筋からシャツの中へ入ってく。

「……首絞めとか、馬乗りになられるのとか、襲われるのとか、結構好き」

「生々しいな」

 表面上、笑う素振りを見せた。

「あ、今内心引いたでしょ?」

「引いてないよ、別に」

「じゃあ、して?」

 言いながら、山本がシャツのボタンを外していく。

 俺は。

 俺は。

 俺は。

「俺は」

 衝動を、

「そういうの、」

 欲望を、

「ありかもって、思うよ」

 抑えられなかった。



 曇った夜空の下、かすかな夜光と、そばに転がした懐中電灯の灯りを頼りに、俺は山本とセックスした。

 初めてを奪われた山本は、嬉しそうな反面、ひどく痛がっていて、辛そうにしていた。

 俺はその、闇の中に浮かぶ真っ白な肌を、裸になって、獣のように(むさぼ)った。

「なぁ、山本」

「何?」

「俺、」

 俺、

「お前が好きだ」

 お前が、殺したいほど、好きだ

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