7章 6話 我らが女神に栄光の架橋を
女神サイドです。
「――――体調はどうだい?」
イワモンはベッドに語りかける。
豪奢な寝室の中心に据えられたベッドはまるで姫君の寝床だ。
もっとも、そこに眠るのは姫などという言葉に縛られる存在ではないのだけれど。
「……イワモン?」
薄いレースの向こう側で人影が身を起こす。
映るシルエット。
その起伏は、彼女が女性へと成長しつつあることを示していた。
「――マリア」
イワモンは少女の名を読んだ。
世良マリア。
始まりの魔法少女であり――魔法少女という概念を生み出した女神。
「んんぅ……」
唸るような声。
現在、マリアは高熱に侵されていた。
「熱はどうだね?」
「40……」
「ふむ」
いまだに下がらない熱。
イワモンはため息をついた。
「――やはり、作為的に召喚した反動だろうか」
「多分……ね。無理矢理に条件を満たしただけの覚醒だから、充分な権能をこの世界に持ちこめてないみたい」
権能。
彼女が女神として持つ世界の支配権。
今のマリアは権能の1割程度しか持っていない。
10000を越える魔法も使用にかなりの制限がかかっている。
「やはり権能が回復するまではこちらとしても仕掛けられないね」
「うん。魔王ラフガはもう、魔神の領域に踏み込みつつあるから……。女神としての権能は必要になると思う」
マリアの声は弱々しい。
体調が芳しくないのだろう。
「君の権能を回復させる手段を考えないとね」
「……ありがとう」
ふとマリアが口にしたのは、感謝の言葉だった。
「何百年も前に、イワモンはあたしに会いに来てくれた。」
マリアの口から漏れたのは――涙声だった。
(――何百年も前、か)
「僕が君に会ったのは、ほんの2年前だ」
女神は時系列に縛られない。
世界に危機が訪れたのなら、過去にも未来にも不作為に召喚される。
そんな運命の奴隷なのだ。
「だけど、君はあれから何百年も戦い続けてきたんだね」
「……うん。待ってた。あの日の約束を、イワモンが果たしてくれる日を」
「安心して欲しいマリア」
「――今回で最後だ」
そうイワモンは断言した。
次の機会なんて待てない。
仮に一年後であろうとも、次に現れる頃にはもうマリアは何千という戦場を渡り歩いた後だ。
そんな苦しみを背負わせない。
「……ありがとう」
その言葉を最後に、マリアの影が倒れた。
聞こえてくる寝息。
どうやら眠りに落ちたらしい。
「――礼を言うのは僕のほうだ」
「無限の時を越え、僕と出会ってくれてありがとう」
☆
「――倫世」
「どうしたの?」
寝室を出たイワモンが声をかけると、壁際に控えていた金髪の少女が答えた。
ハーフアップにされた金髪は金糸のように輝く。
着ている服も見る者が見れば上質な品であることが分かる。
だが彼女が持つ高貴さは容姿だけによるものではない。
その落ち着いた物腰が、所作が彼女を特別な存在たらしめている。
彼女――美珠倫世は世界を救った魔法少女だ。
ただの美しいだけの令嬢などではない。
美姫のような姿も、戦場では騎士のごとく激しい立ち回りを見せるのだ。
「任務を受けてもらいたいんだ」
「どんな任務かしら? 副団長」
「魔王軍への潜入だ」
「……!」
イワモンの提案に、倫世もわずかな驚きを見せる。
まさかこのタイミングで敵陣に攻め込むとは思わなかったのだろう。
「魔王城へのゲートは僕が開く。君は一人で魔王城に潜入して――主戦力を暗殺して欲しい」
「主戦力……と表現するあたり、魔王ラフガとの接触は控えるのね?」
「ああ。さすがに、君でもあの魔王の相手は難しいだろう」
魔王ラフガはすでに魔法少女の手に負える相手ではない。
彼を殺すにはマリアが戦うしかない。
とはいえ、《新魔王軍》には優秀な戦力がいる。
彼らが妨害に入れば、マリアの戦いに影響が出る可能性もある。
ゆえに――暗殺。
マリアが邪魔されることなくラフガと戦うための布石だ。
「いわばこれは前哨戦だ。来たるべき血戦に向け、敵の幹部を減らしておく」
「分かったわ」
美珠倫世は最強の魔法少女。
彼女であれば《新魔王軍》の幹部を複数人相手取れる。
そして――獲れる。
元々、彼女は一人で戦い続けてきた魔法少女だ。
一対多には慣れている。
それにいざという時の離脱の判断も誤らないだろう。
今回の任務には最適の人物だった。
「最優先はグリザイユだ。今の彼女は、脅威となりうる」
グリザイユ――灰原エレナ。
彼女は《怪画》であり魔法少女だ。
「以前は《怪画》としての力を失っていたが、もしも向こうで《怪画》としての力を取り戻したのなら……彼女は単純計算で倍は強くなることになる」
「……そうね」
グリザイユは人間を食わなかったことで《怪画》としては餓死寸前にまで衰弱していた。
そこに魔法少女としての力を与えただけであったため、彼女の戦闘力は魔法少女の規格を越えることはなかった。
しかし彼女が《怪画》としての力まで取り戻したのならば、二つの力を融合させて魔法少女の枠を超えた存在となり得るのだ。
殺しておくのなら早いほうが良い。
「とはいえ、今の段階なら倫世が手こずる相手でもない。優先的に消しておいて欲しい」
「ええ」
元より、魔法少女としては倫世のほうが圧倒的に強いのだ。
たとえ《怪画》の力を上乗せしても、現時点ではグリザイユが倫世を越えることはないだろう。
しかしそれは今ならの話。
実力では倫世が勝っていても、グリザイユは種族の器として魔法少女を越えている可能性があるのだ。
つまり、戦力の限界値が違う。
いずれ両者の力関係が逆転する可能性も考えられる。
「まだマリアは戦力に数えられない。それまでは、みんなに頑張ってもらうよ」
「分かっているわ」
穏やかに見える倫世。
しかしイワモンは気付いていた。
彼女が唇を噛んでいることに。
彼女の表情に、自責の念が浮かんでいることに。
その理由はきっと――《逆十字魔女団》が作られた理由に起因するのだろう。
「――――私には……責任があるもの」
女神マリアは時系列にも世界線にも縛られることなく世界を救い続けます。
だからこそ、数年前に会ったからといって彼女も同じ時間を体験したとは限りません。
百年以上経っているかもしれないし、もしかしたら以前の彼女よりさらに前のマリアかもしれません。
それでは次回は『Re』です。
悠乃たちの『Re(もう一度)』の物語です。




