6章 34話 はじまり
最終部へのはじまりです。
人が未来に希望を抱くのは、どこかに神がいると信じているからだ。
人が真に絶望を抱くのは、この世界に神がいると知ってしまった瞬間だ。
☆
(――消えてゆく)
マリアはそう感じた。
分かってしまうのだ。
自分という意識が消えていくことが。
魔力が増して行くたび、己の存在が薄れてゆく。
もう天秤は逆転した。
今さら元に戻ることはない。
天秤の傾きが止まらない。
ついには皿から水がこぼれ落ち、もう一方の皿に流れ込む。
(ああ……思い出した)
ここにきてマリアはついに記憶の扉を開く。
マリアの中にいるもう一つの存在。
それの目覚めこそがトリガーだったのだろう。
(そうか、私――)
マリアは己の正体を知った。
なぜ自分に記憶がなかったのかも。
(私は……ただの入れ物だった)
そして――世良マリアの自我は消失した。
☆
「ん……」
悠乃は体が内側から温かくなるのを感じた。
本来ではあり得ないこと。
なぜなら、彼女の体は今、死へと向かっているのだから。
それとも死が近づいてきたからこそ苦痛から解放されつつあるのだろうか。
今度こそ助かりそうにない。
そう悠乃が思い始めた時――
「……あれ?」
彼女は、本当に体の不調が改善しつつあることに気がついた。
潰れかけていた頭が治癒している。
欠損していた脳の機能が戻ったからか、ただ見ているだけだった景色の意味が理解できるようになる。
(みんな――)
7人の魔法少女が挑み、敗北した。
その事実を理解する。
そして、倫世が何かを呟いたと同時に起こった異常も――
「…………マリア?」
悠乃は少女の名前を呼ぶ。
今、この場で立っている魔法少女は一人だけ。
世良マリアだ。
そんな彼女が見せた異常。
元々規格外だった魔力量がここにきてさらに膨れ上がる。
単純な魔力量だけなら、ラフガをも圧倒している。
ラフガがあまり魔力に頼った戦い方をしないという点を考慮しても、今のマリアが持つ戦闘力は彼に匹敵するだろう。
そう思わせるだけの存在感があった。
「おまたせだねっ。世界のピンチに女神参上☆」
普段とは違う明るい声でマリアがポーズを決める。
幼稚にさえ見える言動。
わずかに体が成長していることもあり、彼女が世良マリアなのか確信が持ちづらい。
「頑張ったねみんな。あたしからのご褒美だよ☆」
マリアが笑う。
同時に、悠乃以外の魔法少女へと光が降り注ぐ。
その光を浴びた皆は、一様に回復してゆく。
どうやら、悠乃が死を免れたのはあの力の恩恵だったようだ。
「――お初にお目にかかる、という奴だな」
ラフガはマリアへと向き直る。
緊張する空気。
しかしマリアから笑みは消えない。
「んー。よく分からないかなぁ」
マリアはそう言って首をかしげる。
「だって――」
「アナタの存在は何億年も前から知ってるもん」
マリアの返答を受け、ラフガも笑う。
好戦的で、敵意に満ちた笑みだ。
「――そういえば、お前はそういう存在だったな」
ラフガが――消える。
(時間を――)
悠乃が事態を理解した時には、すでにラフガはマリアの背後に回り込んでいる。
そのまま彼が手刀でマリアを脳天から両断しようとするも――
「万象全識。三千世界の向こうまで――」
「《女神戦形》――《女神に外れる道はない》」
ラフガの拳が空を突いた。
すでにマリアはラフガの後方へと移動している。
「奇怪な能力だ」
「そうかなぁ?」
「10000以上もある魔法の一つだし、よく分かんないかな?」
「――つくづく、腹の立つ存在だ」
ラフガが追撃を放つ。
しかしそれも、神出鬼没なマリアには当たらない。
拳が彼女に直撃すると確信した直後、マリアの姿が消える。
気がつけば、彼女は安全な場所へと退避している。
頭がおかしくなりそうなくらいに奇妙な光景だ。
「世界は因果――原因と結果で成り立っている」
マリアは笑う。
「攻撃をするから傷つくし。回避するから生き延びる」
「《女神に外れる道はない》は、その過程を跳躍する」
マリアは弓を出した。
同時に――
「!」
ラフガが体勢を崩す。
彼の足に矢が刺さっていたのだ。
――マリアは弓を持ち上げてさえいないのに。
「動かなくても、『アナタの攻撃を躱したという結果』へと至り。矢を撃つことなく『敵を射抜いたという結果』へと跳躍する。過程を経ることなく、成功の未来へと跳躍する。それが《女神に外れる道はない》だよ」
それはきっと、歴史への冒涜だ。
世界は連鎖している。
一秒前があるから今がある。今の世界にあるすべての要素を引き継いで、次の一秒が作られる。
そうして連綿と続く歴史を――マリアは跳躍する。
一足飛びで、過程を経ることなく結果を手にするのだ。
それはまさに――神の所業。
