最終章 エピローグ5 初仕事
リリスの過去後編です。
「灯花……」
地面に倒れた親友。
彼女の頬をリリスは撫でた。
そして――
「せめて――あの世が、貴女にとって幸せな世界だと良いわね」
愛おしさを込め、開いたままになっていた灯花の目を閉じさせた。
彼女が安らかな表情を浮かべていたことに安堵する。
もしも彼女の顔が恐怖に歪んでいたら。
リリスがそんな不安にかられることを彼女は分かっていたのだろう。
だから灯花は死を前にしても笑って見せた。
「終わったわね……灯花」
リリスは空を仰ぐ。
灰色の。今にも泣き出しそうな曇天を。
コツン。
「…………?」
音が聞こえた。
何かが転がるような。
リリスは首を傾げて、振り返る。
「な――」
そして、固まった。
「オレたちの家を――返せ!」「この化物!」「ふざけるな!」
――石だった。
クレーターの外側から投げ込まれたのは石だった。
その標的になっていたのは――
「とう……か……?」
――灯花だ。
彼女の死体に石が投げられる。
悪魔に操られ苦しみぬいた親友。
そんな彼女を、死んでなお苦しめていた。
――彼女に救われ続けていたはずの人間が。
人間は悪魔の存在なんて知らない。
彼らにとって、自分たちの命を脅かしたのは灯花なのだ。
だから人々はぶつける。
全ての苛立ちを。
全ての不満を灯花にぶちまけているのだ。
(ふざけないで――)
彼らは知らない。
自分たちを助けてくれたのが灯花であることなど。
(知らない癖に――)
(逃げ惑うだけだった傍観者が――)
リリスの中でドス黒い狂気が沸騰する。
そして――臨界点を突破した。
「Mariageゥゥゥッ!」
リリスの体から闇が噴き出す。
それは一瞬にして町へと拡散する。
そして――
「ぐぁ!」「ぎぐばばばばば!」
人々が苦しみ――塵になる。
肉と骨を分解され、粉々になってゆく。
「あひはひはははははははッ!」
リリスの哄笑が響き渡る。
涙と笑みが溢れて止まらない。
親友を失った今、彼女の狂気を止める者はいない。
「何も知らない癖に、全部終わったら死体蹴りだなんて傍観者様々だヨネ」
リリスの狂気に呼応し、町中の人間が死んでいく。
初めての殺人。殺戮。
心の枷が壊れてゆく。
「そんな無責任なことができるのは、自分は関係ないって思ってるからデショ?」
もう敵は死んだ。
だから自分の命は保証された。
そう考えているから、攻撃できた。
その無責任さの根幹にあるのは当事者意識の低さ。
自分に危機が及ばないと思った時、人はどこまでも傲慢になれる。
だから――
「アタシが――当事者に引き戻してアゲル」
傍観者に死の恐怖を。
「この世界にはいくらでも死が潜んでいるんだヨネ。この世界に、傍観者なんていないんだカラ」
この世界に安全圏などないと教えよう。
いつだって理不尽な死は存在するのだと。
この世界は理不尽。
だが、美しい。
だって、大切な親友が守った世界だから。
故に愛そう。
理不尽も。
この、破滅的な世界をも。
「本当にこの世界は――」
「――破滅的だヨォ」
☆
「あ……はぁ――」
喉が枯れるほどに笑った。
リリスはその場に倒れ込む。
この町にいた人々は全員殺した。
何千人だろうか。何万人だろうか。
「――最低で最高の気分だヨォ」
心の充足感。
これまで埋まることのなかったピースが埋まった。
初めて、天美リリスとして歩み出せた。
そんな満足感。
同時に、かけがえのない人を失ってしまった喪失感。
もう、昔の天美リリスには戻れないという感覚。
相反するそれは矛盾に満ち、あまりに破滅的だった。
「は――?」
いっそ世界を滅ぼそうか。
そう思い始めた頃、灰色の空に人が現れた。
幾何学模様の瞳。
漆黒の花嫁衣裳。
朽ちかけた光翼。
見覚えのない姿。
だがそこにいたのは――
「……アタシ?」
――天美リリスだった。
見たところ高校生程度。
あと6年ほどで自分もそうなるであろう容姿を持つ少女がそこにいた。
「アハ……! 初仕事が、自分の処理って皮肉だヨネ」
少女――女神リリスは笑う。
「――誰?」
「さぁ? 未来のアタシ……なんじゃナイ?」
