最終章 49話 5年前を越えて
この戦いの結末は、5年前と同じものとなってしまうのか――
「どーやら、薫姉は女神にならなかったみてーだな……」
――なあ? イワモン。
璃紗は笑う。
全身血まみれの姿で。
「なるほど。そのようなことを気にする暇があったのかね?」
イワモン特に気にした風でもなくそう言った。
彼の背中にあるブースターが魔力を噴射する。
反応できないほどのロケットスタート。
すさまじい衝撃の後、周囲の景色が高速で流れてゆく。
「がッ……!?」
気がついたときには、璃紗の体はビルの壁面に押し付けられていた。
「く……そッ!」
璃紗は抵抗するが、イワモンが生み出す推進力を押し戻せない。
体が少しずつ壁に沈んでゆく。
だが璃紗は痛みに顔を歪めつつも、動揺はしない。
なぜなら――
ピシリ……。
「チッ……!」
イワモンが舌打ちした。
彼が背負うブースターにヒビが入ったのだ。
「結構ガタがきてるみてーじゃねーか」
璃紗が不敵な笑みを浮かべる。
今、一方的にダメージを受けているのは璃紗だ。
しかし、総合的に見て優位に立っているのは彼女だった。
「お前のそいつ。燃費がワリー上に、最大出力にボディの強度が耐えられない。そんな感じか?」
一気に痩せてしまうほど魔力を食うパワードスーツ。
璃紗の動体視力を置き去りにするほど激しい挙動。
本体にもボディにも負担がかかるのは自明。
イワモンの弱点。
それは継戦能力だ。
「このまま璃紗嬢が死ぬまで殺すのは面倒だ」
璃紗の《花嫁戦形》の能力は超速再生。
魔力が尽きぬ限り、無限に再生を続ける。
戦闘力が持続しないイワモンにとって最悪の相手だ。
「だから、気絶してもらうとしよう」
そんなことはイワモンも理解している。
璃紗がいくら際限ない再生能力を持っていようとも、意識を失えば戦えないことも――理解している。
「あッ……てめー……!」
機械のアームが璃紗の乳房を掴む。
強靭な握力に潰された柔肉がアームの隙間からはみ出した。
「どちらが先に果てるか勝負といこうではないか」
イワモンの体が加速する。
ブースターからはこれまで以上の魔力が噴き出す。
それに伴ってヒビは広がり、噴出口からオイルのようなものがこぼれる。
明らかにパワードスーツの寿命を縮める行為。
イワモンはここで確実に璃紗を無力化するつもりなのだろう。
「く……そッ……!」
(息が――!)
肺を押し潰されて呼吸ができない。
酸素がなければ意識を保てない。
再生能力があってもそれは変わらない。
身をよじって打点をズラそうにも胸を掴まれていて逃げられない。
「ざ――けんなッ!」
防御は諦める。
身を守るのではなく、攻撃によってイワモンを離れさせる。
そのために璃紗は大鎌に炎を纏わせた。
それをそのままイワモンに叩き付ける。
「無駄なのだよ」
しかしイワモンに触れるよりも早く炎が消える。
剥き身になった大鎌は空中に現れた魔力のシールドに防がれた。
「このスーツは周囲の魔力を無差別に取り込む。魔法による攻撃は効かないのだよ」
――もっとも、その被害を一番に受けるのは僕だけどね。
そう言いつつもイワモンは攻撃の手を緩めない。
あのスーツは大食いだ。
持ち主の魔力だけでは満足せず、周囲にある魔力を無差別に取り込むことで動力とする。
使用者を搾り殺しかねない魔力消費というリスクを避けるための苦肉の策。
その性質は奇しくも、パワードスーツに魔法耐性を与えた。
そして、魔力の乗らない攻撃など容易く防げるだけの出力をこのスーツは持っている。
身体能力に優れた魔法少女であっても、それを覆すことはできない。
璃紗の意識が混濁し始める。
「――がァッ!」
意識を失うよりも前に璃紗は、肘を背後の壁に叩きつけた。
肘から噴き出す大熱量がビルを溶かし崩す。
彼女の背後を塞いでいた壁が消え、璃紗の体が自由になる。
