7章 エピローグ 境界を踏み越えて
女神と魔王の前哨戦は終わり、つかの間の静寂が訪れます。
「寧々子さんが……死んだ……」
雲母の声が部屋に響いた。
彼女たち《正十字騎士団》は今、とある廃墟に身を潜めていた。
古びた建物はいたるところが汚れている。
美珠邸で勃発した戦いから一日が経ち、再び夜に世界が包まれていた。
割れた窓から月光が差し込む。
今ここには《正十字騎士団》が全員揃っている。
しかし、その全員に寧々子は含まれていない。
――彼女は死んだのだから。
「また……身近な人が死んでいく。……死にたい」
悲しみの海に沈み、雲母はそうこぼした。
彼女の声には隠し切れない絶望が滲んでいる。
魔法少女で殺し合い、自分だけが生き残ってしまった雲母。
再び仲間を失ったという事実は、彼女を蝕んでいるのだろう。
「まさか、私がいない間にそんなことになっていたなんて」
先程この世界に戻ってきたばかりの倫世の表情も曇っている。
自分がその場にいたのなら。
そんな想いがあるのだろう。
「………………………………」
リリスは何もしゃべらない。
彼女は窓枠に座り、夜景を眺めていた。
沈黙が支配する世界。
それを破ったのは――薫子だった。
「わたくしは……女神になります」
静かにそう彼女は宣言した。
「もう、後戻りはできません」
寧々子は死んだ。
薫子を庇って。
なら、それに報いる方法は一つ。
――世界を救う。
救済の女神となることだ。
「もう、躊躇いはありません」
薫子についていた枷が――また一つ壊れた。
「もう誰にも邪魔はさせません」
薫子の笑みが深くなる。
三日月形に歪む口元。
「邪魔をするのなら、誰でも――殺せます」
「悠乃君が相手でも、璃紗さんが相手でも――殺せます」
もう爆弾は投げられた。
後は爆発するだけだ。
大切な友達が近くにいるからといって、爆弾は起爆をやめたりはしない。
ただあるがまま、あるべきままに突き抜けるだけだ。
「ぅふ…………ぁははははッ……!」
思わず嗤えてくる。
自分という矮小な存在への嘲笑。
そんな愚図が世界を救うという茶番劇への失笑。
薫子の声がこだまする。
その様子に気圧されたのか、《正十字騎士団》の面々は押し黙る。
「……そーいえばサ」
「?」
そんな状況の中、声を上げたのは沈黙を貫いてきたリリスだった。
彼女は夜景を見つめながら、薫子には目もくれずに問いかけた。
「寧々子……アンタに何か言わなかっタ?」
リリスの問い。
薫子は顎に指を当て思案する。
そして笑みを浮かべると。
「――幸せになって欲しいとおっしゃっていました」
「………………………………ソ」
興味が失せたのか、リリスはそれっきり喋らなくなった。
ただ――どことなく機嫌が悪そうに見えた。
「……んなワケないと思うケド」
「? どうかされましたか?」
「…………チッ」
返ってきたのは舌打ちだった。
下手に刺激すると機嫌は悪化するだろう。
薫子はリリスから視線を外す。
そして――
「それじゃあ……準備は良いかな?」
部屋に聞こえた声。
その主はイワモンだった。
翼を背にした白猫は、腕を背に当てたまま歩む。
「我々《正十字騎士団》は新たな拠点を目指す」
「楽しみだねっ☆」
イワモンの宣言にマリアは天真爛漫な笑顔を見せる。
彼女の表情に憂いはない。
人間一人が死んだとしても、彼女の表情に一片の影響さえない。
――彼女は女神だ。
千や万では数えきれない人間を救う存在。
たった一人の死など、彼女にとっては些事未満なのだろう。
きっとこれこそが人ならざる――神の視点。
「次の拠点はどうするのかしら?」
倫世が尋ねると、イワモンは笑みを浮かべた。
「僕たちが最優先にするべきなのはマリアの権能を回復させることだ。ゆえに、次の拠点はそれを考慮したものとする」
「?」
イワモンが虚空に手をかざした。
そして――ケートが開く。
「――――――魔法界だ」
「あそこにはマリアの『体』を保管していた場所がある。あそこなら、これまで以上に効率的に権能を取り戻せるだろう」
「なるほどー。うんっ。イケるかもっ☆」
マリアが肯定するあたり、回復に都合が良いというのに間違いはないのだろう。
「向こうで『協力者』と合流し、来るべき血戦への準備を進める」
「…………テッサ」
倫世がそう呟いた。
彼女には協力者に心当たりがあるのかもしれない。
「じゃ、さっさとイク?」
リリスは立ち上がると、ゲートも前に歩み出した。
それに合わせ、皆も続々とゲートに集結する。
「血戦の日はすぐそこだ。気を引き締めていこう」
イワモンの号令と共に、薫子たちはこの世界から消失した。
今は12月中旬。
最終決戦まで――あと半月。
これまでの薫子は『女神として大切な人たちの世界を守る』ことを目的としてきました。
ですが、目的はより確実な実現のために削ぎ落とされ『女神となる』ことだけが目的となります。
そのためなら、守りたかったはずの人たちを切り捨てられる。
守りたい者のためには手段を選ばない彼女が、守りたい者を背負わなくなる。
そんな彼女は間違いなく脅威となるでしょう。
そして、説得はより困難なものとなります。
それでは次回より第8章となります。
次回はプロローグ『血戦の予兆』です。




