7章 15話 死と救済
この戦いも終わりが近づいています。
「――――《侵蝕》」
「……!」
リリスの声を耳にすると同時に、玲央は跳びあがった。
彼の眼下を汚泥が飛んでゆく。
玲央の背中を外れた汚泥は彼の向かい側にいた雲母に被弾する。
呼吸困難で動きが止まっていた雲母は汚泥をそのまま顔面で受けた。
顔面で――口で受けた。
「ちっ……! そっち狙いか――!」
雲母が汚泥を嚥下する。
汚泥は喉に侵入し――気道を塞いでいた布を腐食させる。
「ごふ……ごぼ……!」
雲母が咳込んだ。
それにあわせ、彼女の口から溶けた異物が吐き出される。
リリスの狙いはウイルスを利用し、雲母の呼吸を阻害していた異物を消し去ること。
ウイルスを飲んでも死に至らない雲母にだからできる荒業だ。
ともあれ、雲母が窮地を脱したのも事実。
「――ならパターンBだ」
無論、玲央も一つしか手段を考えていないわけがない。
雲母を殺す手段は他にもある。
「まずはこっちだな……!」
とにかく、まずはリリスのウイルスから逃れるのが先決。
玲央は空中に幻影の足場を作る。
彼は軽業師のように空を跳ねる。
ウイルスの包囲網を抜け、雲母へと再び肉薄する。
「《表無し裏無い》が脅威足り得るのは――お前自身が持つ運命だ」
不幸。
死にたがりの彼女を生に縛りつける不幸。
それこそが《表無し裏無い》を無敵にしている。
言い換えれば、その前提を覆してしまえば《表無し裏無い》はただの確率発動にすぎない。
「――オレの目を見ろ」
玲央は雲母の顎を指で持ち上げる。
二人の視線が交錯した。
その一瞬で玲央の能力は雲母の精神を凌辱する。
「ぁ……!?」
雲母が小さな悲鳴をあげ、目を見開く。
彼女が見ているのは――
「思い出せ」
「――あの戦いの惨劇を」
――星宮雲母は世界を救ったことがない。
彼女は戦争の道具として作られた魔法少女。
ゆえに、他の魔法少女とは違い改造を施されている。
今、玲央は彼女の脳内に映像を流している。
バトル・オブ・マギで戦った記憶を。
実験体として、あらゆる尊厳を奪われ心を砕かれた記憶を。
くだらない出世欲のために、人格を踏みにじられた記憶を。
――当然だが、玲央は彼女についての詳細を知っているわけではない。
だからこれは、彼女自身の記憶の再生だ。
強制的なフラッシュバック。
「痛かっただろう。苦しかっただろう」
玲央は雲母にささやきかけた。
そこにさらなる絶望を添える。
彼女の脳内で繰り返される映像に、感覚操作によって恐怖を上乗せする。
元よりトラウマになるほどの体験に、さらなる恐怖を重ね塗る。
生への希望を失うほどの体験を、さらに惨たらしく装飾する。
「――――死ぬのが怖いか?」
「ぁ……! ぁぁ……」
雲母が腰を抜かしてへたり込む。
――彼女は不幸になる。
死にたいと思えば、世界は彼女を生かし続ける。
なら、彼女が死にたくないと思えば――?