「もーそろそろ放しやが――れッ!」
璃紗は足を伸ばし、イワモンの背中から伸びたブースターを横から蹴りつける。
「くッ……!」
イワモンがわずかに焦りを見せ、璃紗を手放した。
ブースターはイワモンにとっての生命線。
ヒビが入って痛んだそれを蹴られたのだ、イワモンとしては放置できる事態ではない。
「あー痛ぇー」
璃紗は胸を押さえながら着地する。
「ともかく、残念だったな。結局スーツがぶっ壊れるまでの時間が短くなっただけになっちまってさ」
璃紗はイワモンに不敵な笑みを向ける。
先程の攻防は、収支の面において璃紗が勝っている。
彼女は実質的にノーダメージ。対して、イワモンのスーツは確実にダメージを蓄積させた。
それはイワモンの険しい表情からも明らかだ。
「ほら来いよ。仕方ねーから付き合ってやるからよ」
璃紗はそう挑発する。
一方で、璃紗の思考は戦場から離れていた。
悠乃が向かったほうから強大な魔力を感じる。
それは紛れもない灰原エレナの魔力。
見ていなくても分かる。
今の彼女はこれまでにないほど強い。
彼女を救うための戦いは困難なものとなるだろう。
だが、璃紗は焦らない。
落ち着いた思考で、ここでイワモンを倒すことに注力する。
(頑張れよ悠乃。お前なら――絶対にやれる)
なぜなら、璃紗は信じているから。
悠乃たちなら、運命などいくらでも打ち崩してくれると。
☆
「妾も、長々と戦うつもりはない!」
グリザイユの拳銃が火を噴いた。
巨大な灰色の火球が悠乃たちに向かう。
「大丈夫にゃ!」
「アンタはまっすぐ突っ切りなさい!」
悠乃の両脇を寧々子とギャラリーの二人が駆け抜ける。
寧々子はその速力で先行し、二つの火球の片方へと狙いを定める。
彼女は跳躍すると、両腕を振り上げる。
「《爪研ぎ》」
寧々子は空中で体を弓なりに反らす。
そして――元の姿勢に戻ろうとする力を乗せて爪を振り抜いた。
交差する爪撃の残像。
だが寧々子は止まらない。
空中とは思えないほどのスピードで寧々子は身を躍らせる。
乱舞に合わせ放たれる爪撃。
無数の爪痕が火球に刻み込まれる。
「《猫撫で声》」
続いて、彼女の口から音が発せられる。
特殊な波長の鳴き声。
それが火球についた傷跡を広げ、散らす。
「もう一個はお願いってことで――」
「分かってるわよ!」
着地する寧々子と入れ替わるようにギャラリーが前に出る。
ギャラリーは手を伸ばす。
自身に迫る灰色の太陽へと。
その熱気が彼女の肌を焼こうとも。
ついに指先が火球と重なった。
「《虚数空間》」
ギャラリーがそう唱える。
「アタシ自身だけなら。ゲートを開くまでもなく転移できるわ」
彼女の姿が消える。
ギャラリーの能力は空間転移。
彼女は空間を飛び越えた。
――指先に触れた火球と共に。
「お姉様! ごめんなさい!」
ギャラリーが転移したのはグリザイユの眼前。
そこで彼女は、今も腕を焼いている火球を――グリザイユに叩きつけた。
爆裂音。
激しい爆風と共にギャラリーの体が空中に投げ出される。
ギャラリーの体は炎に焼かれ、火傷を負っている。
「あとは――任せたわよ」
「分かってる」
そんな彼女の隣を、悠乃を跳んでゆく。
ギャラリーの介抱はしない。
彼女はそれを望まない。
それよりも、このチャンスを活かすことが彼女の望みだ。
「くッ……!」
爆炎からグリザイユが跳び出した。
彼女は空中で回転しながら近くの建物に着地する。
そのままグリザイユは悠乃を迎え撃とうとするも――
「お膳立ては任せてちょうだい」
「ッ!?」
グリザイユの足元で爆発が起こる。
それは薫子が仕掛けた爆弾によるもの。
グリザイユが降り立った建物が崩落する。
――薫子は彼女の動きを読み切り、その先に爆弾を忍ばせていたのだ。
足場を失ったグリザイユ。
