6章 12話 未来を見通す参謀と猫
薫子VS寧々子です。
「にゃにゃにゃん?」
住宅街を屋根から屋根へと駆け抜けていた寧々子が立ち止まる。
理由は簡単だ。
彼女が――金龍寺薫子が立ちふさがっていたからだ。
「――来ましたね」
薫子はすでに変身している。
いつでも戦える状態だ。
「アタシの相手は君かぁ」
――困ったにゃん。
そう言って寧々子は手の甲を舐めた。
ピコピコと猫耳が揺れる。
「ちょっと予定変更にゃん」
寧々子は目を細めた。
彼女はその場で小さく跳ねる。
そして次の瞬間、動いた。
「《猫踏まず》!」
「ッ」
振り下ろされる猫爪。
それを薫子は身を引いて躱す。
爪の軌跡が地へと到達する。
だがそこで終わらない。
寧々子はもう一方の手で薫子に追撃を放つ。
だが――
「遅いです」
薫子は右手を寧々子の手首にそえ、彼女の攻撃を制止する。
――黒百合紫をキッカケとして起こった大騒乱。
その中で薫子は魔法少女として数段上のステージに上っていた。
ゆえに、寧々子と近接で戦うことも可能だ。
「………………信じられない未来だにゃん」
「現実に起こったら、信じられましたか?」
「さすがに信じるにゃん」
寧々子は数歩下がる。
先程の攻防において、薫子は寧々子を攻撃するつもりはなかった。
だから寧々子も無理に未来を変えようとしなかった。
二人は試したのだ。
寧々子は、薫子が高い身体能力を得ていること。
薫子は、己の力が寧々子に通用しうるものであることを。
寧々子は警戒心を引き上げて一旦距離を取る。
薫子は自身の想定に誤りがなかったことを確信して距離を詰める。
「《女神の涙》」
薫子のスカートから爆弾がいくつもこぼれた。
それらは一斉に起爆し、砂煙を巻き上げる。
視界ゼロの空間。
当然、薫子も周囲の状況が分からないが、より大きな影響を受けるのは寧々子のほうだ。
「あなたは、未来を『見る』ことができるのでしたね?」
そう薫子は問いかけた。
「そうなれば――視覚以外を使う戦いなら条件は同じです」
寧々子の能力は未来視だ。
視力に頼るがゆえに、見ることのできない未来は分からない。
声も、感触も、臭いも。
察知できないのだ。
だから戦場から視覚を除外した。
目で見ることのできない戦場にしたのだ。
「はぁっ」
薫子は拳を突き出した。
だが、それは容易く止められる。
――二人は、かつて世界を救った魔法少女だ。
視力を潰されたくらいで破綻するほど――浅くない。
彼女たちが積み上げた戦士としての厚みは、目を塞がれてなお戦闘を成立させていた。
足音で敵の位置を察知。
経験と勘で、敵の動きを予測する。
二人は見えない敵を前にして、互角に戦っていた。
――周囲に響く爆発音。
現在、この戦場の周辺には爆弾が仕掛けられている。
一定間隔で起爆を繰り返すことで、砂煙を晴らさないために。
(とはいえ、あまり長くはもちませんね)
爆弾は魔力で作られている。
つまり、この砂霧は薫子が魔力を使って作りだしているもの。
当然ながら、そうなれば薫子のほうが消耗も大きい。
だから彼女も、最初から最後までこの作戦に頼ろうとはしていない。
(一分。この一分で、何かアドバンテージが欲しい)
薫子が設定した時間は一分間。
それまでは砂煙が充満し続ける。
その一分間の間に、薫子が有利に立ち回ることのできる要素を作りだす。
あとはその優位を利用して寧々子を倒す。
理想としては目。次点で足。
最低でも、それなりの手傷を残しておきたい。
煙が晴れてしまえば、寧々子には未来予知という有利が舞い戻る。
その時のため、薫子にも武器が必要なのだ。
未来を覆すキッカケが。
「一つ忘れてるにゃん」
そう寧々子が言った。
「忘れている、ですか」
薫子は応戦しつつ、そう聞き返した。
見えはしないが、寧々子がわずかに笑うのが分かった。
「アタシには5秒前の未来が見えているにゃん」
――つまり
「アタシのほうが5秒早く視界が開けるにゃん」
「が、ぶ……」
薫子の顔面に拳が撃ちこまれる。
衝撃で脳が揺れ、足腰が立たなくなる。
そうして彼女が身を折ったタイミングに合わせ、腹に回し蹴りが叩きこまれた。
5秒間。
それだけの間、寧々子だけが視覚を使用できていた。
均衡が崩れた5秒間で、彼女は一気に戦況を変える。
「ぐぅ……!」
薫子は地面を転がる。
衝撃のせいで、すぐには起き上がれない。
