最終章 50話 悪夢の終わり
グリザイユ編最終話となります。
「これで、エレナさんが捧げたものはすべて取り戻しました」
薫子はそう言うと、禁書を閉じた。
目、指、耳、腎臓、記憶。
グリザイユが――灰原エレナが捧げたものはすべて、捧げたという事実そのものが失われると同時に返還されている。
それに伴い、増加していた魔力も消え、エレナの魔力は《花嫁戦形》に覚醒した直後相当にまで落ちていた。
「目を覚ました時には、最初のエレナさんに戻っているはずです」
「そう――」
薫子の言葉に、ギャラリーが安堵のため息を漏らした。
安らかなエレナの寝顔。
身を挽き潰すほどの責任を背負い続けた王女。
そして本当は、優しいだけの普通の少女。
今の彼女の表情には一切の気負いも苦しみも見えない。
目を覚ませばそうも言ってはいられないのだろうけれど、今だけはエレナには安寧の中にいて欲しいと思う。
「…………ぬぅ」
とはいえ、そういう運命なのか、そういう気質なのか。
エレナは想像よりも早く目を覚ます。
戦争が終わるまで伏し続けるなど、彼女の生き方ではないのだろう。
「――妾は」
エレナが口を開く。
彼女は仰向けに倒れたまま、周囲の人間を見回した。
すでに彼女は5年前の記憶取り戻した。
そして、さっきまでの戦いについても覚えている。
そんな彼女は――
「ッ……!」
エレナが身を起こす。
その瞳に浮かぶのは――戦意。
すでに彼女は理解している。
薫子が女神ではなくなったことを。
だが、《怪画》を脅かす存在はいる。
――女神マリア。
彼女がいる限り、《怪画》の破滅は変わらぬ未来だ。
「お姉様!」
今にも飛びだしそうなエレナを抱き着いて止めたのはギャラリーだった。
彼女はすがりつくようにしてエレナの体を縫い止めた。
「どこに――行くんですか……?」
「女神を、討ちに行くのじゃ」
エレナはそう答える。
まだ《怪画》に迫る危機は終わらない。
だからこそ、その元凶を断とうというのだ。
――満身創痍の体を引きずって。
「エレナ。君の《花嫁戦形》は体に負担が大きすぎる。すべてを取り戻してなお、体に蓄積したダメージが消えないほどに」
一瞬にして主要器官が機能を失うのだ。
それに伴う体への負荷は計り知れない。
外傷では判断できないダメージ。
ゆえに薫子の魔法でも簡単には治療できない。
まだエレナは戦える体調ではなかった。
「じゃが、妾が足を止める理由としては弱すぎる」
だがエレナは止まらない。
己の体の不調など、何の障害にもならない。
むしろ、倒れるまでにすべてを為そうと奮起するだけだ。
「お願いだから! もう一人で戦わないで!」
「!」
エレナが立ち止まる。
「…………ギャラリー……?」
「もう、一人で……背負わないで……」
ギャラリーは顔を伏せたままそう言った。
だが、彼女が泣いていたのは明らかで――
「アタシは、お姉様を支えるために強くなったのよ」
5年前の戦いに参加することのできなかったギャラリー。
それは、最愛の姉を失うこととなった彼女が背負った消えない後悔。
その後悔が、ギャラリーをここまで強くした。
「お願いだから……アタシを頼ってよ……!」
だからこその言葉。
振るうために身に着けた力を、振るいたい人のために振るえない。
守りたい人が、守らせてくれない。
むしろ自分を守るためにその人は傷つくばかりで――
「お姉様が頼ってくれないと――アタシの手が……届かないじゃない……」
涙声の訴え。
「助けてって……言ってよ……」
守らせてほしい。
頼って欲しい。
一人で苦しまないで欲しい。
それこそが、ギャラリーが抱いてきた思いなのだろう。
ついに彼女は、その思いをぶつけた。
力一杯に、手を伸ばした。
「ギャラリー……すまぬ」
対するエレナの返答は――謝罪。
すべてを一人で背負った王女。
一人で背負うことに慣れてしまった王女。
誰かと重荷を分かり合うことを知らない――普通の少女。
そんな彼女の手は、
「妾は……本当は何も諦めたくないのじゃ。《怪画》としても、人としても――大切なものが多すぎる。じゃが、それは妾の手に余る。どれほど必死にあがいても、両の手からこぼれてゆくのじゃ……」
エレナは空を仰ぐ。
そこには儚い微笑みが浮かんでいた。
そこにいたのは無力に打ちのめされた、今にも泣き出しそうな少女だった。
少女は、震える唇で言葉を紡ぎ出す。
「ギャラリー……。助けて――欲しいのじゃ」
「妾の大切なものを……共に守ってほしいのじゃ」
王であり続けた少女が、初めて民に弱音をさらけ出した。
王であろうとし続けた少女が、その呪縛から解き放たれた。
「――――――――った」
これまで、エレナが抑え込んできた弱さ。
王となると決めた時に封印した感情。
それは――
「アタシ……その言葉が聞きたかったの……。5年間ずっと――」
――今、一人の少女を救った。
大切な家族のため、強くなると誓った少女を確かに救った。
「やっと――」
誰にも依存しない孤高の存在。
それはきっと王の在り方の一つなのだろう。
しかしそれはそれとして――
「――お姉様の大切なものを守れる」
助けを求められることで救われる人生もあるのだろう。
エレナが助けを求めたことでギャラリーの悪夢が終わる。
そんなお話です。
ここからはマリアとの最終決戦へと向けての話になります。
まだ、最終決戦の前に回収しないといけないエピソードが残っていますので。
それでは次回は『一方その頃』です。




