5章 2話 マリアの記憶を呼び覚まそう
日常回です。
記憶喪失。
それはたった一言だ。しかし、その内容は多岐にわたる。
原因。症状。
記憶を失うことこそ共通しているが、ケースは多様。
だからこそ薬もなければ、確実な治療法もない。
世良マリアは記憶喪失だ。
だが、どのような経緯で記憶を失ったのかは分からない。
強い物理的衝撃によるものか。
強い精神的衝撃によるものか。
なんらかの超自然的な力によるものか。
それが分からなければ、取れる手段も特定できない。
とはいえ彼女の記憶が鍵となる可能性がある以上は、何の手も打たないわけにもいかないのだった。
「――どう? おいしい?」
蒼井悠乃は笑顔でそうマリアに尋ねた。
彼が作ったのはパスタ――アラビアータと呼ばれる料理だ。
トマトの甘みと唐辛子の辛さがマッチした悠乃の得意料理の一つだ。
味としては悠乃の好みもあって、甘みをベースにして辛味はアクセント程度に抑える。
本場の味とは違うものだろう。なのでこれは悠乃流アラビアータだ。
「うふふ……♪」
悠乃は笑みをこらえきれない。
彼が料理を振る舞う相手といえば両親くらいだ。
もちろん不満はない。
しかし、他の人からの意見を聞いてみたいと思うのも事実なのだ。
――以前、マリアはアイスに興味を示していた。
味覚は生きていく上で多く刺激される感覚だ。
こうして様々な料理を食べさせることでマリアの記憶回復を促す。
それが蒼井悠乃の考えた作戦だった。
「…………」
しかしマリアは何も言わない。
ただ悠乃の顔を見ている。
「……あんまり好きじゃなかった?」
悠乃は表情を曇らせた。
そんな彼を見つめると、マリアが口を開く。
「――新婚みたい」
「……………………………………」
悠乃の表情が死んだ。
きっと何気ない一言だったのだろう。
しかし、だからこそマリアの言葉が悠乃の胸を貫く。
「――あまり、こういう料理はピンとこない」
マリアは「美味しいけど」と口にして、続きを食べ始める。
「環さんからもらったカップ麺。あれは食べ覚えがあった」
マリアはそう淡々と喋る。
食事の手は休めないまま。
「でも美味しいとは思わなかった。だけど、食べ馴染みがあるのはそういう食べ物ばかり」
そういう食べ物――インスタント食品全般の事だろうか。
手作りの料理をおいしいとは思う反面、食べた記憶が呼び起こされることはないという。
逆にインスタント食品――小さな子供でも作れるものは食べた記憶が残滓程度には感じられる。
「私はあまり、温かい家庭には恵まれていなかったのかもしれない」
「そ、そんなこと……。ほら、貧乏だったからカップ麺が多かったとか。安いし」
「……そうかもしれない」
マリアはそう言うとフォークを置いた。
完食だった。
「でも、家族を思い出そうとしても思い出せない」
「仕方ないよ。記憶喪失ならさ」
「ううん」
どこか虚ろなマリアの表情に、思わず悠乃はフォローを入れた。
しかし彼女は納得がいかない様子で――
「直感で分かる。私は何かを忘れていると」
マリアは窓の外を見上げる。
「《逆十字魔女団》が求めている事実かは分からない。だけど、私が重要な何かを忘れてしまっていることは分かる」
彼女は次に床へと視線を落とした。
「だけど同時に分かってしまう。私は家族を覚えていない――引っかかりさえ覚えないほどに。つまり、私にとって大事な記憶ではなかったということ」
そう語るマリア。
悠乃が今、マリアへとかけられる言葉は何があるのだろうか。
そう思った時、勝手に口が動いていた。
「ならきっと――」
悠乃は微笑んだ。
「今も――マリアの両親はどこかで生きているんだよ」
「……なんでそうなるの?」
怪訝そうな表情でマリアは問い返してきた。
「だって大事な思い出じゃなかったんでしょ? 家族の事」
「……うん」
「なら家族は生きているよ。生きているから、そんなに大事だと自覚していなかっただけだ」
根拠なんてない。
まだ悠乃たちはマリアの正体の糸口さえつかめていないのだから。
「両親の存在なんて、生きているうちはそんなに真剣に考えないものだよ」
悠乃はそう語りかける。
「だから家族との思い出が大事じゃないわけじゃない。ただ、『何気ないもの』だっただけだよ」
悲観しないで欲しい。
きっと取り戻した記憶の中には、幸せな記憶が詰まっているから。
そう悠乃は信じたかった。
「――そういう考え方もあるのね」
マリアは机上の水を飲む。
こころなしか先程までよりも表情が柔らかい。
「私に記憶はない」
マリアはそう言う。
「でも、何かが私を導いた」
マリアはあまり深く自分について話そうとしない。
