地球へ。
ウエアル城
「サクラ姫、一年間大変お世話になりました」
「こちらこそ」
神子に任せられた佳子さんの研修は終わりになった。
佳子さんは一年間と言ったけれど実際はもっと長い。
研修とはいえ何も教えてはいない。私はウエアルの現状をただ見せていただけ。
彼女の帰る世界とここは違う。
研修として死刑執行も見せた。だが、殺したのは犯罪者。きっと佳子さんの世界では善人も殺さねばならない日が来る。罪のない人も殺さねばならない。
彼女も解っている筈だ。
だが前向きな態度を崩さない。
彼女はなんて強いのだろう。
「いつまでもここに居ていいのですよ」
「有難う。でも行かなきゃ」
駄目か。
留まってはくれない。
それどころか関係ないことを聞いてきた。
「サクラ姫ってエチゴヤと結婚するの?」
「しません」
「いい感じだったのに。勿体ない」
「お互いの立場と仕事があります。エチゴヤ様にはかつて匿ってもらったご恩もあります。素晴らしい殿方ですが、結婚するべき相手ではありません。私は領主ですから結婚するならエチゴヤ様をオーリンから奪うことになります。それに公務に穴を開ける訳にもいきません」
「えー、まさか一生結婚しないの?」
「そのつもりです」
「勿体ない」
佳子さんは勘違いしているけれど、テニス観戦中にエチゴヤ様と私が仲良く盛り上がったのはコユキ姉様の話をしていたからだ。
あの時、エチゴヤ様はコユキ姉様を好きなのだと確信した。しかしそれを表に出さずに生きている。エチゴヤ様は恐らくは死ぬまで口に出さないだろう。
まあ、姉様を好きなのは私も同じ。
「それに私の特殊能力は子供にも遺伝すると神子に聞いています。この力は危険です。遺す訳にはいきません」
「でも、サクラ姫は使うんだ」
「時と場合によります。それにもし私が暴走したら姉様に私を殺すようにとお願いしてあります。あの二人は私より上です」
「あぶないなあ」
「それより佳子さんには御礼を言わねばなりません。魔王を討伐してもらったこと、佳子屋を作って貰ったこと。ウエアルの景気が良いのは佳子さんのお陰です」
「誉めすぎ。もともと景気は上がるとこだったんだから。それにあれはツバキさんのお陰だよ」
佳子屋の醤油と鶏と鶏の卵は人気商品であり、対オーリンでは穀物に次ぐ稼ぎ頭になることが予想される。
感謝しかない。
「佳子さん、もしこの世界に帰ってくるなら早いうちに戻ってください」
「ごめん、戻らないよ」
「神々の決めることですが、何年かしたら世界間移民が制限されるかもしれません。増えるであろう鬼対策です。貴方でも規制されて通れなくなるかもしれません」
「そっか。でもそれは仕方ないよ。私は私の大事な人達と一生懸命生きるよ」
「そうですか。幸運を祈ってます」
そして佳子さんは城内を挨拶して回り、白い車で去って行った。
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エチゴヤ邸
ウエアルからオーリンに戻った佳子殿はまず我が家に来た。
佳子殿とはテニスの試合以来だ。
旅の疲れを癒すために茶菓子を出したのだが案の定佳子殿の度肝を抜くことが出来た。
「こ、これはハチミツ!」
「ほほう。ハチミツを知っておるか」
部屋の隅で凛として立ちながらも勝利の顔つきをする女中頭。
佳子殿は最近菓子の開発に尽力しておったらしいが、こちらとて立ち止まってはいない。
様々な固さの菓子に、様々な食感の菓子が生まれた。
しかし問題は仕上げの味付けの種類の少なさ。
そんなある日、女中頭は私に珍しい菓子を作って持ってきた。
いや、菓子自体は珍しくない。珍しいのは載っていた黄金色のあん。
甘く香りが良くとろりとしている。水飴ではない。
「これはハチミツです」
蜂が集めた花の蜜と聞いて度肝を抜かれた。
普通なら蜂の巣には近づくことすらできない。
しかし女中頭は手に入れたのだ。
まだ活きてる蜜蜂の巣を解体するというのだ。
理屈では分かる。なにかの丈夫な服を着て刺されないように巣を手に入れる。
だが簡単な作業ではない筈だ。
このハチミツの甘さと旨味は砂糖では得られない。
当然大量には採れない。
この女は頭が良い。あのユキオ殿でさえライバルと見ている節がある。
しかも、人に押し付けるのではなくて自身でやりたがる。きっと何かの方法を確立したに違いない。
しかし、この量が採れないというのは価値を高めることに繋がった。
女中頭の作る菓子はハチミツをかけただけで価値が跳ね上がるし、売るほどの量が用意出来ないのでこの屋敷に来なければ食べられない。
この女中頭は量産するものと囲いこむものを明確に分けている。
このハチミツを使った菓子は当家のもてなしでしか食べることができない。
女中頭のお陰で何かと有利に事が進められる。『エチゴヤとは仲良くした方が良い』という図式が出来てしまったのだ。
冷静に考えるとこれはユキオ殿の手法だ。
ユキオ殿はさびれた村の存在価値を高めるためにラーメン屋を村に設立し、そのラーメンのレシピは不出となっている。ラーメン屋はあの村にしかない。あまりの美味さに真似るものが出たが味を再現できた者は居なかった。
