7章 1話 魔女たちの宴
女神サイドの日常です。
一目で高価だと分かる調度品が惜しげもなく置かれた一室。
その中心には、10人が座ってもスペースが有り余るほどに大きなテーブルがあった。
「焼けたわよ」
そこへと金髪の少女――美珠倫世が大皿を持ってきた。
微笑む彼女が手にしていたのは――焼きたてのアップルパイだった。
「それじゃあ、お茶会を始めましょう?」
☆
この部屋に集まっているのは、《逆十字魔女団》改め《正十字騎士団》のメンバーだ。
美珠倫世。
天美リリス。
星宮雲母。
三毛寧々子。
そして――金龍寺薫子。
彼女たちはかつて、世界を救った魔法少女たちだ。
そして今は、世界を救済するために存在する概念――女神を人間へと引きずり下ろすための戦いに身を投じている。
「あっ。美味しそう~っ」
扉が音を立てて開く。
音の原因は一人の少女だ。
膝まで伸びたピンクの髪に、大人になり始めた身体。
一方で、少女は無邪気な表情や振る舞いゆえに見た目よりも幼くも見える。
彼女――世良マリアは明るい歓声を上げ、目を輝かせている。
「あたしの分もあるっ!?」
「大丈夫よ。ちゃんと、全員分に切り分けるから」
興奮した様子のマリアへと倫世は微笑ましげにそう言った。
世良マリア。
彼女は魔法少女システムの核――女神だ。
彼女がいるから魔法少女は生まれ、彼女がいるから世界は存続してきた。
そして今度は《正十字騎士団》によって救われるべき一人の女の子。
「最近、思うのよね」
倫世はアップルパイを切り分けながら話し始めた。
「幸せって、このアップルパイに似ているわ」
どこか愛おしむような表情で倫世はアップルパイにナイフを入れる。
「最初から幸せの総量は決まっていて、問題は――どう切り分けるか」
誰かの幸せを奪って、大きな幸せを得るのか。
自分の幸せを譲って、誰かがどこかで幸せになるのか。
不幸な出来事の裏で得をする人物がいて。
どんなに幸せを目指しても、誰もが救われる世界はない。
――ただ、あらかじめ与えられた幸福を分け合うだけの世界。
「私は、みんなに幸せになって欲しかった」
倫世はどこか自嘲的な笑みを浮かべた。
「でも、アップルパイなんていらないっていえるほど……強くはなかった」
――だから、私は一人でアップルパイを切り分けた。
「切り分けたアップルパイの中で、一番小さくなってしまったものが私のもの。そうすれば、どこかで誰かが少しだけ幸せになる。そう信じている」
――自己満足、かもしれないけれど。
美珠倫世は、一人で世界を救った魔法少女だ。
だからこその葛藤もあったのだろう。
しかし彼女は一人で戦い抜いた。
自分が貧乏くじを引けば、未来という箱から不幸が一つ取り除けると信じて。
「みんなは、どうかしら?」
倫世は切り分けたアップルパイをさらに乗せ、お茶会の参加者へと配ってゆく。
「アタシは普通のアップルパイが嫌い」
そう言ったのは天美リリスだった。
「みんながいくら美味しいって言ってても、アタシは大嫌イ」
リリスはフォークでアップルパイを削り、口にした。
「だからアタシは目の前のアップルパイを捨てて、自分が――自分だけが大好きなアップルパイを焼き直シタ」
リリスの笑みが深くなる。
「みんな『こんなアップルパイは嫌い』って言うケド、アタシには関係ナイ。アタシはこのアップルパイが好きだカラ。それを隠したり恥じたりなんて、そうやって自分を曲げて生きるなんてありえナイ」
次に皿が配られたのは――雲母だ。
「わたしが本当に欲しかったのは――アップルパイを一緒に食べる友達」
「でも――みんなは優しくて……自分のアップルパイをわたしに遺してどこかへ逝ってしまう」
雲母は目を伏せる。
「そうして、わたしの前にはまたアップルパイが積み上がっていく」
――それは愛情という名の呪いだ。
星宮雲母は魔法少女同士のバトルロワイヤルの優勝者。
彼女が背負わされてきた重荷は想像もできない。
「食べ終わるまで席を立てないから、わたしはアップルパイを食べ続ける」
すべての理不尽を忘れ、割り切れるほど雲母は器用ではなかった。
