8章 エピローグ そして聖夜が明ける
8章が終わります。
結晶に囲まれた大部屋。
そこには床全体を覆うほどに大きな曼荼羅が展開されていた。
輝く円陣。
そこには二人の少女がいた。
一人は金髪の少女――金龍寺薫子。
煌めく金糸が波打ち、床へと広がっている。
もう一人は桃髪の少女――世良マリア。
マリアは慈悲の表情を浮かべ、薫子を抱きしめる。
普段の子供っぽい所作が身をひそめ、今の彼女は見た目相応の女性らしさを感じさせる。
「薫子お姉ちゃん……薫子お姉ちゃん」
マリアの手が薫子の頭を撫でる。
そのたびに、母なる女神からその娘である魔法少女へと権能が流れてゆく。
「これが――」
「うん。これが女神の力だよ」
薫子の体が跳ねる。
感じているのだろう。
魔力が流れ込み、自らの可能性が拡張されてゆく感覚を。
人間では手の届かない領域が見え始めているのだろう。
「まだ薫子お姉ちゃんは女神としての体を手に入れていないから……まだ、女神の権能を全部は渡せないんだよ」
強大な力には、相応の器が必要となる。
女神というシステムをインストールするには、それに対応できるだけの容量が要求される。
だからこそ、権能を譲渡する前に、薫子の体を女神へと昇華させる必要があるのだ。
現在の覚醒率は50%。
最終決戦が始まる頃には、覚醒率は90%へと至る予定だ。
「女神になるには適性が必要」
マリアはささやく。
「女神適正。それは自力で女神になれる素養のこと。現在値じゃなくて、その魔法少女に許された最大値。そして、アタシに力を与えられなかったとしても、自分自身の力で魔法少女へと至れていた可能性。それを総合して、女神適正って呼ぶんだよ」
「だから、適性を持っていても必ず女神になれるわけじゃない」
「女神適正者が女神になる方法は二つ」
マリアが二本の指を立てる。
「人生のすべてを捧げ、自力で覚醒する」
それは世良マリアが辿った道程。
先駆者のいない道を、修行者のように歩み続けた。
「もしくは、女神の力を注ぎこまれて、新しい扉を無理矢理にこじ開けてもらう」
二人の額が重なる。
「こんな風に、ね……!」
――少し多めに女神の力を注ぎ込む。
「っ、っ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」
魔力を指先から注ぎ込まれ、薫子の体が大きく跳ね上がる。
ほんの一瞬――彼女の両目に幾何学模様が浮かんだ。
「んー。これ以上は壊れちゃうかなー?」
「いえ……もっと……お願いします」
このままでは器ごと薫子を壊しかねない。
強引な手段であるがゆえに、その実行には精密さが求められる。
万が一にでも一線を越えてしまえば薫子がただの肉塊に変わるのだから。
この時期にそんな無茶はできない。
そう判断したマリアが施術を終えようとするが――
「もっとマリアさんの力が欲しいです」
「わたくしは一秒でも早く、女神になりたいんです」
薫子は女神の力を求める。
壊れそうなほどに。
マリアの力を奪い尽くしたいと言わんばかりに。
一秒でも待てないと語る。
「うーん……。じゃあ、もう少しだけだからね☆」
そう言うと、マリアは再び薫子に力を注ぎこむのであった。
☆
「よぉ。姫」
「…………トロンプルイユか」
グリザイユが背後の気配に振り返ると、そこには少年がいた。
トロンプルイユ。
またの名を加賀玲央。
確か、悠乃のクラスメイトであったはずの少年だ。
彼は気楽そうに手を振ると、彼女の自室に足を踏み入れた。
「飯食うか?」
「……いらぬ」
玲央の言葉を拒絶する。
《怪画》にとって食事とは人間を食らうこと。
たとえ餓死しようとも一生人間を食わない、
それが人間として生きると決めた時、彼女が己に課した義務。
誓いであり、最低限の義務だと思って生きてきた。
――確かに、グリザイユは一度その誓いを破った。
それでも、その一度で己を戒める心が緩むことなどあってはならない。
ある意味で、彼女がラフガに対してできる最後の抵抗だった。
「まあそう言うなって。キリエの部屋から取ってきた奴だからよ」
そう言って、玲央は何かを投げてくる。
それは箱だった。
「ぬ……?」
箱を受け取ると、ガラガラと音がする。
何より、その見た目に見覚えがあった。
「これは――」
「お菓子」
そう笑い、玲央は勝手に椅子に座ってしまう。
グリザイユの手中にあるのはスーパーマーケットにあるようなありふれたお菓子だった。
それこそ100円と少しで買えるくらいの安価なお菓子だ。
「で、食わねぇのか?」
「…………もらうのじゃ」
