7章 26話 壊れた未来
美珠邸での戦いも後半戦に突入です。
「――――《女神の涙・叛逆の魔典》」
剣に囲まれた絶望的状況。
そんな中、薫子は静かにそう唱えた。
彼女の体が黒い霧に纏われる。
だがそれに構うことなく、剣は黒霧に隠れているであろう薫子の体を刺し貫いた。
――はずなのだが。
「――そいつが未来改変って奴か」
剣はなんの抵抗もなく霧を突き抜け、向かい側にある壁に刺さった。
「ええ。破壊の未来を爆破しました」
黒い霧が形を成し、ウエディングドレスとなる。
純黒にして漆黒の花嫁衣装を身に纏い、薫子は微笑む。
彼女の《花嫁戦形》――《女神の涙・反逆の魔典》。
その力は、未来に起こる一定の出来事をなかったことにする。
未来の『破壊』を爆破することで、本来薫子を貫くはずだった剣は彼女の体をすり抜けた。
破壊という結末に至れなかった。
未来の出来事を爆破する。
それこそが薫子の魔法。
「――」
薫子はその場でわずかに跳んだ。
一度、二度。
まるで意味がなさそうな行動。
玲央は眉を寄せる。
「いくら跳んでも、ない胸は揺れないと思うけどな」
「いえ。わたくしは、小銭を持っていないことを証明していただけですよ?」
「オレがカツアゲしてるみたいに言うなよ」
なんてことはない雑談だ。
薫子の体がまた宙に浮いた。
そして、彼女が着地する直前――
「《反逆の魔典》」
そのタイミングで床に立っているという出来事を爆破した。
「……!?」
玲央の表情に驚愕の色が走る。
それも仕方がないだろう。
――いきなり足が床に沈み込めば。
玲央だけではない。
未来改変の射程内にいる薫子も床へと沈んでゆく。
二人に起こる同じ現象。
違いは――落下速度。
ゼロ速度から落ち始めた玲央。
すでにジャンプによる落下スピードが乗っていた薫子。
当然、先に床をすり抜け終わるのは――薫子だ。
「やっべ……!」
とっさに気付いたのだろう。
玲央は唐突に頭を下げた。
だが――
「ぐッ!」
取り残されていた左腕が――千切れた。
「2秒。わたくしたちが『床に立っている』という未来を爆破しました」
さっきまでは『床に立っている』という未来が消えていた。
しかし未来改変の影響が消えたことで、床と重なっていた左腕が千切れたのだ。
床と腕が重なった座標で存在したため、腕が千切れることで矛盾が解消された。
一方で玲央よりも早く階下に落ちていた薫子に怪我はない。
(訓練の成果が出ていますね)
以前は、未来改変の時間は定まっていた。
未来を爆破できる時間を縮小することも拡大することもできなかった。
しかしその弱点は訓練によって解消されつつある。
今の薫子なら0.1秒から5秒の間であれば、自由に爆破する時間を決められる。
今回はそれを利用し、自由落下する玲央の首と床が重なるように未来を爆破した。
もっとも、ギリギリで目論見を見抜かれ、玲央の首を落とせなかったが。
「もう少しで、首を落とせたんですが」
「ったく、勝手に人の家を事故物件にしてやるなよ」
「知ってましたか? 死体のない殺人は立証が難しいんですよ?」
「――怖ぇこと言う奴だな」
「だって、わたくしは金りゅ――」
そこまで言いかけて、薫子の口が止まった。
微笑みは消え、虚ろな瞳が玲央を貫く。
――続く空笑い。
「……うふふ。もう、金龍寺じゃなかったんでした。くふっ……まあ、どうでも良いんですけど。元々、書類に書くためだけの名字ですし」
日本において、名字がない人間などほとんどいない。
いくら勘当同然の扱いを受けていても、書類の上では薫子は『金龍寺薫子』だ。
だから彼女はそう名乗り続けてきた。
書類の記入欄には、金龍寺と書き続けた。
しかし、その名字に思い入れはない。
人間として生きるルートから外れた今、記入欄を埋めるためだけの名字に価値など見出せるはずがない。
そう思うと――嗤えてきた。