「未来視を妨害するには良い手だったけど、詰めが甘かったにゃん」
だが寧々子は追撃しない。
無理に攻めるタイミングではないと考えているのだろう。
未来視が戻っている以上、焦る道理はない。
自分のペースを守り続ければ勝てる戦いだと。
そう判断したのだ。
「一つ、忘れていますよ?」
だから、薫子は言った。
ふらつきながらも立ち上がって。
「貴女は5秒先の未来を見ているから――」
「わたくしのほうが、5秒後で目が見えなくなったんです」
「とはいえ、貴女は現在の景色も見えていますからね。上手く隠すのに苦労しました」
薫子は寧々子――彼女が待つ着物の裾を指さした。
そして、寧々子はそこにある物を見た時――顔色を変えた。
「にゃ……!」
そこにあったのは、ピンの抜けた手榴弾だった。
「わたくしをあまりに強く吹っ飛ばすものですから、抜けてしまいました」
薫子は手元から手榴弾のピンをこぼした。
その数は一〇では足りない。
あの攻防の中、薫子は寧々子の衣装に手榴弾を取りつけていたのだ。
最後――寧々子だけが周囲を見ることのできるようになったタイミング。
そこで、攻撃を食らった衝撃によってピンが抜けるように。
薫子が吹っ飛んだとき、彼女の体から伸びた糸とつながっているピンが抜けてしまうようにと。
「5秒で外せると良いですね」
「ッ!」
薫子が微笑むと、慌てたように寧々子は動き出した。
彼女はその場で回転する。
ふわりと着物がまくれあがり、彼女の足が露出する。
白く、すらりと伸びた脚が。
「にゃん!」
寧々子は両手の爪で着物の裾を破り捨てる。
膝丈にまで短くなった着物。
寧々子は急いでその場を跳んで離れた。
――爆発。
もしも寧々子の反応が遅れていたのなら、足の一本は飛んでいたことだろう。
「油断にゃん。もし爆弾の事を教えなければ、アタシも食らってたかもしれないのに」
そう寧々子は笑う。
油断だと。
勝ち誇り、あそこでタネを明かしたのは失策だと。
――そう思うのは当然だろう。
現実として、寧々子は無傷なのだから。
だが、違う。
そんな穴が、薫子の作戦にあるわけがない。
「あ。忘れていました」
薫子が手を叩く。
あえて爆弾の存在を明かしたのは、あのまま爆弾に気付かせなければ未来視で爆弾に気付いた寧々子が《花嫁戦形》をする可能性があったから。
深手が避けられないと察した彼女が《花嫁戦形》をして、魔力によるガードをしてしまうことを避けるため。
もしも彼女が《花嫁戦形》となれば、通常状態で作った爆弾では大したダメージにはならないのだから。
「背中にも一つ付けていた気がします」
だから、一つの爆弾を無防備な彼女に当てることにした。
「にゃんッ!?」
爆発。
寧々子は爆風に巻き込まれて姿を消した。
彼女は今、爆炎の中だ。
「――貴女の弱点は、5秒後の未来しか見えていないことです」
「だから、残る4秒から現在に至るまでに『どう』未来が変わったのかを知ることができない」
服についていた手榴弾を外したことで、寧々子は思ってしまったことだろう。
これで爆発の未来は避けたと。
――もう一つ爆弾が残っているとは知らず。
しかもその爆発が背後からのものだったせいで、寧々子は最後まで爆発を知ることができなかった。
精々体勢を崩すことは分かっていたくらいで、その原因が爆発だとは本人も思っていなかったはず。
それこそが薫子の罠。
言葉巧みに、トラップを半分解除させた。
そうすることで、寧々子に脅威は回避したと勘違いさせたのだ。
「――恐ろしい子だにゃん」
爆発の中から寧々子が現れた。
彼女の衣装は背中の部分が弾け飛び、白い背中があらわになっていた。
そこにはいくつもの金属片が突き刺さっている。
それは手榴弾の爆散と共に飛び散ったものだ。
金属片を飛ばすことで殺傷力を増した手榴弾。
それを寧々子の背中にセットしておいたのだ。
(浅くはないけれど負傷でもない。といったところですね)
そう薫子は分析した。
だが、それでも一手だ。
積み重ねていけば、寧々子を倒すことはできる。
「本当に、厄介にゃん」
問題は、油断のなくなった薫子にどうやってその一手を届かせるかだ。
《猫踏まず》の弱点は、未来『視』であるがゆえに、視覚的に死角となる部分の未来は見通せないことですね。
次回は『白いキャンバスに灰色の血を』です。




