5.5章 4話 白いキャンバスに潜む悪魔
回想編最終話。天美リリス編です。
鬼灯灯花は魔法少女である。
人々の願いを糧に世界を蝕む《悪魔》を浄化するために戦う魔法少女だ。
そんな灯花は今、学校の廊下にいた。
そこで――妖精と出会った。
「――あの人は……」
綺麗な人だった。
流れるような黒髪をなびかせ歩く姿。
同じ小学生とは思えないほどの美人がそこにいた。
「あ……天美先輩だ」
そう言ったのは、灯花の傍らにいた少女――神原榊だった。
彼女は灯花の親友だ。
しかし、彼女は魔法少女ではない。
当然、魔法少女については何も話していない。
それでも大切な友人で、灯花が守るべき人なのだ。
「天美先輩?」
「うん。天美リリス先輩。知らないの?」
「……うん」
知らないのは事実なので灯花は頷いた。
すると榊はため息を吐く。
「灯花は芸術に疎いですなぁ」
「芸術?」
「そ。リリス先輩は神童って呼ばれるくらいすごい画家なんだよ?」
「……へぇ」
そう言われるも、漫画くらいしか読まない灯花にはピンとこない。
「あの人の絵ってすごいんだよ? すっごく透明感があって。清らかで。希望にあふれた世界がそこにあるの」
どうやら榊はリリスのファンらしく、嬉しそうに語っている。
「それにあの人綺麗でしょ? だから『妖精』って呼ばれているんだって」
(確かに、すごく綺麗な人……)
妖精。
その言葉は、灯花の胸にすとんと落ちた。
あの人が浮世離れした雰囲気を纏っているのは事実だったから。
「「――――――――――――」」
ふとした瞬間。
灯花とリリスの視線が交わった。
とはいえ、二人の視線が移動した軌跡が偶然に重なっただけの事。
特に意識しあったわけではない。
ない――はずなのだが。
(本当に……綺麗な人)
どこか運命のようなものを感じている自分がいた。
鬼灯灯花。
天美リリス。
これが、二人の少女が出会った瞬間。
世界を救う二人の道が、初めて交差した瞬間だった。
☆
「ぅ……」
灯花は大剣を杖のようにして立ち上がる。
すでに体はボロボロ。
重い手足は思った通りに動いてくれない。
それでも、灯花は倒れるわけにはいかないのだ。
目の前には《悪魔》がいて、背後には大切な学校があるから。
「無茶だ……! 勝てる相手じゃない……! こんな奴、今戦って良い相手じゃない……!」
そう相棒であるハステルは苦しげに叫んだ。
彼は正義感が強い。
彼だって本当は言いたくないのだろう。
――逃げろだなんて。
それでも彼は灯花に言った。
逃げろと。ここは敗北の苦汁を受け入れるべきだと。
今日の敗北を糧に、世界を救うための力を研ぎ澄ませるべきだと。
しかし――灯花は逃げなかった。
「アタシは逃げない。今逃げたら、明日のアタシに顔向けできないから」
今の自分が逃げたら、明日の自分はどうなるのか。
どんなに悔やんでも、逃げた昨日からのスタートだ。
それは――嫌だ。
「はぁ……ここで死んだら、本当に明日の貴女に顔向けできないでしょう?」
そんな声が響いた。
鈴の鳴るような美声は、大きくないのに心に届く。
灯花はふらつきながらも声の主を見た。
そこにいたのは――黒髪の少女。
「仕方がないから。私が加勢するわ」
「ぁ……」
少女は――天美リリスは腕を組みそう言った。
彼女と灯花が合うのは初めてではない。
天美リリスは――《悪魔》に魅入られていた。
画家としての自分に限界を感じていた彼女は《悪魔》と契約をしようとしていたのだ。
《悪魔》と契約をすると一つの願いの代償として《悪魔憑き》となる。
そうなれば《悪魔》に使い潰されるだけの駒だ。
そんなリリスを救うため、灯花は戦った。
以来、二人の親交は続いていたのだ。
魔法少女という秘密を共有する者として。
「ハステル。私を魔法少女にして」
そうリリスは告げた。
「え……。でも、魔法少女にはなりたくないって――」
戸惑うハステル。
当然だ。
一度は彼女を魔法少女に勧誘して――断られたのだから。
理由は――天美リリスは画家だから。
万が一にも手に怪我を負うような行為に身を投じたくない。
そう彼女は言っていた。
画家である彼女が自分の両手を大事にすることはある意味で必然だろう。
だから勧誘はやめたのだが――
「そうはいっても仕方がないでしょう?」
「守りたい人の――守りたいもののためなら」
そうリリスは口にした。
クールビューティーな態度は崩れていなかったが。
それでも彼女は、灯花との友情を口にした。
「――分かった」
そんな彼女を見て、ハステルも覚悟を固めた。
「――今日から君は――魔法少女だ」
この瞬間――世界の歯車の行く末が決まった。
☆
「やったー! やったね!」
《悪魔》を討伐して小躍りをしている灯花。
そんな彼女を、小さく微笑みながらリリスは眺めていた。
「それにしてもすごいねリリス先輩! リリス先輩の魔法を受けたら――すっごい力が湧いてきたよ」
「そう……?」
リリスは掌を見つめる。
そこにあるのは――白い魔力。
その能力は――活性。
痛みを消す。自己治癒能力を高める。身体能力の一時的な向上。
そんな力を有していた。
もっとも、すべての能力に『無理に』という接頭語がついてしまうため、あまり多用しない方が良さそうな魔法でもあるのだが。
ともかく、彼女の魔法の効力で再び灯花は戦うことができ、《悪魔》を討伐できたのだ。
「これまで《悪魔憑き》としか戦ってこなかったからね。正直《悪魔》がここまで強いとは思わなかったよー……」
疲れた様子でそう言う灯花。
《悪魔》は言うなれば《悪魔憑き》のボスだ。
その強さも格が違ったのだろう。
残念ながら、リリスには比較対象がいないためよく分からないのだが。
「それにしても本当にすごいよ」
「……何が?」
リリスは首を傾けた。
そんな彼女に灯花は笑顔を見せる。
「だってリリス先輩、すっごく勇気があるんだもん。アタシなんて、初めて戦った時は震えてたのに」
そんな笑顔を見て――リリスは疑問を覚えた。
不自然であると気づいたのだ。
不自然に、自分が落ち着いていると。
いや、不自然に自分が興奮していると。
(あ……れ……?)