「マリア……君は……誰なの?」
悠乃口からそんな疑問が漏れる。
そこに解答を提示したのは――倫世だった。
「彼女は――始まりの魔法少女よ」
「え?」
傷が癒えたらしい倫世が悠乃の隣に立っている。
彼女の視線は、続々と意識を取り戻しつつある他の魔法少女たちに注がれている。
「始まりの……って」
「そのままの意味よ」
倫世は言葉を区切る。
「彼女は――魔法少女システムを作った――最初の魔法少女よ」
「最初の……って。100年やそこらの話じゃ……」
悠乃はイワモンから聞いた話を思い出す。
彼女のパートナーであり、魔法界から派遣されてきた魔法生物。
悠乃たちを魔法少女にした彼が言っていたのだ。
魔法少女は、呼び方こそ違えどずっと昔から存在していたと。
マリアを初めてというのなら、時系列が合わない。
「別におかしくないわ。だって彼女は――何億年も昔から生きているのだから」
「何億……?」
「世界救済システム――女神システムとして……世界の概念そのものとなった彼女には寿命という制約は存在しないわ」
「彼女は最初の魔法少女であり、人から神へと至った存在でもあるの」
倫世は語る。
世良マリアは、己の手で魔法少女というシステムを組み上げたのだと。
「私たちが魔法少女になる時に渡されたクリスタル。あれは――始祖である彼女魔法を借りるための許可証。私たちが振るう魔法の源流は、すべて彼女にあるのよ」
――以前、薫子が言っていた。
魔法少女となる際に与えられたクリスタル。
魔力の塊であるそれを、なぜ悠乃たちは作れないのか。
同じ魔力を使い、操作する技術があるのならあのクリスタルも作れて当然のはずなのに。
倫世が口にしたのはその答えだ。
あのクリスタルは――許可証。
魔法少女の力を得るのではなく、魔法少女の力をマリアから借りるための道具。
あれは魔力の結晶であることが大事なのではない。
誰の魔力であるかが大事なのだ。
マリアの魔力だからこそ――彼女から魔法を借りることができるのだ。
たとえば悠乃が魔法の結晶を使ったとして、誰かを魔法少女にすることはできない。
当然だ。
悠乃が持つ魔力は――元をただせば借物なのだから。
「名を名乗れ。女神」
ラフガはマリアにそう言った。
「我の前では、お前も所詮ただの小娘だ。女神などと気取った名乗りは許さん」
そう彼は言った。
名を名乗れと。
自分と同じ目線に立てと。
そうラフガは要求しているのだ。
「仕方ないなぁ」
マリアは――いや、女神はそう苦笑した。
彼女は頭を掻くと――笑みを浮かべた。
「あたしの名前は世良マリア。覚えておいてね?」
「…………………………え?」
悠乃は思わず変な声を漏らした。
気付いてしまったのだ。
脳のどこかで、真実に至ってしまったのだ。
「ふざけるな。それは入れ物の名前だろうが。我は、お前自身の名を名乗れと言った」
ラフガは不機嫌を隠さない。
彼からすると、女神が仮名を持ち出してはぐらかしたようにしか聞こえない。
だけど真実は違って――
「物分かりが悪いなぁ」
困ったようにマリアは笑う。
そして――
「あたしが人間だった頃の名前は世良マリア。そう言っているんだよ?」
(――なんで)
悠乃は気付いてしまう。
今度は無意識ではなく、理論立てて理解した。
(――なんで、彼女が世良マリアを名乗るの?)
本来ならありえないことなのだ。
「――世良マリアは、僕たちがつけた名前だ」
悠乃は茫然と呟いた。
「だから――マリアの本当の名前が――世良マリアなはずがないんだ」
仮名と本名が一致する可能性など限りなくゼロだ。
余程ありふれた名前ならばともかく、世良マリアという名前が完全に一致する確率などないに等しい。
「どういう……ことだよ?」
意識を取り戻したらしい璃紗がそう聞き返して来た。
彼女の顔色は悪い。
それは戦闘のダメージのせいだけではないだろう。
彼女も、本当は理解しているのだ。
残酷な真実を。
「世良マリア。それを決めたのは僕らの総意だったけど……最初に提案したのは……一人だ」
「僕たちは、君のアイデアで……彼女を世良マリアと名付けた」
悠乃は後ろを振り返った。
そこに――いると思ったから。
「君は…………最初から世良マリアの名前を――正体を知っていたんだ」
――お前たちの中に裏切り者がいる。
かつて加賀玲央が残した言葉を思い出す。
「つまり――――――――君が裏切り者だ」
悠乃はそう突きつけた。
大切な――仲間へと。
「そうでしょ? ………………イワモン」
悠乃の視線の先には――イワモンが佇んでいた。
イワモン
→イワモノ
→岩物
→『宝石』を砕いて作った絵の具
→魔法少女を犠牲にして願いを叶える存在
それでは次回は『おしまい』です。




