7章 29話 未来は変わらない2
美珠邸での戦い最終話です。
「ぁ――――」
寧々子が倒れる。
その光景を、薫子はただ見ていることしかできなかった。
足が動かない。
それはダメージのせいか、動揺によるものか。
彼女には分からない。
分かることは――寧々子の絶命は避けられないということ。
「寧々子……さん?」
薫子は緩慢な歩みで彼女に近づく。
膝をついて寧々子の顔を覗き込む。
わずかに上下する胸。
生きている。
だが、内臓の大部分が損傷している。
心臓さえ激しく損壊しているのだ、体を治したとしても生命維持に必要な血が残っていない。
直感で分かってしまう。
もう手遅れだと。
「今――治療を」
それでも薫子は治療用の爆弾を取り出した。
しかし――
「もう……良いにゃん」
それを止めたのは他ならぬ寧々子だった。
彼女はどこか安らかな表情で薫子を見つめている。
「――聞いて、欲しいにゃん」
寧々子はゆっくりとそう口にした。
「アタシは……本当は、薫子ちゃんを女神にしたくなかったにゃん」
寧々子はそう独白する。
「でも、マリアちゃんをそのままにして良いとも思わないし……誰かを生贄にしても良いとも思ってない」
寧々尾は口元を歪めた。
彼女の唇は震えている。
「でも、アタシには女神適性がないから……代わってもあげられない」
寧々子の視線が薫子の瞳へと注がれる。
「女神なんて、世界にはいらないにゃん」
――世界は、その時代の人間で守らないといけないにゃん。
そう寧々子は言った。
すでにマリアが残した魔法少女という存在がいる。
そこから研究を重ねれば、女神システムに頼らずに世界を守る方法も見つかるかもしれない。
そう彼女は信じているのだろう。
「一人が世界のすべてを背負う。そんな世界は――おかしいにゃん」
寧々子は薫子の頬を撫でる。
「これは……プレゼントにゃん」
寧々子の指先が滑り、薫子の額に触れる。
彼女の指先が黒い光を灯す。
禍々しくも思えるそれは意外にも優しい温かさを宿していて――
「薫子ちゃんが、運命を覆すための力に……なってくれたら……嬉しいにゃん」
「――《化猫憑依》」
寧々子の変身が――解けた。
そこにいるのは世界を救った魔法少女ではなく、ただの女性だった。
一方で、薫子の体には大量の魔力が流れ込んでいた。
それも当然か。
なにせ――三毛寧々子という魔法少女が持っていた全魔力なのだから。
「《化猫憑依》はその名前の通り……憑依の魔法。この魔法だけは……譲渡できる」
寧々子の姿が人間に戻る。
それと同時に、薫子の体に異変が現れ始めた。
金髪の一部が盛り上がり――猫耳が生える。
衣装の下から二股の尾が伸びた。
毛色こそ違うが、薫子の姿は猫に近づいている。
何より一番違うのは――
(未来が――)
未来が視える。
おそらく今、彼女の瞳孔は猫のように縦に伸びていることだろう。
《猫踏まず》を使う際の寧々子のように。
「薫子ちゃんには女神なんかじゃなくて」
「――幸せになって欲しいにゃぁ」
それが、寧々子の最期の言葉だった。
動かなくなる寧々子。
その寝顔はあまりに安らかで、彼女が絶命していることに気付くには数秒を要した。
だが、だんだんの彼女が死んだという事実が理解できて――
「くす……」
嗤ってしまう。
あまりにも自分が情けない。
「女神になれば、世界を救えるはずなのに」
薫子はよろめきながら立ち上がる。
「今のわたくしは、誰一人救えない」
無価値だ。
なんて己は無価値なのか。
そう問いかけずにはいられない。
「――もう戻れません」
薫子は壊れた人形のように首を傾ける。
見つめた先にいたのは一人の少年。
寧々子を殺した男だ。
だがなぜだろうか。
