5章 19話 裂き誇れ花
戦いは続きます。
「《黒百合の庭園・魔界樹林》」
黒百合紫の容貌が変わる。
純黒にして漆黒の花嫁衣裳。
薔薇の眼帯。
手足に巻き付いた茨。
茨姫のごとき姿の彼女は妖艶に微笑む。
「うふふ……」
「ッ……!?」
突如、美月たちのいた教室が爆発した。
原因は、地面から巻き上がった大量の茨だ。
圧倒的物量で校舎の一角が崩壊してゆく。
(これが……《花嫁戦形》)
美月は空中に投げ出された状態から体勢を整え、無事に地面へと降り立った。
だが表情はすぐれない。
たった一度。
それだけで己と紫との間にある隔絶された戦力差を思い知ったからだ。
経験で勝てない。
しかも、相手は《花嫁戦形》によって大幅に能力が上昇している。
不利なんてものではない。
「だから一瞬で決めたかったんですけど……」
美月の頬を血が流れた。
どうやら茨が掠っていたらしい。
潜影。影を利用した武器。身軽な体。
元来、美月が得意とするのは暗殺スタイル。
真正面からの削り合いには最初から不向きなのだ。
だからこその奇襲だったのだが、それも失敗した。
「金龍寺さんの指示では、この時点で彼女を倒すことは諦めて退却……」
今回、美月たちは町中に散開したグリーンガウンの討伐も同時並行で行っている。
そのせいで、紫と戦うために割けた人員は最低限。
だからこそ薫子はあらかじめ、かなり早い段階での任務放棄を推奨していた。
逃げられるタイミングで逃げるように言われていたのだ。
しかし――
「ですがまだ――打つ手はあります」
美月は右手に影を集めた。
(まだ彼女を自由にするには早すぎます)
ここで紫が好きに動き回れる状況を作ってしまえば、他の仲間たちが危険だ。
「もう少し――足止めさせてもらいます」
美月の手中で影が形を成す。
それは――巨大な手裏剣だった。
「はぁ!」
美月は体を一回転させ、手裏剣を投げ放つ。
手裏剣は素早く回転しながら紫を狙う。
「あらあら」
一瞬、紫の右手がぶれた。
続く発砲音。
気が付くと、影手裏剣が打ち砕かれていた。
――早撃ち。
紫が得意とする技術だ。
この目で見たのは初めてだが、確かに――速い。
接近戦であれを撃たれたら、見てから躱すことは不可能だろう。
だが――
「それくらい予想できています」
今の攻撃は、こうなることを前提としている。
影手裏剣が撃ち抜かれ――破片が紫の影を貫くことを前提としている。
「――《影縛り》」
「体が……?」
紫は銃を突き出した姿勢のまま動かなくなった。
美月が持つ魔法の一つで、彼女の動きを制御したのだ。
とはいえ、それはほんの一秒程度。
しかし充分だ。
狙いを定めるには充分だ。
「がッ……!」
3カ所。
紫の胸、両足が光刃に貫かれた。
魔法の出所は、遥か遠方にある建物の屋上。
「狙撃、かしらぁ……」
今の魔法は春陽によるものだ。
遠距離に届き、風の抵抗を受けずに直進する。
その性質は、狙撃と相性が良い。
今回、紫討伐のために割り振られたのは黒白美月ではない。黒白姉妹だ。
もし紫を倒し損ねた場合、春陽が屋外からの狙撃で支援する。
それが当初からの作戦だったのだ。
もっとも――
「でもぉ……効かないわぁ」
紫の再生能力は想定外だったが。
(動きを鈍らせるのが限界ですか)
数秒あれば紫は体を再生させる。
いくら手足を貫こうと、すぐに紫は動けるようになる。
「それじゃあ……イクわよぉ?」
紫は魔力を高めた。
おそらく、またあのすさまじい物量での攻撃が来る。
「これで狙撃はできないでしょぉ」
紫は左右に植物の壁を作りだす。
重厚な防壁で、射線を塞いだのだ。
だが――
「悪手です」
「姉さんを甘く見ないで」
蒼井悠乃が言っていた。
黒百合紫と戦う上での最適者を。
遠距離で戦える魔法。相手の魔法を撃ち抜ける貫通力。
黒白春陽は――それを満たしている。
「がッ……」
植物の壁を貫き、光刃が紫を貫通した。
鎖骨から侵入した刃が脇腹から飛び出す。
本来であれば致命傷。
紫は体をぐらりと揺らす。
「なるほどねぇ」
だが紫は倒れない。
口から血を垂らし、それでも微笑んでいる。
