最終章 エピローグ4 大魔
リリスの過去編です。
灰色の空の下に広がる町。
そこで起こるのは――爆発。
破裂音のたびに建物が崩落してゆく。
半ばで折れたビルがそのまま瓦礫の山となる。
「逃げてリリス先輩っ!」
少女の声が響く。
黒翼を生やした少女は肥大化した右腕を振り上げる。
彼女が狙うのは絵の具の翼を広げた少女。
少女――天美リリスはブレザーとスカートの上にエプロンを纏ったような衣装で空を駆ける。
彼女を地面に叩き落とさんと黒翼の少女が腕を振り下ろした。
「ぅぐっ……!」
リリスは腕を交差してガードするが、踏ん張りの利かない空中では耐えきれない。
彼女は紙屑のように吹っ飛ばされる。
「痛つ……」
民家に突っ込んだリリスは頭から血を流す。
こぼれた血液がエプロンを汚した。
「避けてぇっ……!」
少女の悲痛な声が響く。
しかし、言葉とは裏腹に凶悪な魔力が収束してゆく。
そして彼女は漆黒の《魔光》を撃ち出した。
「灯花ぁ……!」
それに対応し、リリスも《魔光》を放った。
彼女が愛するパートナー――鬼灯灯花を狙って。
拮抗する魔法。
だが徐々にリリスが圧され始める。
だから――
「《暴虐の侵蝕病魔》!」
リリスの体を触手が包む。
幾本もの触手を編み上げ、混沌の花嫁衣裳を作り上げる。
跳ね上がる魔力。
そして均衡が取り戻される。
数秒間の衝突の後、互いの攻撃が同時にかき消える。
結果は、互角だった。
「灯花!」
リリスは少女の名を呼ぶ。
灯花は悲痛な表情でリリスを見下ろしていた。
「ごめん、なさい……」
灯花の瞳から涙が落ちた。
彼女の顔。
その半分が黒い影に覆われている。
肥大化した腕も、影に包まれていて彼女の肌は見えない。
今の鬼灯灯花は《悪魔憑き》。
悪魔に願いを叶えてもらい、悪魔の奴隷となった者。
それを知っている灯花が悪魔にただ願ったとは考えづらい。
だとしたら――可能性は限られる。
悪魔の奴隷となってでも叶えるべき願いがあったか。
――無理矢理に願わされたのか。
「ベリアルっ……!」
リリスは叫ぶ。
そこに狂気はない。
あるのは純然たる憤怒。
大切な人を凌辱されている、その事実に巻き起こされた憎悪だ。
「そうだ。俺様こそが大魔ベルセリオ・アレクセイ。その名を噛みしめて、死んでいけ。救世の魔法少女よ」
「己を殺す者の名も知らないのでは、不安だろうからな」
悪魔の腕が振るわれる。
――灯花を支配しているのは悪魔王ベリアル。
戦いが長引くにつれ、彼の支配はさらに増している。
すでに灯花の体の半分が彼に奪われている。
「がッ……!?」
高速で伸縮する悪魔の腕が、リリスの左腕を吹き飛ばした。
引きちぎった腕ごと悪魔の剛腕は遠くの建物を破壊した。
あれではリリスの左手は今頃ミンチだろう。
「いやぁぁ! リリス先輩……!」
悲痛な灯花の声が響く。
(あぁ――)
リリスの腕から血が溢れる。
貧血で頭がクラクラする。
(私は――壊れてる)
それは客観的な答え。
彼女とてこの世界で生きてきたのだ、己が秘めた衝動がこの社会において異物であることなど理解している。
破滅を愉しみ、悲劇を呼ぶ衝動。
殺戮への異常なほどの躊躇いのなさ。
なのに――
(やっぱり、私は生きているだけで罪なんでしょうね)
なのに、よりにもよって――
(よりにもよって――最後の敵が、私が絶対に殺せない人だなんて)
世界は言っているのだろう。
死ねと。
人の中に生まれた異物であるリリスは、ここで死ねと。
そのために用意したのだろう。
殺しをなんとも思わないリリスの天敵を。
(あの子だけは……殺せない)
大切だから。
こんな壊れた自分を受け入れてくれたから。
肯定はしていない。ただ、それがリリスなのだと受け入れた。
性根を変えようとはしなかった。だが、最後の一線を越えそうなときは止めると言ってくれた。
それだけのことが、どれだけの救いだったか。