リリスは体を見下ろす。
そこには魔法少女としての衣装――カラフルな制服とエプロンがあった。
エプロンは――血で汚れている。
(なんで私……血が嫌じゃないのかしら?)
普通、返り血であろうとも大なり小なり忌避感を示すものだろう。
だがリリスは、血痕に気付きもしなかった。
(私……殺したのよね?)
相手は人型で、会話もできる。
相手が《悪魔》と知らなければ友達にだってなれるのかもしれない。
そんな敵を殺したのに――
(なんで……?)
殺したのに――……
(なんで私……悦んでるの?)
この日、一人の魔法少女が現れた。
だが、誰も気付いていなかった。
同時に、決して開花してはいけない才能が目覚め始めていたことに。
「ねぇ、リリス先輩――」
☆ ☆
「大丈夫だよリリス先輩。もしリリス先輩が――」
☆ ☆
「お願いリリス先輩。私は――」
☆ ☆
「ありがとう……リリス先輩。私を――――くれて」
☆ ☆
「………………んんぅ」
リリスは豪奢な椅子の上で目を覚ました。
片膝を立てて彼女は座っている。
目の前にあるのは描きかけのキャンバス。
どうやら途中で寝ていたらしい。
「――――くっだらないヨネ」
リリスはそう吐き捨てる。
過去を、未練たらしい夢を。
彼女はそのまま再び自分の世界に没頭する。
――しようとした。
「――――リリス先輩」
そんな声が聞こえてきた。
自然とリリスの手が止まる。
知っている声だ。
星宮雲母。
同じ《逆十字魔女団》のメンバーであり――死にたがりの少女。
そして、リリスを先輩と呼ぶ少女。
「――リリス先輩は、わたしを殺せる?」
そんな問い。
色のない声で何気なさそうに紡がれた質問。
「――ハァ?」
リリスは首だけで振り返る。
そこにいたのは、パジャマ姿の雲母。
どこか眠たげにも見える様子の彼女。
同時に、瞳には不安の色が宿っている。
怖い夢を見た子供が、母親に平穏な未来を何度も確認するような。
そんな問いかけだった。
もっとも、内容は正反対だが。
それに対するリリスの答えは――
「殺せないわけないんですケド」
断言した。
「ていうか、言わなかったっけ? この上なく破滅的に殺してアゲルって」
想像し得ないほど恐ろしい死を。
死にたがりの少女が、死を不幸だと思えるほどに破滅的な末路を。
用意して見せると約束したのだから。
「――ありがとう」
きっとそれは、雲母が望む言葉だったのだろう。
「楽しみに――待ってる」
どこか安堵したような表情を浮かべると、彼女は背を向けた。
そのまま立ち去っていく雲母。
――大した理由はない。
ただ、ふと視界の端にチョコレートが映った。
食べかけの――2つしか残っていないチョコレート。
それをリリスは手に取ると――
「ホラ」
――放り投げた。
雲母は飛んできたチョコを両手で受け取る。
きょとんとした様子の雲母。
だがそれを無視して、リリスはキャンバスへと視線を戻す。
「それでも食べれば? 糖尿病で死ぬんじゃない?」
そう言い残して。
リリスは、雲母がどんな表情をしていたのか知らない。
ただ――
「ありがとう……リリス先輩」
そう告げ、雲母は去っていった。
「ありがとう……ネ」
一人になった部屋で、リリスはそう呟いた。
彼女の手には依然として筆は握られていない。
視線もキャンバスを見ているようで何も見ていない。
見ているとしたら――夢の続きだ。
――ありがとう……リリス先輩。私を……殺してくれて。
「ほんと……同じようなことばっかり言うヨネ……」
リリスは椅子の上で膝を抱き、顔を伏せた。
「……本当、バカみたい」
「――――――――――――――――――灯花」
その呟きは、誰の耳にも届かない。
天美リリスが魔法少女となった動機は、大切な友人への恩返し。
しかしそれが皮肉にも、彼女の中に眠っていた残虐性を開花させることとなってしまいました。
今回のエピソードは序盤。これからリリスが自身の本質を理解してゆく中盤。一人で抱え込むことをやめて灯花に支えられながらも『人間』として生きてゆくことを決める終盤。となっております。
その結末は本作の通りなのですが。
ちなみにリリスは《逆十字魔女団》の初期メンバーであり、《逆十字魔女団》を倫世が『結成しなければならなかった本当の理由』を知っている人物です。他のメンバーは《逆十字魔女団》の目的を知ってはいても、結成理由までは知りません。そもそも結成理由が別にある事を知りません。
ちなみに、本作における戦いが起こった理由は大きく分けて
1、先代魔王戦にいたという『4人目』
2、倫世が《逆十字魔女団》を『あえて作った』
3、リリスが6年前の最終決戦で『ある事実を知ってしまった』
というあたりが関わってくるんですよね。
それでは明日より6章『崩落へのカウントダウン』が始まります。
次回『世界の罪の重さを知る少女たち』です。ついに始まる『《逆十字魔女団》終焉編』お楽しみに。




