5話 20話 落ちる花弁
これから《魔界樹》が猛威を振るってゆきます。
「っ……!」
紫はわずかに身を傾け、銃弾を躱した。
一方、射撃をした当人である氷華はすでに動き始めていた。
彼女の中では、先程の一発で決まるなど微塵も考えていなかったのだろう。
あくまであれは、ただの挨拶代わりだ。
氷華は身を低くして地を駆ける。
その軌道。
美月は自分の役割を悟る。
「速水さん……!」
美月は影でナイフを作ると、氷華が通るであろう道へと投げ込む。
「――感謝します」
全力で氷華は駆け抜ける。
――無駄のない動作でナイフを受け取って。
「はぁッ」
紫が腕を振るう。
それに呼応し、複数の茨が氷華を襲う。
「――――」
だがそれを氷華は容易く躱した。
耳元を掠めるようにして茨がすり抜けてゆく。
当然のことだが、人間である氷華は身体能力において魔法少女に劣っている。
だからあれは――技術なのだ。
相手の攻撃を予測し、最小の動きで回避。
言葉で言うのは簡単。
実行するのは至難の神業。
それを彼女は成し遂げているのだ。
「やはり、魔法の武器は斬れ味が違いますね」
氷華はほとんどの茨を躱し。
どうしても躱せない位置にあった茨を影のナイフで切り払う。
「くっ……!」
それに対して、紫が選択したのは拳銃による射撃。
だが、それも当たらない。
「貴女は遠距離から圧倒的な物量で押し潰すタイプの戦い方をしているそうですね」
氷華が紫の懐に潜り込んだ。
「だから接近戦のための動きが未熟です」
氷華がナイフを振るう。
高速の斬撃は、紫の首の皮を裂いた。
とっさに彼女が首を傾けていなければ、血飛沫が舞っていたことだろう。
「化物と戦っていたから――人間の殺し方を知らない」
「なら――」
紫は腕を振り上げた。
「避けようのない一撃を――んぐッ」
紫が大規模な面攻撃を仕掛けようとした瞬間、彼女の胸が光刃に貫かれる。
春陽の魔法で狙撃され、紫は一瞬動きを止める。
不発に終わる大規模魔法。
そのタイミングで、氷華はナイフを構えた。
ナイフを茨で防御しようとする紫。
しかし――
「がッ」
氷華の回し蹴りを側頭部に食らってよろめいてしまう。
さっきの動作は、ナイフに意識を向けるためのブラフだったのだ。
だから横から迫る蹴りに紫は気付けなかった。
「……すごい」
美月に言えるのはそれだけだった。
氷華は紫に比べ、総合力で大きく劣る。
当たり前だ。
人間と魔法少女。比べることさえ愚かだ。
しかし、戦闘技術という一点においては、氷華は紫を凌駕している。
それ一つだけで、彼女と渡り合えてしまうほどに。
もちろんこれは、春陽が大規模攻撃を妨害してくれるからこそ。
しかしそれを差し引いても、目の前の光景は異常だった。
(これだけの技術があればきっと私も――)
そう思ってしまう。
美月は未熟者だ。
だからあそこまで上手く戦えない。
それでも分かってしまうのだ。
あの戦い方は美月の能力と相性が良い。
きっとあれば、美月のスタイルを最適化した先にあるものなのだと。
――暗殺者の戦い方なのだと。
☆
「――やはり脳へのダメージは効くようですね」
氷華は冷静にそう判断した。
さっき紫の側頭部を蹴り抜いた。
彼女がダメージから回復するのがわずかに遅い。
これまでの攻防から考えると、ほんの数秒だが遅れが生じている。
胸を貫かれてもすぐに動き始めた彼女が見せた異常。
それは紫の弱点が脳である事を悟らせるには充分な証拠だった。
「っ」
紫の体の重心が後方に移動した。
このままの間合いで戦い続けるのは不利と判断し、跳び退こうとしているのだ。
判断は間違っていない。
しかし――
「美月さん」
「――《影の楽園》」
しかし、それは予測のつく一手だ。
美月が影を操り、紫の背後に壁を作る。
これで紫は氷華とのインファイトに応えるしかない。
「面倒ねぇ」
紫は手元で茨の剣を作りだす。
とはいえ、スイングの瞬間まで待つ義務もない。
氷華は紫の初撃を潰すため、全力でナイフを突き出して紫の手首を裂いた。
握り損なった茨の剣が落ちてゆく。
「魔法少女同士ならともかく、人間を殺すのにその大振りは必要ないと思いますが」
撫でれば殺せる相手に、隙だらけの大振りは不必要。
その判断が瞬時にできないあたり、やはり彼女は接近戦に精通していない。
接近戦という不慣れな間合い。
大技を狙撃で妨害される。
飛車角落ちとでも表現すべき状況。
だからこそ、熟練した人間なら戦える。
だが問題がないわけでもない。
「っ……!」
