5章 16話 冥土に散れ
同時並行で紫戦です。
「――――良い香りね」
紅茶の香りを嗅ぎ、黒百合紫は顔をほころばせた。
現在、彼女は大学内の一室にいる。
そこは彼女の控室として用意されていた部屋だった。
それでは紫は講演会に向けて待機しているのか。
無論、そんなことはない。
町中は今《魔界樹》によって大混乱だ。
当然、学生も教員たちも避難している。
ただ紫がこの部屋に居座っているだけにすぎない。
「今日で、人間は滅ぶわ」
紫は口元を歪める。
その愉悦に染め上げられた表情はどこか扇情的にさえ見えた。
「葵がいないのなら。我慢してまで人間を生かしておいてあげる必要はないものね」
――黒百合紫は人間が嫌いだ。
魔法も使えない――魔法少女の下等種が嫌いだ。
あんなものが自分と対等な関係だと思っているなんて許せない。
だから――今日で人間を滅ぼす。
「――わたくしは唯一『魔法界に踏み入れた魔法少女』ですものぉ。わたくしの手でクリスタルを奪い――魔法を使える新人類だけの世界を作る。それがわたくしには可能ですわぁ」
紫は知っている。
魔法界へと行く手段を。
それには魔法生物の力が必要だが、紫の魔法で神経を支配してしまえばそれも容易い。
そうして魔法界から、魔法少女のクリスタルを奪い、優れた人間にだけ魔法を与える。
「正しい人間。選ばれた人間だけの世界。世界とは本来、そうあるべきだったのよぉ」
そこまで言うと、紫は紅茶のカップを下ろした。
そのままゆっくりと立ち上がると――扉の向こうに声をかけた。
「それがわたくしの犯行動機。――納得できたかしらぁ?」
客観的に見て、今の紫は奇妙な行動をしているようにしか見えないのだろう。
だが彼女は確信していた。
――扉の向こうに誰かがいると。
「――――バレてたってわけね」
扉が開く。
そこから現れたのはただの女性だった。
魔力はない。
それなりに美人だが、絶世と呼ばれるはずもない程度。
端的にいえば――取るに足りない。
紫にとって目の前の女性への評価はそんなものだった。
「私は宮廻環。まあ――雑誌記者ね」
女性――宮廻環はそんな場違いな自己紹介をする。
一目で分かった。
彼女は魔法少女ではない。
だから紫は一切警戒することなく、紅茶を口にした。
「足音は消していたつもりだったんだけど」
「こう見えてもわたくし。テレビに出ているもの。記者の存在には敏感よぉ?」
紫は世界を救った魔法少女だ。
一般人が多少気配を隠したところで、それくらい察知できる。
造作もないことだ。
「それで? どうしたのかしらぁ。記者さんは。逃げ遅れたのかしらぁ」
そう紫は問いかける。
もっとも、それはないだろうが。
少なくともそうなら、足音を消す必然性がない。
「………………」
だが、環は答えない。
沈黙している。
(――緊張?)
紫は環の感情をわずかに察していた。
体の力み具合から、彼女が何か大きな行動を前にして緊張していると。
そして、環が何かを覚悟したことを。
「銃なんて。アメリカで一回撃っただけなんだけどッ……!」
環は両手で拳銃を構えた。
(魔法――じゃないわねぇ)
紫は拳銃を見て、魔法的な処置が施されたものではないと見抜いた。
つまりあれは、本物の銃だ。
日本育ちの魔法少女である紫にとって、ある意味で魔法の銃よりも馴染のない武器だった。
「もしかして――堅気の人間じゃないのかしらぁ」
「っもう……バレたらシャバじゃ暮らせないわねッ……!」
紫の問いかけへの返答は――発砲だった。
だが紫は動かない。
ただ弾丸は彼女の頬を掠め、背後の壁にめり込んだ。
「外れ」
紫は微笑んだ。
弾丸の軌道くらい撃つ前に予測できる。
だからさっきの弾丸は当たらないと分かっていたのだ。
紫は一歩だけ環へと近づく。
すると環は一歩下がる。
それが面白くて、紫の笑みが深くなった。
「その拳銃をどこから手に入れたのか分からないけれど、素人なのは確かみたいねぇ」
「でも、わたくしを撃つということは――知っている側の人間と思って良いのよね?」
――黒百合紫を魔法少女と――《逆十字魔女団》と知っている。
現在の騒動が、彼女によるものと知っている。
つまり――敵だということだ。
拳銃を所持しているということは――倫世あたりが適当な人間を見繕ったのだろうか。
彼女の家ならそういうことも可能だろう。
「なら――」
紫は魔法で作った拳銃を手中に生み出した。
――紫は今日、起きた瞬間から変身していた。
服はいつも通り。
だが、体は魔法少女。
今日に襲撃を受けるのは分かりきっていたのだ。
油断を見せるはずがない。
偽装をやめ――紫の衣装が変化する。
講演会のために着ていたスーツから、魔法少女のドレスへと。
「言っておくけれど、わたくしは外さないわよぉ」
すでに紫は環を敵として見ていない。
もう彼女から注意を外し、周囲への警戒へと意識を向けている。
――だから、ギリギリで気付けた。
「ッ!」
紫は弾かれるように振り向いた。
彼女の勘が、生命の危機を訴えてきたのだ。
その予感の正体は――メイドだ。
天井に張り付いた、一人のメイドだった。
「すみませんが。貴女には消えてもらう必要があります」
メイドの女――速水氷華はそう呟いた。
冷淡な表情で。
「ッ……!」
「――もう手遅れです」
紫が拳銃を構え直そうとした時、氷華が天井を蹴った。
何かが照明に照らされて光った。
それは――サバイバルナイフだった。
紫が弾丸を射出するよりも速く、氷華は彼女とすれ違う。
耳元で氷華がささやいた。
「――すでに貴女は、冥土に立っています」
――紫の首から鮮血が舞う。
とある大学の一室。
そこに――彼岸花が咲き誇った。
次回『わたくしは花になりたい』です。
少しずつ紫の本性が顔を見せ始めます。