そのお陰でユキオの村は守るべきものと扱われるようになった。
「こうきたか~!くやし~!」
悔しがりながらもどんどん菓子を口に放り込む佳子殿。
少し気分が良い。
私は良い部下に恵まれた。
現在飛ぶ鳥の勢いの佳子屋の創立者を悔しがらせるこどが出来たのだ。
佳子屋の菓子は最近味を上げているそうだが、まだまだこちらの方が上だ。
しかし、佳子屋の新商品の醤油。
塩辛い調味料だが、慣れると使い道の多い調味料のようだ。
何しろこの醤油にユキオのラーメン屋と女中頭が食いついた。
高価な調味料なのに女中頭は私の判断も聞かずに通年買い付け契約を決めてしまった。まだ販売初年度の代物なのに。そしてある程度自前で調達できるユキオ殿まで契約している。不思議だ。
佳子殿は故郷に帰るという。ユキオ殿の故郷と同じところだそうだが、行ったらもう戻らないらしい。
なんと残念な。
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リリイ村
世間ではユキオの村と呼ばれるが、正しくはリリイ村だ。
久しぶりに佳子がこの村に戻ってきた。
あの頃とは違う村の様子に佳子は驚いて居た。
私とラララとユキオの家は変わりは無いが、ラーメン屋は席数が10席から60席に増えているし、厨房もでかくなった。
私の仕事場とも言える道場も屋根がつき、合宿宿舎も1棟しかなかったのが3棟に増えた。
今は私が村を留守の時は師範代行をリエに任せている。
カツオがその座を狙っているようだが、強さではリエの足元にも及ばない。
村はでかく豊かになった。
ユキオが今進めているのは左手に頼らない体制作り。
今はいい。
しかし30年後にはユキオの故郷から物資が手に入らなくなる。
今から少しずつこちらの世界での生産品に切り替えていかねばならない。
ラーメン屋にとっては佳子屋の醤油は朗報だった。
失いたくないもの、それは多岐に渡る。
食材、衣類、工具、道具、そして車とバイク。
なんの事はない昔に戻るだけ。
しかし、一度味わった快楽や便利さには未練がある。
私にとってはバイクとシューズがそれだろう。
そしてヘアカラー。
ギルド嬢で元鬼斬りコユキは獄門されたと瓦版にのった。奉行所の記録もそうなっている。
もともと鬼斬りは世間にはほとんど顔を出さない。
進化ヒールもあり元の金髪になったところで前の私とはきっと別人に見える。
そもそも一族は私と息子しか残って居ない。
本名で暮らしているのに誰も本当の私を知らない。
今や有名人でありながら忘れられた存在。
だからだろうか。
故郷と過去を捨てたユキオと居ると気が楽になる。
10日後、佳子は故郷に帰る。
その作業に合わせてクラリスもこちらの村に来る。まあ、私が迎えに行って、車に乗せて来るのだが。
佳子はツボヒサ小屋跡地に向かった。
そこは佳子がこの世界に落とされた地。
そして佳子の学校の仲間が28人鬼として死んだ土地。
その28人は私たちが斬った。
佳子は鬼斬りの私たちのことを恨んでないという。仕方がなかったのだと。
佳子は私には嘘をつかない。その言葉は本心だろう。
佳子はその地に花を捧げる。
最初で最後の供養。
お前も辛いものを背負ってしまったな。
長い祈りを済ませて立ち上がった佳子に向かう。
「佳子よ、やはり戻るのか」
「故郷ですから」
「佳子、神子の産まれた時の話をしたのを覚えて居るか。
ラララが神子を産み、私とサクラが乳母となった」
「はい」
「その後、神子は私たち3人に神の恵みというか祝福をくれた。
ラララは神の後継者としての力を。それは強大な力だ。生命を作れるほどの力だ。
目的はただ一つ。トムムの復活の為だ。
サクラは人の心を読み、操り、祭り、苦しめ、喜ばせ、時には命すら素手で奪う力を得た。
力のない娘が町を統治するためだ。
そして私だが、何だか解るか?」
「力・・・ですか?」
「何も貰っていない。保留にしてある」
佳子が少し目を向いた。
「そう、私は神子から何も受け取っていない。私は強い。神の力を受け取れば更に強くなるだろう。しかしそれを使わなかったのはわたしの剣士としての意地だ」
「使ってない?」
「そうだ」
もう、充分過ぎるほど貰って居る。
それこそ弟子を取るようになってから努力の結晶を見せる為に神の力は受け取らなかった。
人のままでないと判らないこともある。人の限界を忘れてしまう。
「でもヒールはしましたよね」
「細かい事はいうな」
これからが本題だ。
「それでだ佳子、その保留になってる力をお前にやる。神子には話をつけてある。お前の行く先は絶望的だ。その力があったところでどれほど立ち向かえるかは分からない。お前がその力をどう使えば正解かは私だってわからない。よく考えて大事に使え。これは私からの選別だ」
一番弟子の佳子よ・・・
本当なら死地には行かないで欲しい。
「コユキさん・・・」
「お前が泣くとは珍しいものが見れたな」
最後に師としてしてやれるのはこれだけだ。