6章 6話 運命に導かれて
運命という存在は、本作において大きな意味を持つものといえるかもしれません。
(弓――)
マリアは右手に視線を落とす。
彼女の手には弓が握られていた。
彼女の魔力なら、一撃でミュラルを討てるほどの威力の魔法が放てる。
(両手さえ使えれば――)
左腕は壁に捕らわれて動かせない。
それさえなければ、ここまで無様にマリアが嬲りものにされることはなかっただろう。
「何か――」
――その魔法は。こうやるんだよ。
「……?」
声が聞こえた。
誰かが、マリアに語りかけてくる。
――魔法の弓なんだから撃つのに両手なんていらないに決まってるでしょ?
女の子の声が聞こえる。
ノイズ混じりで掴みどころのない声。
だが彼女は、マリアの魔法を理解しているかのように喋っている。
――ほら。右手を上げて。
「ん……」
マリアは声に従う。
声を疑う気持ちなどなかった。
なぜか確信があった。
この声の言うことは正しいと。
この声に従うことは――運命だと。
「はぁッ……」
頭に流れ込む情報をなぞり、マリアは矢を放った。
彼女の弓から魔力の矢が撃ち出される。
――左手を使わずに。
「……撃てた」
――まあ、《魔光》の応用だし、これくらいの威力が限界かぁ。
どこかつまらなそうな声が聞こえる。
だがこれは、状況を打開する一矢だ。
「!」
マリアは腰をひねり、背後へと弓を向けた。
そして矢を放つ。
「なッ!」
壁が穿たれ、動揺するミュラルの姿が見えた。
射出された矢は――彼の頬を掠める。
ギリギリでミュラルが体を傾けたのだ。
わずかな血が飛ぶ。
だが、有効打にならなかった。
それでもいい。
「やっと……動ける」
マリアは立ち上がった。
先程の一射で、彼女を縛り付けていた壁を破壊したのだ。
「ここから――逆転」
マリアは弓をミュラルへと向けた。
「……ほう」
一方、ミュラルはわずかに目を細めていた。
「まさかこのような技術を隠していようとは。いやはやお見事ですね」
ミュラルはそう手を叩く。
「いや。この局面に至るまで、そんなつまらない切り札を隠しておくメリットも見えませんねぇ」
思案するミュラル。
そして彼は口元を歪めると――
「成長、ですか。この短期間で、魔力の新しい使い方を覚えたというわけですか」
「まあ、素人に毛が生えた程度ですが」
ミュラルが懐から鎖を引き出した。
垂れる鎖。その端には手錠のようなものがついている。
「そ・れ・で・は! 《前衛将軍》の威光を見せつけるとしましょう!」
振りかぶって鎖を投げるミュラル。
手錠がマリアに迫る。
(弓で弾いて、カウンターで撃ち抜く……)
手錠にはそれほどの魔力が乗っているようには見えない。
魔力でコーティングした弓ならば容易く逸らせる攻撃だ。
そう判断したマリアは弓を振るうが――
「……!」
手から弓がこぼれ落ちた。
手錠と弓が触れ合った瞬間、弓がマリアの手をすり抜けたのだ。
「言ったでしょう! 私の《我関せず》は触れた者に透過能力を付与すると!」
その光景に戸惑うマリアと、喜悦を浮かべるミュラル。
「もちろん、間接的に触れるだけでOKです」
マリアが持つ弓。ミュラルが持つ鎖。
二つが触れた時、能力の発動条件が揃ったのだ。
だからマリアの体は透過してしまい弓が持てなくなった。
一方、飛来した手錠はマリアの腕を通り抜け――嵌まった。
「こうやって途中で透過能力を外せば、このように手を拘束することも可能です」
現在、マリアの片手には手錠が嵌まっている。
言い換えれば、今の彼女であれば弓に触れられるはず――
「ダメですよ」
「っく……」
足元の弓を拾うためにマリアが手を伸ばすと、ミュラルが鎖を引いてそれを阻止した。
腕を強く引かれ、マリアはその場に倒れ込む。