氷華のナイフが紫の額を裂いた。
だが脳には到達しない。精々、薄皮を裂く程度。
理由は簡単だ。
紫の頭には、植物のティアラが巻かれている。
「貴女が最終的に狙うのは頭部でしょぉ? それが分かっているなら、そこを守ればわたくしは死なないわぁ」
それこそがネック。
最終的に破壊しなければならないところが決まっているのだ。
だから紫は、そこの防御以外は捨てられる。
彼女にとって別の箇所は何度斬られても再生可能なのだから。
「はぁっ」
先程のやり取りで、紫も大技を使えないことを理解している。
だから彼女は溜めのない一撃を放った。
――早撃ちだ。
「ぐッ……!」
氷華はナイフ越しの衝撃に後ずさった。
急所の前に構えていたナイフに銃弾が当たったのだ。
着弾箇所の予測。
それが予想できていたからこそのガードだ。
これは綱渡りだ。
一度でも予測を外せば――即死。
「ほぉらぁ」
紫が横薙ぎに鞭を振るう。
そのタイミング。
氷華はスライディングで攻撃の下をくぐり抜ける。
そのまま紫とすれ違う瞬間、ナイフで彼女のアキレス腱を断つ。
膝をついた紫。
そのまま氷華はナイフを逆手に持ち、紫の後頭部に――
「……!」
氷華は後方に宙返りした。
距離を取った彼女の頬には、血が流れていた。
「あら残念」
紫が顔だけで振り返る。
彼女の背からは――木の枝が生えていた。
そのうちの一本には血が付着している。
「体が植物になっているからこそ――全身が武器というわけですね」
体が植物だからこそ自由自在に変形させることが可能なのだ。
「それでも、やることは変わりません」
氷華が飛びだす直前。
美月が大量の影手裏剣を投げ放つ。
「あらあら」
紫の腕が――変形する。
歪で巨大な植物の腕に。
そして紫はすべての影手裏剣を薙ぎ払う。
「……!」
現在、紫は意識を背後に向けている。
この機会なら――殺せる。
おそらく、紫もそれを察している。
ゆえにこのタイミングで攻撃したとしても氷華は殺される。
そこまで理解したうえで紫は考えるだろう。
――氷華は仕掛けないと。
だから相討ちだ。
相討ちでなら、ここで紫を殺せる。
(これは、必要な犠牲です)
氷華は地面を蹴った。
影の魔法で作られたナイフなら紫の頭部を貫通できる。
彼女は紫に迫り、ナイフを突き出――
「…………ッ!?」
内臓が痙攣するような感覚に氷華は動きを止めた。
体が言うことを聞かないのだ。
「ぁ……ぁ……」
(なにが起こって――)
思わず氷華は地面に倒れ込んでしまう。
体内で起こる異変に動揺が隠せない。
「あらあらぁ。無様に倒れちゃってぇ。もう受粉しちゃったのねぇ」
紫は地面に転がった氷華を見下ろしている。
その間にも体の中の異変は加速してゆく。
「ぁ……ぁぁ……」
(体が――おかしい……!?)
「んぁぁっ…………!?」
臓物が――激しく脈動した。
べちゃり。
喉をこじ開け、何かが産み落とされた。
それは――
「花……?」
氷華は地面に落ちているものを見て、怪訝な表情となる。
それは花だった。
黒い……黒百合の花だ。
「今、この町には《魔界樹》の花粉が蔓延しているわぁ」
「ぁ……く……」
すさまじい倦怠感に襲われ、氷華は立ち上がることもできない。
「《魔界樹》の花粉は人間の体内で受粉し、花を咲かせるの」
「げ……ぅぐ……!」
胃がせり上がり、氷華はその場で嘔吐する。
吐き出したものはやはり――黒百合の花だ。
「そうやって花を排出しているのが、何よりの証拠」
紫は愛おしそうに氷華の顎を足で持ち上げる。
「やがて、この世界の生物は全身から《魔界樹》の花を咲かせて滅亡する。だからわたくしは、かつて《魔界樹》を伐採したの――世界を救うために」
(体中に違和感が……)
氷華は体内に違和感が点在していることに気付いた。
おそらくそこで花が咲き始めているのだ。
「ぅっ……!」
「あら。もう次が始まっちゃったのかしらぁ」
笑う紫。
「ぅぐ…………!」
しかし、氷華はそれに反応している余裕などない。
「っ…………!?」
地面に濡れた花弁が舞い落ちる。
ついに氷華は力尽き、地面に転がった。
「あらあらぁ……。やっぱり、人間風情がわたくしに勝つだなんてありえないことだったのねぇ」
紫の声が遠くに聞こえた。
冷静に考えると、地球上の全生物が体内から植物になっていくってかなりグロい終末のような気がします。
次回は『世界に巣食う大樹』です。
話は一度、《魔界樹》戦へ。
マリアが覚醒へと近づいていく予定です。