どうやらグリザイユの早とちりだったらしい。
彼が勧めていたのがただのお菓子だとは思わなかった。
「しかし、姉様の部屋にあったじゃと?」
「ああ。アイツ、ああ見えて部屋に菓子溜め込んでるんだよ」
玲央は自分の分も持ってきていたようで、彼も勝手にビスケットを食べ始めた。
「なあ姫」
「ぬ?」
「悠乃のクッキーって食ったことある?」
「…………は?」
あまりに唐突な質問にグリザイユは呆れた表情になる。
「いや。バレンタインデーなのにくれなかったんだよな。もしかして、オレって嫌われてたのかね?」
「本人の性別は考慮せぬのか……?」
悠乃の中に、バレンタインデーにプレゼントをするという概念があるとは思えないのだが。
「で、姫はあるのか?」
「……あるが」
「良いねぇ」
玲央は肩を揺らして笑う。
何がおかしいのか、彼は馬鹿笑いをしながら涙さえ浮かべている。
「……友達だねぇ」
「? 何じゃ?」
「いや……別に何も?」
彼のつぶやきが聞き取れず、グリザイユが聞き返すもはぐらかされる。
(皆はどうしておるのじゃろうか……)
玲央の問いかけのせいだろう。
グリザイユは仲間を思い出す。
ここにはいない、大切な友を思い出す。
もう共に歩んではいけないだろう大切な人たちを。
「…………そんな顔、しないでくれよ」
気が付くと、玲央の顔が頬に触れそうなほど近くにあった。
彼は優しくささやく。
「――もうちょっとの辛抱だ」
「それはどういう――」
玲央の意図を計りかねるグリザイユ。
彼女はすぐさま問うも――
「じゃ、オレは帰るわ」
すでに玲央は背中を向け、部屋を出ようとしていた。
グリザイユの言葉に答える気はないのだろう。
扉が閉められる。
「…………はぁ」
グリザイユは息を吐き、ベッドに腰かけた。
勝手に現れ、勝手に消えてゆく。
そんな男だった。
飄々としていながら、その奥底に揺るがないものを感じさせる。
「妾は、人間を殺したくはない」
それが偽らざる本音だ。
人間にはもう後戻りできないほど情が移った。
今更、人間を支配しようなどと思えるはずもない。
しかし同時に――
「妾には、守らねばならぬ民がある」
今のグリザイユは魔王の後継者だ。
もう人間――灰原エレナには戻れない。
新たな魔王として、《怪画》を率いてゆくこととなっている。
――一度は人間として生きる道を選んだ。
しかし、彼らが愛すべき民であることに変わりはない。
自分がそれを可能とする立場にいる以上、民を守るのは当然のことであった。
人間。
《怪画》。
二つの種族との間での板挟みに彼女は捕らわれていた。
人間を食料と言い切れたらどれだけ楽だったか。
新たな『人生』を終わらせた《怪画》たちを恨めたらどれだけ楽だったか。
だが生憎、彼女にはそんなことはできなかった。
どちらにも大切な存在がいるからこそ、立ち入りが確立しない。
――いや、すでに魔王グリザイユという体は魔王軍に縛られている。
だから、揺らいでいるのは心だ。
もう逃れられないと分かってはいても、人間の未来を憂いてしまう。
「いっそ――」
――ラフガが女神に敗北したら、この葛藤から逃れられるのか。
そう思いかけて、グリザイユは己を叱責する。
よりにもよって家族が――父が死ぬことを望むなど恥ずべき考えだ。
たとえそれが自分にとって都合の良い未来だとしても、そんなことを望むなど許されていいはずがない。
――そうして、彼女の逃げ道が一つ消える。
彼女に残されるのは一本道だ。
断崖絶壁に挟まれた、過酷な一本道だ。
許される未来は、道を走り抜けるか、崖から落ちてそのまま死ぬか。
身を投げたのなら、今の苦悩から解放されるのかもしれない。
だが――
「いや……妾の為すべきことは決まっておるのじゃ……」
だが――そんな逃げを選べる性格だったのなら、グリザイユはこんな所にいなかっただろう。
「妾は魔王の正統後継者」
ゆえに、グリザイユは駆け抜けるしかない。
グリザイユは窓から空を覗き込む。
「王とは誇り高き存在でなければならぬ」
「そして――」
「誇りとは、己の手で逃げ道を塞ぐ覚悟」
夜は、明け始めていた。
最終章『天魔血戦』は1月1日のお話です。
魔王ラフガが率いる《新魔王軍》と女神マリアが率いる《正十字騎士団》の戦争です。
悠乃たちは天魔血戦に第三勢力として介入してゆく。
そのような物語となります。
抗うことのできない運命の荒波に叛逆を。己を縛り付ける様々な枷と決別し、後悔のない未来のために戦う少女たちの物語を見届けてください。
それでは次回は『1月1日』です。
悠乃たちの最後の日常。お楽しみください。