彼女の体は重力に逆らえず、自由落下を始めた。
「《凍結世界》!」
仲間が作ってくれた絶好の機会。
それはほんの一瞬。
だが悠乃はそれを――引き延ばす。
時が止まった。
「はぁっ!」
悠乃は氷剣を突き出した。
全力の刺突は一直線にグリザイユの腹を貫いた。
――時の流れが戻る。
「ぐッ……!」
グリザイユの表情が痛みに歪んだ。
「エレ―――魔王グリザイユ。もうやめよう。決着なら着いた」
流れる血が氷剣を伝う。
内臓は避けている。
血こそ流れているが、致命傷にはならないはず。
「もう、終わりにしよう。戦う意味は、もうないんだよ」
グリザイユは5年間の記憶を失っている。
だから知らない。
《魔王軍》はすでに滅んでいること。
なにより、悠乃とグリザイユはすでに敵対関係にないことを。
すべて忘れてしまっているのだ。
「戦う意味なら――ある」
「妾が――王だからじゃッ」
グリザイユが一気に飛び退く。
「ぁ――」
彼女の腹から引き抜かれる氷剣。
無造作に抜いたために、グリザイユの腹から大量の血が噴き出す。
明らかに内臓を損傷している。
それでも彼女の勢いは衰えない。
むしろその気迫は増してゆく。
「妾は王で、民はここにいる。それ以上に、戦う理由は必要ではない!」
「なんで!」
悠乃は叫ぶ。
「グリザイユの覚悟はみんな知ってる! だからこそ、君が命を捨ててまで守る平和を望まないはずだよ!」
少なくとも、彼女が身を捧げることを悲しむ少女がいる。
5年間。姉を守れなかったことを後悔し続けた少女がいる。
だから悠乃は許すわけにはいかない。
強くて儚い、灰色の王女の暴挙を。
帰ることを放棄した特攻など、許せるわけがない。
「――民を守れぬ王に何の価値がある」
「民を守ろうとする王の姿は、民の心を動かし続けたよ」
グリザイユの生き様は、《怪画》へと受け継がれた。
王を失ってなお《怪画》は生き残り、5年の時を経て復活した。
――彼女を想い、嫉妬に身を焦がした少女がいた。
――彼女を想い、守るための力を求めた少女がいた。
魔王グリザイユが《怪画》に与えた影響は計り知れない。
彼女は《怪画》を守れなかった。
だが、その遺志は確実に運命を動かしたのだ。
「それは、平民の理論じゃ!」
「王とは! 常に結果で民草へと語りかけねばならぬのじゃ!」
グリザイユは引き金を引く。
「妾は守れなかった!」
灰色の熱線が悠乃を襲う。
《自動魔障壁》を貫いた一射が悠乃の頬を焼いた。
「再び舞い込んだ好機! 取りこぼすわけにはいかぬ!」
グリザイユの銃口に光が収束した。
「すでに妾は時代の遺物。妾の身などどうでも良い! 民の未来を守れるというのならば!」
グリザイユが最後に選んだのは――徹甲弾。
彼女が持つ最強の貫通力。
決して曲がらぬ、覇道を貫徹するという意志。
全てを込めた一発の魔弾が悠乃に迫る。
「なんで――こうなるんだよッ!」
それを悠乃は躱さない。
《紅蓮葬送華》で悠乃は迎え撃つ。
灰色の魔弾と蒼銀の氷撃が衝突した。
拮抗する二つの力。
その戦いを制したのは――
「がッ……!?」
氷撃がグリザイユの胸を貫いた。
血は――噴き出さない。
血飛沫さえも凍ってゆく。
氷がグリザイユを侵食する。
胸から首へ――全身に広がってゆく。
「せめてあの世では――――なんて言わないよ」
「僕は、この世界で、この時を君と生きたいんだ」
悠乃は微笑んだ。
そして叫ぶ。
「薫姉ッ!」
グリザイユの氷像。
止まりゆく鼓動。
だが、それまでの数秒があれば充分だ。
「やりましたね。悠乃君」
凍りついたグリザイユの背中に、薫子が触れた。
「魔王グリザイユが――いいえ」
「『灰原エレナが記憶を捧げたという事実を』」
「――――爆破する」
グリザイユ編が終われば、最終決戦へと向けた戦いが始まります。
それでは次回は『悪夢の終わり』です。