失われた記憶についてだけではない。
今、どう思っているのか。
それさえも最低限しか伝えようとしない。
そんな彼女が自発的にこのような話をするのは珍しい。
「理由は分からない」
彼女の瞳はどこか遠くを見ていた。
「だけど、ここに私は来るべくして来た」
そう彼女は断言する。
悠乃とマリア。
二人の視線が交わった。
「私は……あなたに会うためにここに来た?」
魔法少女同士。
その縁が彼女をここに呼び寄せたのだろうか。
ふとマリアの視線が机に残った皿へと移る。
「――料理が上手な嫁」
「もしかして――私を導いたのは……運命の赤い糸だった……?」
「――違うと思います」
悠乃は無表情で否定した。
彼には『嫁』になるつもりなど一切ない。
確かにマリアは容姿端麗で、どこかミステリアスな雰囲気は放っておけない空気感がある。
そういう彼女に惹かれる部分がないとも言えないかもしれない。
しかし、嫁だけはなかった。
「そう。――花嫁衣裳を着たあなたを見て思うところがあったから――そういうことなのかと思ったのだけど」
「ええ……」
悠乃には微妙な表情を浮かべることしかできなかった。
☆
「テストの結果は国語だけ高得点。対して他の教科は全滅ですね」
黒白美月は答案用紙を苦々しげに見つめている。
無論、これは彼女自身が解いた問題ではない。
――世良マリアが受けたものだ。
彼女の正確な年齢層を導き出すため、美月は彼女に高校入試の問題を解いてもらったのだ。
結果は前述の通りだ。
「国語は難しい漢字も読めていますし、中学生としての教育を受けた形跡はありますね」
美月は答案からマリアの素性を解き明かそうと考えを巡らせる。
「しかし、他の教科となると一気に点数が落ちる。そこから推測できる可能性は二つ、『単純に国語が得意』もしくは『この時期の内容を習ってから時間が経っている』といったところでしょうか」
「んー? どゆことー?」
美月の言葉の意味が分からなかったのか、春陽は質問する。
そんな彼女へと美月は指を立てて説明し始めた。
「簡単です。国語はもっとも点数が落ちにくい教科だからです。日常で触れ続ける以上、読解力というものはそれなりに保たれます。しかし、他の科目は時間が経つほどに記憶が風化していきます。もし大人が高校生のテストを受けたとすると、このように国語だけは点数が取れても、他の教科は分からない――という事態になることが予想されます。同じようなことが世良さんにも起こっているのではないかと考えたんです」
「んー?」
春陽は首をひねる。
「――この結果を受け、私は『世良さんは高校生』もしくは『長く魔法少女としての活動に専念していた時期がある』と推察しました」
高校生ならば、中学時代の知識が抜け落ちていてもおかしくない。
魔法少女として活動するあまり学業をおろそかにしていたのなら知らなければ解きようのない科目が分からないのも仕方がない。
「もちろん、ただの得意不得意の可能性もあるので断言はしませんが」
そう言うと、美月はメガネを指で押し上げた。
「真面目だぁ」「真面目だな」「確かに知識水準での年齢の逆算という切り口は面白いですね」
蒼井悠乃、朱美璃紗、金龍寺薫子はそれぞれの言葉で反応を示す。
3人からも一定の理解を得られたようで美月は内心で胸をなでおろす。
なんとか役に立ちたいと思って必死に考えた方法だったのだ。
「しかし一番気になるのが――」
美月は目を細める。
テストの採点をするにあたって、彼女は問題の解答だけを見ていたわけではない。
正解率。正解できた問題の傾向もチェックしていたのだ。
そして、一つの違和感を見つけた。
「なぜかどの教科でも選択肢のある問題は全問正解という点です」
そう。A~D。ア~エ。1~4。
どんな形であれ、候補が提示された問題はすべて正答しているのだ。
知識が抜け落ちているのなら、確率論的にあり得ない数字なのだ。
「……運命に導かれた」
「そんな運命があるのなら私も導かれたいですよっ……!」
マリアの言葉に美月は頭を抱えた。
そんな運命。受験生であれば誰でも欲しいものだ。
二者択一を間違え続ける美月としては特に。
「うんうん。あるよねーそういうこと」
一方で黒白春陽はマリアの言葉に同意をしている。
確かに彼女は適当に書いた答えがわりと当たるタイプだった。
どこか通じ合う部分があったのだろう。
世良マリア――わりと幸運体質。
美月は調査ノートにそう書き加えるのであった。
ちなみに、マリアがよく口にする「運命に導かれた」というセリフは、彼女が持つ固有能力の副産物という設定です。