「リリス先輩……お願い」
「私を……殺して」
灯花の懇願。
それは、リリスの願いと逆行するものだった。
きっと他の誰かの願いだったなら嬉々として実行していただろう。
枷を失った猛獣のように食い荒らしただろう。
だが皮肉にも、灯花にだけは――できなかった。
☆
町には大きなクレーターができていた。
そこの中心にいるのは二人。
体の大半を影に奪われた灯花。
血だまりに沈んだリリス。
クレーターの周辺には人々が集まり始めている。
町の異常の元凶がそこにあると理解しているのだ。
人々は己の命運を決める戦いの行方を見届けに来ているのだ。
「――終わりだ」
「やめてぇぇぇぇぇぇ!」
ベリアルの声と灯花の声。
正反対のそれがシンクロする。
迫る悪魔。
リリスは何とか身を起こす。
だが足の骨は砕けていて立つことさえままならない。
しかし――
「…………!」
灯花の動きが止まる。
リリスにトドメを刺そうとした直前――リリスが動き出したからだ。
彼女が――抱きしめたからだ。
突然の出来事に灯花は硬直する。
ベリアルの支配さえ及ばないほどに。
「分かったわ……灯花」
「リリス、先輩」
リリスは右手を灯花の後頭部に添える。
「今から――貴女を殺すわ」
「でも、勘違いしないで」
リリスは灯花の髪を撫でた。
「衝動に任せて殺すわけじゃないから。誰にでも向けるような感情で、貴女を殺すわけじゃない。貴女のためだけの感情で――殺す」
今、彼女の命を握っている。
なのに衝動は顔すら出さない。
だから理性で殺す。
「私の大切な親友を、人殺しになんてさせたくないから」
「そのためなら――貴女を殺せる」
リリスの指先が、灯花の後頭部を抉った。
頭蓋骨を貫き、脳髄を破壊した。
「《色欲の災厄》」
リリスの魔法により、灯花の神経が機能を止める。
痛みも、思考も抑制されてゆく。
「せめて――苦しまずに逝けるように、するから」
「リリス……先輩」
「ごめんなさい……助けてあげられなくて」
リリスは目を閉じる。
胸に渦巻くのは後悔ばかりだ。
「ううん。リリス先輩は助けてくれたよ」
灯花が流した涙がリリスの肩に落ちた。
なんとなく分かる。
鬼灯灯花は笑っている。
泣きながらも、笑っている。
満開の笑みを浮かべている。
「――ありがとう。……リリス先輩。私を……殺してくれて」
灯花の脳を――握り潰した。
彼女の死体から絶叫が響く。
地の底から響くような、不愉快な叫びが。
すると黒い霞が灯花の体から滲みだした。
「くそ! なぜだ! なぜ俺様が――!」
「私が灯花を殺せないと思って、あの子と完全にリンクしたのが仇になったわね」
すでにベリアルは灯花と命のレベルで結合している。
だから灯花が死ねば、ベリアルも死ぬ。
灯花の体を切り捨てて逃げることも叶わない。
文字通り、運命共同体なのだ。
「この俺様は大魔ベリアル! 世界を統べる者だ――!」
ベリアルは狂ったように叫ぶ
「《妖魔王》魍魎も! 《獣魔王》レオパルドも! 《彩魔王》ラフガ・カリカチュアも! 俺様ほどの歴史と能力を持つ王はいない! この《悪魔王》ベルセリオ・アレクセイこそが! 王! 神! 《魔神》に至る者なのだッ!」
彼の叫びも所詮は悪足掻き。
過去の栄光も。
己への自負も。
目的が叶わない以上、虚しいだけだ。
憐れなだけだ。
「この俺様は――!」
怒りの絶叫とともに、影が消え去った。
悪魔を従える王ベリアルの命が尽きたのだ。
――世界が、救われたのだ。
死後に明かされるラフガの正式な称号……。
歴代のラスボスたちには《~魔王》という風に、本人を示す名前がつきます。
とはいえ、《魔界樹》なんかはラスボスですが災害に近いため魔王としての名前はありません。
ちなみに《妖魔王》魍魎は倫世が、《獣魔王》レオパルドは寧々子がそれぞれ討伐しています。
それでは次回は『初仕事』です。