「アナタが手にするのはコレですよ」
ミュラルが地面に転がった彼女に歩み寄ると、もう片方の手に手錠をつけた。
これでマリアの両手は完全に拘束されることとなる。
「そおれ。ハイ!」
ミュラルは腰をひねると、ハンマー投げでもするかのように鎖を――マリアの体を振り回す。
そしてそのまま、壁へと叩きつけた。
「ぅぐ……!」
マリアの口から苦悶の声が漏れる。
「くふふ……ほぉれッ」
ミュラルは微笑み、鎖を掴んだまま跳びあがる。
崩れかけた廃墟の天井。
そこのある一点――柱へと鎖を引っかける。
「これでどぉでしょうかッ」
鎖を手にしたまま落下するミュラル。
すると当然、鎖は天井に向かって引っ張られることとなる。
「…………!」
そのことに動揺したのはマリアだ。
――彼女の両腕が引き上げられる。
上方の柱に巻き付いていた鎖が、滑車のようにマリアを吊り上げているのだ。
「――――っ」
なんとか抵抗するマリアだが、単純な筋力では対抗できない。
必死につま先を伸ばすが、ついに地面から足が離れてしまう。
「これで料理完了ですねぇ」
ミュラルが鎖の端を握ったまま歩み寄ってくる。
マリアが身動きの取れない状態になったことで、彼は昂ぶったように大袈裟な身振りで笑う。
「くふ……ふふふ……! いやはや、どれほどの強敵かと思っていたのですがねぇ。とはいえ……仮設定ではこんなものなのですかねぇ?」
(これは……まずい)
マリアは現在の状況をそう評価した。
両腕は拘束。地に足はついていない。
これではまともな抵抗などできない。
奇跡的に手繰り寄せたはずの逆転のチャンスが潰えたのだ。
――仕方がないなぁ。
(また聞こえた)
声ずっと聞こえている。
楽観的な声が。
窮地にあるマリアを、まるで映画でも見ているような気軽さで傍観している声が。
――ちょっといじるだけで調整できる範囲じゃないかなぁ?
そう軽い調子で喋っている。
――仕方ない。ここはちょちょいと《花嫁戦形》にでも……。
「おや」
ミュラルが声を漏らす。
原因は――マリアの身に起きている異変だ。
まず、髪が伸び始めた。
元々長めだった髪が膝に届くほどに、くるぶしに迫るほどに。
そして次に、乳房が膨らみ始めた。
一方で、マリアは自分の体の急激な成熟に戸惑いを覚えていた。
この数秒で、明らかに数年分は体が成長している。
これもまた、聞こえてくる声の仕業なのか。
そう考えていると――
――いや。いらなそうだね。
そんな声が聞こえた。
すると、またマリアの肉体が逆行してゆく。
髪は短くなり、女性的な起伏も消えてゆく。
――ギリギリで調整成功だよ。
わけの分からない言葉。
だが、その答えはすぐに提示された。
「マリア!」
この場に現れた、一人の少女によって。
少女は魔法少女の衣装を纏いそこに立っていた。
青い髪を後頭部で束ねた装いで。
氷剣と氷銃を携えて。
「……蒼井悠乃」
マリアは彼女の名を呼んだ。
蒼井悠乃。
5年前に世界を救った魔法少女であり、マリアを《逆十字魔女団》から守ろうと戦ってくれている少女。
そんな彼女が、ここにいた。
「まさかこんなにすぐに見つかるだなんて――運が良かった」
そう言うと、悠乃は息を吐いた。
どうやら走りっぱなしでここを探していたらしい。
もっとも、それを差し引いたとしても、こんな廃墟にいたマリアを見つけるなど偶然にしては出来過ぎているのだが。
――いやはや、このあたりは因果の管理が面倒だよ。
それを最後に声が聞こえなくなる。
結局、声の正体は分からなかった。
だが――
ともかく、ここにマリアの窮状を脱するための援軍が現れたのであった。
マリアに語りかける声。
それははたして、悠乃たちが聞いた声と同じものなのか。
次回は『透きとおる氷壁』となります。