未来。
それは奇しくも、リリスが想像した通りの答えだった。
確かにリリスと女神リリスは、姉妹でさえ説明できないほど似通っている。
――もはや同一人物といわなければならないほどに。
「で? 何しに来たワケ?」
「世界を滅ぼすのはやめてヨゥ……って平和の使者遊びをしに来たんだケド」
「きはっ……!」
滑稽だ。
まさか自分が、自分を止めに来るとは。
「なに? アンタはここで何があったか忘れたワケ?」
「忘れるわけ、ないんですケド」
女神リリスの目が見開かれる。
リリスが気圧されそうになるほど凄まじい威圧感があった。
分かる。
6年の月日を経てなお、女神リリスの中でこの町の悲劇は薄れていない。
「――良かったァ」
リリスは立ち上がる。
「アタシは、何年経っても灯花のコト忘れてないんだヨネ」
当たり前のこと。
それが証明され、リリスは狂喜する。
「5年」
「は?」
女神リリスの言葉をリリスは問い返す。
一方で、女神リリスは勝手に語り始めた。
「5年経ったら、美珠倫世って魔法少女に会ってヨネ」
「?」
「そして、仲間に星宮雲母を誘ウ」
「だから、さっきから――」
「そうすれば多分だケド。ここで世界を滅ぼさなかったことの意味が分かるカラ」
――意味が分からない。
おそらく、今のリリスが未来の彼女に至るまでに経験した出来事を加味した上での言葉。
だからこそ今の彼女には分からない。
破壊衝動を持て余す彼女には。
「なに? アンタは人間を滅ぼして後悔したってワケ?」
それでタイムスリップじみた真似をしてまで忠告に来たのか。
そう嘲笑うリリス。
「ていうか、アタシも忠告されてこうなったわけなんだヨネ」
女神リリスはそう言った。
直後、彼女が放った光がリリスの胸を貫く。
――痛みはない。
おそらく麻酔だ。
リリスを殺さずに無力化するための魔法だ。
「ま、経験者だから言えるって奴だヨネ」
「あのエンドに、アタシは満足してるカラ」
「ぁ――」
リリスの意識が落ちてゆく。
最後に見えたのは、未来の自分。
「ま、どうするかは勝手に決めれば良いんじゃナイ?」
そう笑う、女神リリスの姿が目に焼き付いた。
☆
「あ~あ。本当に、休む時間もないワケ」
女神リリスは己の手を見て嘆息した。
すでに指先が光の粒子となり消えかけている。
次なる世界に呼ばれているのだ。
「――せめて最後に」
リリスは跳ぶ。
その先にいたのは――灯花。
己の手で殺した、大切な親友。
彼女の姿をもう一度目に焼き付ける。
「もう……会えないんだヨネ」
リリスは灯花の頬を撫でる。
「アタシはもう死なないから、これが本当に最後」
あの世での再会などという夢さえ見られない。
もう、灯花には会えない。
それは確定してしまっている。
「アタシ……本当に後悔していないカラ」
「灯花が守った世界を、守れるんだもの」
リリスの顔が、優しく歪む。
雫が、灯花の頬を濡らした。
「まだ自分でも、自分のことが分からないケド」
狂気と正気。
どちらが己の本質か分からない。
分からないままに暴走してゆく。
「でも、時間はたくさんあるカラ。いつか答えも見つかるヨネ?」
無限に等しい時間がリリスにはある。
――リリスの体が消えてゆく。
腕が、足が。
すでに体の半分ほどがこの世界から消えている。
「答えを灯花に伝えられないのは残念だケド――」
胸が消えた。
この世界に留まれるのはほんの数秒。
だから最後に伝えるのは――
「がんばって来るカラ」
謝罪でも感謝でもない。
未来へと向かう決意だ。
女神は時間にも世界にも縛られない。
だから女神化したリリスが、過去のリリスにアドバイスすることができます。
スカウトされることなく、リリスが《逆十字魔女団》の結成に滑り込めたのは、未来の自分に倫世と会うように未来の自分に言われたから。
何の面識もなく、部屋にこもっていて出会う機会のない雲母をリリスが勧誘したのは、未来の自分に言われていたから。
などなど、普通に考えると知り得るはずのない知識を前提とした行動をリリスがしている場面があります。
それでは次回は『タロットが裏返ってから』です。




