8章 9話 その絶望を裏返して
黒白姉妹と星宮雲母の今後も、最終章のポイントの一つです。
あれから美月は雲母と少しの間だが話した。
とはいえ時間は深夜。
帰るのが遅ければ家族に心配をかけてしまうこともあり、ほどなく美月は雲母と別れた。
どこへ行くでもなく公園にたたずんでいた雲母の姿が目に焼き付く。
色のない目で、意味もなく景色を見つめていた彼女が気にかかる。
「――嫌だ」
雲母と別れてから、初めて美月が発したのはそんな言葉だった。
嫌だ。
その言葉の中には、抑えきれない感情が込められている。
「ツッキー?」
「姉さん。私は嫌です」
春陽に美月はそう言った。
要領を得ない返答。
普段であればもっと冷静な物言いをしただろう。
しかし、平坦な気持ちで口にするには、この感情は激しすぎた。
「誰かに散々利用されて、壊されて。ただ死ねる日を想って息をしているだけ。そんな子がいるなんて嫌です」
あまりにも理不尽。
それが美月には許せなかった。
「私よりも小さいのに。私とは比べ物にならない苦しみを背負っている子がいるなんて嫌です」
己の過去を振り返る。
当然、嫌な思いをした経験も、辛かった記憶もある。
しかし、生きることをやめたいと思うことはなかった。
死への恐怖という壁を踏み越えてしまうことはなかった。
「そんな子が、最期まで報われない人生を送るなんて嫌です」
案外、美月が無知なだけなのかもしれない。
犯罪だとか戦争だとか。
不幸の種は数えきれない。
もしかすると、雲母のような不幸はありふれているのかもしれない。
あるいは、自分は彼女よりも不幸な生い立ちだったと主張する人間もいるのかもしれない。
だが、そんなことは些事だった。
少なくとも美月にとっては。
「姉さん。私は、決めました」
「魔王と女神の戦い。たとえ無茶でも――私は戦います」
黒白美月は迷っていた。
最初は世界を守るために戦うことを決めた。
だが今は、分からない。
自分は戦いたいのか。
戦うのなら、その動機は何か。
分からない。
分からなかった。
だけど――
「世界のためじゃない。友達のためでさえない。知り合ったばかりの、不幸な女の子のために戦いたい」
そう思った。
「――おかしい、ですよね?」
そう言って、美月は苦笑する。
冷静に考えて、薄い動機だろう。
家族でも親友でもない相手のために命を懸ける。
不自然極まりないことだ。
非合理な動機だ。
自分でも分かっている。
「おかしいかもだけど。誰にも否定させたくないよ」
一方で、春陽はそれを否定しない。
ただ微笑んで、美月の言葉を受け止める。
「だって――わたしも同じ気持ちだから」
春陽はこちらを見ない。
ただ前を見て、歩き続けている。
だから美月は、彼女と同じ方向を見ながら足を動かし続ける。
「わたしだって、未来が絶対に幸せなわけじゃないって分かるよ?」
いつだってハッピーエンドで終われるのは物語だけだ。
努力が必ず報われるのは物語だけだ。
現実にはバッドエンドもあるし、努力は徒労に終わることのほうが多い。
現実では、一人の主人公が勝利するたび、それ以外の主人公が敗北する。
それが分からないほど、二人は子供じゃない。
もう、子供ではいられないのだ。
「生きていれば嫌なことも、辛いことも、いっぱいあると思うよ」
「でも、逆転のチャンスがないなんておかしいよ」
「チャンスを掴めるかは分からないよ? でも、掴むチャンスさえ与えられないなんておかしいよ」
チャンスは所詮キッカケだ。
視界に入っても、手を伸ばすとは限らない。
手を伸ばしても、手が届くとは限らない。
だが、最初からチャンスが与えられないことがあってはいけないはずなのだ。
そう春陽は語る。
「もしあの子が救われても、もしかしたら未来にはもっと不幸が待っているかもしれない」
それは誰にも分らない。
「でも、そうじゃないかもしれない」
もしかすると、雲母が『生きていて良かった』と心から思える未来があるのかもしれない。
「ずっと沈みっぱなしで、幸せになるチャンスのない人生なんておかしいよ」
暗いトンネルには出口があるべきだ。
袋小路にはロープが垂らされるべきだ。
一度失えばもう取り戻せないだなんて認めたくない。
そんなものだと割り切りたくない。
「だから、自分がそのチャンスになりたいって気持ち、わたしもよく分かるよ」
チャンスは偶然かもしれない。
だけど、誰かの気持ち次第でその偶然は作りだせる。
そんな偶然に、美月はなりたい。
雲母が新しい幸せを手に入れるためのチャンスになりたい。
「未来は分からないから」
生きた先に希望があるかは分からないから。
その先に、手酷い裏切りが待っているかもしれないから。
「不安で、手を伸ばせない時もあるから」
先は分からず。目印さえない。
暗闇の砂漠のような未来。
見えるのは希望のフリをした蜃気楼。
目の前の希望を信じられないこともあるかもしれない。
「チャンスは多いほうが良いよ」
雲母が手を伸ばせないのなら、彼女が希望を信じられる日まで何度でも。
「だから二人で……ね?」
それは一人では難しいことだ。
でも――二人なら?
不可能が覆る日が来るかもしれない。
「良いでしょ?」
春陽がそう微笑んだ。
「姉さん……」
「なーに? ツッキー」
「私は、姉さんが姉さんで良かった」
不覚にも、少し涙が滲んだ。
覚悟は決まった。
黒白美月は。
黒白春陽は。
二人は戦う。
絶望に蝕まれた少女を救うために。
その絶望を裏返すために。
最近、以前の話を読み返したのですが『ここまで来たのか……』と感慨深いですね。
おそらく来週には8章が終わり、最終章を迎えます。
これまでの物語のラストにふさわしい章となるよう頑張っていきますので、ぜひこれからもよろしくお願いします。
それでは次回は『二人きりの聖夜』です。