「……ぶっ壊れてやがるな」
「吹っ切れたのか。押し潰されたのか。オレには興味がねぇ」
玲央は左手があった場所に手をかざす。
すると幻術が新たな腕を精製した。
幻術の現実化の応用だろう。
「でも、こんな姿をアイツに見せたくねぇ」
サーベルが薫子に突きつけられた。
しかし彼女は一切反応しない。
なぜなら――
「《魔光》」
天井を突き破った閃光が玲央を襲う。
玲央は驚いた様子で横に跳ぶが、体の一部は閃光に飲み込まれた。
「やっぱ初動が見えないと躱しづらいな」
玲央は焼けた左腕を見てため息を吐いた。
先程の《魔光》は寧々子が上階から撃ったものだ。
たとえ天井を隔てていたとしても、まっすぐに落ちたのだから玲央がどこにいるかは分かる。
それを利用した奇襲だ。
仮に外れたとしても、玲央が元いた場所を狙うと知っている薫子ならば巻き込まれるリスクもない。
「はぁっ」
追撃のチャンスと判断した薫子は玲央に接近する。
このまま彼に自身の幻影化を使わせる。
そのために。
しかし――
「なんてな」
玲央の姿が消えた。
そして次に彼が現れたのは――薫子の背後。
それも無傷で、だ。
「着地してから一歩も動かないわけないだろ」
――お前みたいな奴を相手にしてるってのによ。
そう玲央は口元を歪めた。
斬撃が閃く。
☆
「ぐっ……!」
血飛沫が上がる。
同時にゴトリと何かが落ちた。
――手首だ。
先程、玲央が振り抜いたサーベルが斬り落とした薫子の右手首だ。
「ッ……!」
痛みに耐えかねたのか、薫子はうずくまる。
戦いの中で彼女が見せた明確な隙。
そこを突く。
「らぁッ!」
玲央は床を蹴り、間合いを詰めた。
そして薫子の首にサーベルを振り下ろし――
「まだ――です……!」
薫子の左手が玲央の手首を受け止めた。
一瞬の均衡。
しかし力比べ――それも利き腕ではないとなれば不利なのは薫子だった。
じりじりとサーベルの刃が薫子に迫る。
「さすがに一回世界を救っただけの事はあるってわけか? 腕一本じゃ隙もできやしねぇ」
普通なら痛みで対応が遅れる場面だろう。
だが薫子の反応にほとんどロスはない。
それほど痛みへの耐性が高いということなのだろう。
「――腕」
そんな玲央の言葉に、薫子はそう口にした。
そして彼女は微笑むと――
「――なんのことですか?」
――右手の指を玲央に向けた。
「…………!?」
突然の事態に玲央は硬直する。
反射的に視線が、床に落ちた手首へと向かう。
(――この女、正気か……!?)
玲央は――気付いてしまった。
千切れた手首の断面。
そこから血が流れていないことに。
明らかに切り落とされてから時間が経っていることに。
薫子が用意した、悪魔じみた策に。
(たった一回の騙し討ちのためだけに……あらかじめ手首を斬り落としてやがった……!)
薫子は刃物を使わない。
それでも手首は斬られていた。
突発的に用意したものではない。
つまり、薫子は戦闘が始まる前から手首を斬り落として持ち歩いていた。
たった一回。
玲央の隙を作りだすためだけに。
そしてその奇策は――実を結んだ。
「――《魔光》」
指先から破壊の光が放たれる。
金色の閃光は玲央を焼き尽くした。
薫子の恐ろしい所は闇堕ちしているわけでもなく素面でこの戦い方をしているところですね。
多分、味方サイドにいても平気でやります。
薫子「戦う前に、念のため手首を斬り落としましょう」
寧々子「どうしてそうなるにゃん!」
雲母「迷子になったら投身自殺で見つけてもらうから大丈夫」
寧々子「やめるにゃん!」
リリス「…………」
寧々子「……何かやらにゃいの?」
リリス「エ?」
倫世「うふふ。組織の名前は……《『逆十字』魔女団》ね。で、マリアが戻ったら《『正十字』騎士団》。これでいきましょう」
寧々子「ツッコんで良いか一番困るにゃん……」
それでは次回は『未来は万華鏡のように』です。