「どんなにお腹一杯になっても、わたしは席を立てないまま」
そうやって、雲母だけが戦場に取り残されてきた。
そして今は、平和な日常に取り残された。
消えた命に置き去りにされた。
「だから誰かに、積み上げられたアップルパイを一緒に食べて欲しい」
――わたしを席から立てるようにして欲しい。
――席を立って、みんなに会いたい。
そう雲母は口にした。
「え? アタシ?」
次に皿を渡されたのは寧々子だ。
彼女は困惑した様子でアップルパイを受け取った。
「んー。そうだねぇ」
わずかに思案する寧々子。
しかしすぐに彼女は顔を上げると――
「――なんてことない話だよね」
寧々子はアップルパイを持ち上げると、大きく口を開いて頬張る。
「アップルパイは美味しいし、どうせならみんなで食べたほうがもっと美味しい。そんな単純なお話」
そして寧々子の視線が、わずかに薫子へと向いた。
その意味は――薫子には分からない。
「見るなら笑顔が良い。するなら楽しい話が良い。物語の結末は完全無欠なハッピーエンドで――って感じかな?」
そう寧々子は笑った。
かつて命を懸けて世界を救った女性。
今も、世界の犠牲となった少女を救うために彼女は戦っている。
壮大な戦い。
それでもきっと彼女の行動原理はいつもシンプルだったのだろう。
――誰かの涙を拭うため。
ただ、涙も血も流れないハッピーエンドを目指していたのだ。
「貴女はどうかしら?」
薫子の前に皿が差し出される。
それに合わせ、ゆっくりと彼女は語り始めた。
「――わたくしは、自分のために用意されたアップルパイなんてないと思っていました」
5年前の戦いが終わった。
そしてすぐに、薫子は道を踏み外した。
一度レールを外れた電車は、もう戻れない。
当然だ。
一度事故を起こした車両がレールに戻ったとして、誰がその安全性を信じてくれるだろうか。
結局は、そういう話だ。
金龍寺薫子は失敗をした。ゆえに彼女は誰からの信頼も得られない。
「だからわたくしは……もう一つアップルパイを焼くことにしました」
この世界にはもう、彼女のために用意された幸せはないと信じ込んだ。
ゆえに薫子は新しい幸せをもたらすことにした。
幸せの総量を増やすことにした。
「キッチンでアップルパイを切り分けて……その一つを貰う。そうすれば……それで十分だと、思っています。わたくしは一人でアップルパイを食べていれば……おいしそうにわたくしのアップルパイを食べている人々を遠目から見れたのならば……それで構いません」
金龍寺薫子は女神の後継者となる。
女神とは世界を救うためのシステム。
時間、世界。
あらゆる制約から解き放たれ、世界を救うためだけに戦う存在だ。
そんな女神としての権能をマリアから受け継ぎ、薫子は新たな女神となる。
薫子は世界を救い、己の価値を得る。
マリアは女神という重責から解放される。
人々は変わらず世界を守られる。
誰もが幸せになるエンド。
それで良いのだと、薫子は満足した。
「そう……」
倫世は優しく微笑むも、あえて多くは語らなかった。
最後に皿を渡されたのはマリアだ。
彼女は目を輝かせ、アップルパイを見つめている。
「あたし?」
ふと彼女は視線を上げた。
しかしアップルパイが気になるのか、マリアの視線は何度も落ちている。
「分かんないっ。アップルパイ食べたことないもんっ」
そう言うと、彼女は勢いよくアップルパイに齧りついた。
そして彼女は目を見開き、大声を上げた。
「アップルパイって初めて食べたっ! すっごい美味しいっ!」
――彼女は女神となって戦い続けた。
呼ばれるのは何時も魔法少女では手に負えなくなった世界の危機。
そこに幸せなど咲いているわけもない。
「もっと食べたいっ! これからもずぅっとっ!」
だから彼女は焦がれてきた。
ずっと、ずっと、ずっと。
そして彼女が女神という役割から解放されたのなら――
――彼女の幸せは続いてゆくのだろう。
薫子を連れ戻すことはマリアを助けないこと。
二人は同時に救われない。
はたしてそこに決着はつくのか。
それも本作のキーとなるでしょう。
それでは次回は『失意の中で』です。




