最終章 40話 最初の1ページ
女神となった薫子の最初の1ページです。
「《女神戦形》」
薫子の両目に幾何学模様が浮かぶ。
機械的な光翼が広がる。
彼女は凪いだ表情で宙に浮く。
足元で輝く曼荼羅が彼女を照らし出す。
神々しい光を纏い、彼女は告げる。
神の御業の名前を。
「――――《書き変わる涙のわけ・叛逆の禁書書庫》」
その瞬間、世界が書き変わった。
「これは――」
「なんじゃ……?」
悠乃とグリザイユは天を仰ぐ。
気が付くと彼女たちは塔の中にいた。
螺旋階段が天へと伸びている。
吹き抜けから見える天井はステンドグラスになっており、色彩に富んだ光が塔内に差し込んでくる。
なにより特徴的なのが――
「……本?」
一面の本だ。
塔の壁がすべて本棚になっている。
万では足りない冊数の本がここに収容されていた。
「――ここは《最果ての楽園》」
薫子は本棚から本を一冊抜き出した。
「女神システムの管理者に与えられる固有世界。それが《最果ての楽園》です」
彼女は幾何学の瞳で悠乃たちを見下ろす。
「あらゆる世界に接し、あらゆる世界と重ならない。すべての世界の境界線上にある――あらゆる世界の最果てに存在する楽園」
雰囲気で分かってしまう。
――金龍寺薫子は、人間のカテゴリーから外れてしまった。
人間というステージから脱却してしまった。
今の彼女は女神システムの一部。
生物から、概念へと変貌を遂げてしまったのだ。
「この塔は大図書館。名付けるのなら《最果ての禁書書庫》」
薫子は本を開く。
無機質な瞳が字を追っている。
「ここにはあらゆる本がある。現在、過去、未来。並行世界をも含めたあらゆる知識が本という形でここに集まっています」
薫子の微笑みが深くなる。
「つまり――」
薫子は本を閉じると、それを放り投げた。
「この本は、金龍寺薫子の過去が綴られた禁書」
彼女口が開かれる。
「『金龍寺薫子が戦ったという歴史を爆破する』」
本が爆散して消滅した。
同時に――薫子の魔力が膨れ上がる。
否。消耗していた魔力が回復したのだ。
「ふふ。こうやって過去の事実を爆破することで、わたくしが魔力を消費したという事実が爆破され、失われた魔力が戻ってきます」
――それはつまり、彼女に魔力切れは存在しないということ。
いや。体力であろうと命であろうと、尽きることはない。
失ったのなら、失ったという過去を破壊すれば良いのだから。
「ぁぁ――」
「神の視点で見ると――人間の戦いってつまらないものですね?」
薫子の背後に複数の魔弾が精製される。
片手間に作られた魔力の塊。
だがそこに込められた魔力量は――
(まずいッ……!)
女神化した悠乃から見ても驚異的な魔弾。
暴力的なほどに収束された魔力は――
「《女神の魔光》」
一気に悠乃たちへと射出される。
「《紅蓮葬送華》っ」
「《魔光》……!」
示し合わせたわけではない。
ただ反射的に、悠乃とグリザイユは協力して薫子を迎え撃った。
本能が語りかけていたのだ。
力を合わせねば死ぬぞ、と。
結果としてそれは正しかった。
いや。不正解でなかったというだけで、正解には程遠かったのだろう。
「ぅぅッ……!?」
「ぬぁ……!?」
二人の抵抗は意味をなさず、彼女たちは黒金の波に呑まれたのだから。
暴力的な魔力が全身を打ち据える。
魔力の瀑布に溺れたまま、二人は地面に叩きつけられる。
「ぅ……」
「ぬぅ……」
二人は床に倒れたまま呻く。
今の一撃は、さっきまでの薫子とは次元が違っていた。
「うふふ。それではもう一度」
薫子の手元に魔力が収束する。
さっきの攻撃がまた来る。
それを理解すると同時に、悠乃は時間を止めた。
世界がセピア色に染まり、あらゆる動きが消える。
「《紅蓮葬送華》!」
コンパクトな動作で氷撃を撃つ。
洗練された一閃の冷撃は正確に薫子の手首を斬り飛ばす。
「凍った歯車が動き出す」