――世界は彼女を死に引きずり込む。
死にたくないと雲母に思わせる。
死の恐怖を思い出させる。
それこそが、雲母を殺す方法。
「ぁ……ゃ……」
全身が震え、まともに喋ることもできない雲母。
玲央は確信する。
(今なら――《表無し裏無い》は攻撃を反射しない)
厳密にいえば、本来の確率発動に戻る。
繰り返せば、いずれ殺せる。
「じゃあな」
「ぃゃ……!」
玲央はサーベルを振り抜いた。
雲母は防御しようと腕を突き出すが、恐慌状態の人間がする防御など隙だらけだ。
玲央のサーベルが雲母の喉に叩きつけられる。
――ゴルフボールのように雲母の体が吹き飛ぶ。
「外れか」
運悪く反射が発動したらしい。
雲母に外傷はない。
「じゃあ次だ」
玲央は一気に跳ぶ。
雲母との距離が一瞬で消えた。
錯乱した彼女では冷静な回避などできない。
「終わりだ」
玲央は剣を振り上げる。
これは断頭台の刃だ。
一撃のもとに首を落とす死そのもの。
「まずは一人」
――玲央は刃を振り下ろした。
☆
(……死ぬ)
雲母は理解していた。
今の自分は、死ぬ。
――恐ろしい。
これまで何度も死にたいと思ってきたのに、今は死ぬのが恐ろしい。
最低のフラッシュバック。
それが彼女に死の恐怖を教えこむ。
現実という地獄から抜け出した先にある死の楽園。
それが酷く恐ろしいものに見える。
(死にたく……ない)
理解している。
死にたくないという思いそのものが死を引き寄せる。
彼女に課せられた運命はそういう類のものだ。
死を恐怖する限り、彼女は死から逃れられない。
だからといって可能だろうか。
死にたくないから死にたいと思うなどという矛盾が。
そんな都合のいい考え方ができるわけがない。
だから――この死は避けられない。
「ぁ……」
刃が振り下ろされる。
あれが首に到達した時、雲母の命が終わる。
脳が破裂しそうなほど感情が渦巻く。
走馬灯が流れる。
死という終局を迎える恐怖。
喪った友人たちに会えるという安堵。
自分が抱いている感情さえ認識できない。
あるのはただ一つの確信。
この一撃に対し《表無し裏無い》は発動しないという絶対的確信だ。
(これで――終わり)
雲母の視界が涙で滲んだ時――
彼女の体が横に吹っ飛んだ。
「え……?」
雲母の顔面に温かい液体が飛び散る。
鉄の味。
これは――血だ。
だが、雲母の体には痛みなどない。
ならこの血は――
「なん……で?」
雲母は目の前の光景に唖然とする。
「リリス……先輩?」
そこには両肘から先を失ったリリスの姿があった。
立ち位置。姿勢。
彼女のすべてが、雲母を突き飛ばしたことを物語っていた。
雲母を玲央の一撃から守ったことを示していた。
「ぎ……ぐぁ……!」
両腕を失ったリリスが苦悶の声を漏らす。
だが彼女の眼光を衰えず、玲央を貫いている。
「――まさか、味方を庇うとは思わなかったな」
玲央が意外そうな声を漏らした。
それは雲母も同じことだった。
天美リリス。
雲母に破滅的な死をもたらすと約束した少女。
よりにもよって彼女が、雲母を守るだなんて――
「この――」
リリスが怨嗟のこもった声で叫ぶ。
「Maria――――」
「遅い」
だが、それも届かない。
玲央のサーベルがリリスの胸を貫いた。
「ありえないん…………だケド……」
リリスは苛立たしげに舌打ちすると、その場に倒れ伏した。
広がる血だまり。
出血量から考えて、刃は心臓を傷つけている。
明らかに致命傷だった。
(また……)
雲母は恐怖に震えた。
(また、誰かがわたしを守って死ぬ)
いつだってそうだった。
優しい人から死んでゆく。
雲母を守って。
雲母に思いを託して。
そうして彼女の肩は重くなる。
体は重く、天に昇った仲間と共にあることさえ許されない。
また――そうなってしまうのか。
天美リリスも、そうなってしまうのか。
(もう……失いたくない)
すでに、星宮雲母という人間は限界だった。
(もう……これ以上、背負えない)
また親しい人を失うなんて考えたくない。
また重荷を背負ってしまえば、もう彼女の体は壊れてしまう。
「…………!」
雲母は目にした。
わずかだが、リリスの胸に開いた傷が修復を始めている。
かすかだが彼女には息がある。
触れれば消えそうな命だが、まだ生きている。
まだ守れる。
(まだ――失ってない)
気が付くと――雲母は立ち上がった。
抑えようとしても止まらなかった足の震えはもう――ない。
(誰かの死を背負うのが怖いなら――)
(わたしが――守らないといけない)
「今だけは……死ねない」
その気持ちの根源にあるのは恐怖ではない。
――覚悟。
死にたくないから生きるのではない。
生きなければならないから生きたい。
今の星宮雲母には、生きるべき理由があった。
「――Mariage」
「――――――――《表裏転滅の占星術》」
次回あたりで玲央VSリリス、雲母は決着となります。
その次は倫世VSグリザイユ、キリエ、ギャラリー戦の予定です。
それでは次回は『表裏』となります。