「わたくしが大技を使おうとすれば、狙撃が飛んでくるわけね」
紫の予想は正しい。
ただ漫然と狙撃を繰り返していても意味がない。
今回、春陽は美月では対策の難しい大技を妨害するためにいる。
美月は俊敏な魔法少女。
しかし、あの物量を駆け抜けるのは物理的に不可能。
だからといって茨を斬り捨てる攻撃力もない。
ゆえに、美月では対応できない攻撃をあらかじめ潰す役がいるのだ。
(時間を稼ぐだけでは駄目)
美月は紫から目を逸らさない。
(観察をしなければ……)
戦いながら、紫の情報を抜き出してゆく。
後々の戦いに続くように。
攻撃を躱しながらも、頭の中で考察を構築する。
(彼女の再生力は魔法によるもの)
魔法によって、内臓を植物へと代えているのなら――
(――つまり、彼女の脳は人間と変わらないはず)
もし脳を植物と入れ替えるには、一度脳を破壊しなければならない。
だが一度でも脳を破壊してしまえば魔法を使えない。
この二律背反により、紫の脳は魔法で代替できない。
(心臓では即死とはいきませんし、植物に入れ替えられている可能性はあります。でも、脳だけはありえない)
そこからいえることは一つ。
(――脳を破壊すれば彼女を――殺せます)
脳を狙う以上、生け捕りという選択は難しいだろう。
だから決意しなければならないのだ。
――黒百合紫を殺すという決意を。
黒白美月は思い出す。
先日。
黒百合紫の暗殺計画を提案した日の事を。
その時、春陽は暗殺に消極的だった。
そして今回、紫を殺す以外に彼女を止められる可能性が低いと分かった。
そうなれば――
(私がやるしかありませんね)
美月は唇を噛む。
必要だから同意したものの、人殺しなど忌むべきことと美月は理解している。
相応の覚悟が必要だ。
「気を抜いちゃダメよぉ?」
だが、それが隙になる。
「きゃ」
後ずさった瞬間、何かにつまずいて転んでしまう。
その場で尻餅をつく美月。
目に映ったのは、地面に落ちている茨の切れ端。
どうやらあれに引っかかったらしい。
殺人の覚悟を己に問いかけた一瞬。
その際の心の揺れが、注意を散漫にした。
これがその末路だ。
「終わりよぉ」
紫の手に、枝が捻じれたような鎗が現れる。
それを高く構え、投げる体勢に移行する。
「ッ!」
美月は焦って立ち上がる。
あれが当たれば、美月の命はない。
「もう遅いわぁ」
だが、間に合わない。
そう美月が絶望的な確信をした時――
「私はそう思いません」
紫の手首が銃弾で撃ち抜かれる。
握力を失った手から鎗がこぼれ落ちた。
「……また、あなたねぇ」
紫は恨めしそうに銃を撃った人物――速水氷華を睨む。
氷華は拳銃を構え、正面から紫と相対した。
「美月さん」
氷華は表情を変えることなく美月に呼びかける。
「貴女は魔法少女です。戦う側の人間です」
彼女の言う通りだ。
美月は戦わなければならない。
だからこそ今、ここで覚悟を――
「同時に、貴女は子供です。真っ当に育った人間です」
「人を殺す覚悟なんて、するべきではありません」
そう氷華は断じる。
「そういう覚悟をするのは――」
氷華は銃口を紫の額へと向ける。
「汚い人間だけで充分です」
銃弾が放たれる。
あと1週間ほどで5章も終わることを受け、少し次章のお話を。
以前書いたように、5.5章として『過去への微睡み』を書いてゆきたいと思います。
5章では黒百合紫の過去に触れたのですが、他のメンバーの過去に触れる機会がなさそうだったので。
5.5章は全4話。《逆十字魔女団》のメンバーが昔の夢を見る、という形式になります。
構成としては、
1話 黒猫は月夜に鳴いて (寧々子編)――物語中盤
2話 雪降る夜に独り (倫世編)――最終章手前
3話 誰かの絶望で育った願い (雲母編)――最終章序盤
4話 白いキャンバスに潜む悪魔 (リリス編)――物語序盤
この章を書くにあたって、《逆十字魔女団》以外の魔法少女や魔法生物の設定も考えたわけですが、意外とここで終わってしまうには惜しいくらい気に入ったキャラも生まれて面白かったですね。
さて、それでは次回は『落ちる花弁』です。