そして、世界の時間が正常に流れ始めた。
「あら」
薫子の手首が宙を舞う。
それに伴い魔力は制御を失い霧散した。
「はぁっ!」
その隙を逃さない。
悠乃は床を蹴り、薫子がいる場所にまで迫った。
裂帛の気合いを込めて悠乃は氷剣を振るう。
一方で、薫子は柔和な笑みを浮かべ、螺旋階段に腰かけたままだ。
氷剣が彼女の体を斜めに斬り裂いた。
(斬撃と同時に氷で止血をした……! これなら薫姉を殺さずに無力化できるはずッ)
手加減なしの手加減。
死以外はすべて許容する本気の一撃が薫子を深々と刻んだ。
だが――
「『わたくしが斬られたという歴史を爆破する』」
いつの間にか薫子の手にあった本が――燃えた。
すると薫子に刻み込まれていたすべての傷が消えてゆく。
斜め一閃の刀傷も。切り落とされたはずの手首も。
すべて戻ってゆく。
負傷が『なかったこと』になってゆく。
「やはり、女神同士では絶対的な戦力差とまでは言えませんか」
薫子が腰を上げる。
彼女の手には、新たな禁書が握られていた。
「『酸素という概念を――爆破する』」
薫子が本を放り投げた。
本は悠乃の眼前で――弾けた。
球体上の空間が彼女の体を包む。
半径3メートルほどの限定空間。
その中心にいた悠乃は――
「ぁぁ……!」
呼吸ができない。
当然だ。
この空間内に酸素というものは存在しない。
悠乃は苦しさに首を押さえながらそう理解した。
だが――
「まだ終わりませんよ?」
酸素が消えた。
なら、そこに存在していた空気の総量は?
ほんの限られた空間内で、いきなり空気が消えたとする。
するとどんな現象が起きるのか。
その答えは、悠乃の体が示した。
「ィぎぃッ……!?」
全身がプレスされるような激痛。
悠乃がいる空間では空気の総量が周囲よりも少ない。
それならばどうなるか。
――周囲の空気が悠乃のいる場所に流れ込んでくる。
空気量の不均衡を消すため、周囲から空気が集まる。
低地に水が流れ込むように。
結果として――全方位から集結した空気は強大な圧力となり悠乃の体を蹂躙した。
体を押し潰されるだけではない。
空気圧は体の隙間から体内にまで影響を与えてゆく。
たとえば耳。
耳の穴から侵入した圧力が鼓膜を損傷させる。
たとえば口。
喉をこじ開けて入り込んだ圧力が内側から肺を押し広げてダメージを与える。
「く……はぁ……」
鼓膜に違和感がある。
肺を痛めたせいで息苦しい。
それでも武器を手放すことはなかった。
「わたくしの《反逆の禁書書庫》は概念さえも爆破します。そうやって生まれた世界の歪みは、人類にとって猛毒となる」
「頑張らなくて良いんですよ。悠乃君」
「泣いても良いんですよ? 震えても良いんですよ? 絶望しても――良いんですよ?」
「神と対峙するということは――そういうことなのですから」
薫子はそう告げた。
(体……痛いなぁ)
だが、彼女の言葉が悠乃の心を揺らすことはない。
もう、決めているから。
「ごめんね。薫姉に言われるまでもないや」
悠乃が浮かべたのは優しい微笑みだった。
「薫姉がいなくなって、僕はもう泣いちゃったよ。薫姉ともう一生会えなくなるかもしれないと思って、震えが止まらなかったよ」
悠乃は氷剣の切っ先を薫子に向けた。
込めるのは敵意ではない。
ただ、楽しかった日々の思い出を込めて。
「そして、薫姉を失う絶望なら――今から乗り越えるところだ」
薫子を連れ戻すというハッピーエンドの結末を掴み取ることで――乗り越える。
ちなみに《最果ての楽園》は女神ごとに存在しており、その景色は本人の本質に沿ったものとなります。
過去に大きな後悔、そして未来に大きな不安を持つ薫子が手に入れたのは、『過去の選択次第では存在したかもしれない世界』や『これから待っている未来』がすべて収録された大図書館が与えられる。
といった感じです。
それでは次回は『摂理への叛逆』です。