彼に敵を殺したという充足感は見られない。
むしろ痛ましいものを見ているかのようで――
(ああ――)
違った。
彼が見ているのは寧々子じゃない。
(わたくしの生き様は――それほどに無様でしたか)
薫子だ。
玲央が見ていたのは薫子だった。
「わたくしは――女神になります」
(仲間一人守れないわたくしは……滑稽でしょうね)
笑みが深まる。
(だから、未来のわたくしは――世界を守る)
これまで失ってきたものを、全て取り戻す。
「わたくしは世界を救う。それなら……寧々子さんの死は無駄になんかなりませんよね?」
「わたくしみたいな愚図のために死んだなんて不名誉。負わせられません」
「――やれやれだ」
そんな彼女を見て、玲央は嘆息する。
彼は肩をすくめると、サーベルを持ち上げた。
「せっかくの遺言も――本人が聞いてないんじゃ意味ねぇな」
玲央が駆ける。
――そんな未来が見えた。
(でも――違う)
本命は――
「《叛逆の魔典》」
「!?」
背後から首を貫く棘。
幻影で作られたこれこそが本命。
だが、未来ですでに視た。
棘は彼女の体をすり抜ける。
破壊という未来は歴史に刻まれない。
そして――
「《魔光》」
薫子は胸元に両手を構え、魔力を集める。
二股の尾が玲央に狙いを定め、その先端に魔力を収束させる。
そのまま3つの魔弾が閃光となり邸宅を吹き飛ばす。
玲央を呑み込む光。
金色の暴力が過ぎ去った後には、誰の姿もなかった。
☆
「――戻るか」
玲央は独り呟いた。
すでに彼は美珠邸を離れている。
もう彼の体は失血で戦いを続行できる状態にない。
それを差し引いても、今の薫子と戦うのにはリスクがあった。
接近戦をこなせる身体能力。
無情とさえいえる戦術眼。
そして未来改変と――未来視。
あのまま戦えば玲央も無事では済まない。
だから《魔光》に身を焼かれながらも、彼はその勢いのままに美珠邸を離れた。
おかげで全身大火傷だが、穿たれた心臓ほどの重傷ではない。
その心臓もすでに幻影で再現され活動している。
とっさの判断だったが、遅れていたら命はなかっただろう。
「幹部一人か。戦果としては及第点だろ」
後々の事を想えば薫子を殺せたほうが良かっただろう。
しかし、そうならなかったのなら仕方がない。
「こりゃ……本番は荒れそうだな」
所詮、今日の戦いは前哨戦だ。
鍔迫り合い程度に過ぎず、雌雄を決するものではない。
それでも、相手を知るには充分な戦いだった。
それを加味した上で、玲央は思う。
決戦は――荒れると。
誰がどう勝とうとも波乱は避けられない。
「魔王がいる限り、グリザイユは逃げられない」
魔王ラフガは、グリザイユを手放しはしない。
いくら彼女が望もうと、人間としては生きられない。
「金龍寺薫子は、もう人間に戻らない」
あの目を見れば分かる。
説得で解決できるような覚悟ではない。
もはや執念さえ感じさせる。
あれは『友達だから』で連れ戻せる段階ではない。
もしそれを成し遂げたいのならば。彼女の価値観すべてを壊すくらいの劇薬が必要だろう。
そんなものがあるのなら、だが。
「魔王にも女神にも勝てない。友達を取り戻すこともできない」
玲央は夜の街を歩く。
電灯のない道は――暗かった
「それでも、お前は戦うか?」
――悠乃。
彼がどう答えるかは――なんとなく分かっていた。
覚醒、ネコミミ薫子です。
彼女が保有するチートは未来改変と未来視。そして最終章においては――
はたして、寧々子の言葉も虚しく暴走してゆく薫子がどのような道を歩んでいくのか。
最終章までぜひよろしくお願いします。
それでは次回は『もう一度ここから始めよう』です。
久しぶりに悠乃たちの話となります。




