5章 8話 一命
VS紫戦 (エピローグ)です。
「――嘘だろ」
璃紗は目の前の光景に茫然としていた。
周囲には砕けた氷の破片が散乱している。
そして氷の欠片に囲まれるようにして倒れているのは大切な友人。
「悠乃ッ……!」
璃紗は倒れたまま動かない悠乃に駆け寄った。
悠乃は魔法少女の姿のまま倒れている。
そして何より、胸には氷剣が突き刺さっていた。
見た目から考えると、あの剣は悠乃自身が作ったもの。
どんな経緯かは分からないが、それが彼女の胸に刺さっているのだ。
――璃紗たちは別の場所で待ち合わせをしていた。
そして悠乃以外の全員が集まった頃――戦闘の音が聞こえたのだ。
それを聞いた璃紗たちは急いで駆けつけたのだが――
「どーなってんだよ……」
そこで見たのは――絶望だった。
璃紗は悠乃の頬に触れる。
――冷たい。
明らかに生きている人間の体温ではない。
「ッ」
璃紗は涙を流しそうになりながら悠乃の口元に顔を近づけた。
呼吸音は――ない。
体温はなく、呼吸もしていない。
そこにあったのは――悠乃の遺体だった。
「か……薫姉ッ!」
璃紗は背後にいる薫子の名を呼んだ。
いつだって、彼女は璃紗たちの傷を治してくれた。
そんな薫子に一縷の望みを託した璃紗だったが――
「……わたくしの魔法は……蘇生ではありません」
最後の希望さえ否定された。
「んなこと試してみねーと――――!」
璃紗は激情のままに薫子の胸ぐらをつかみ――絶句した。
見てしまったからだ。
あまりにも悲痛な薫子の表情を。
「わたくしが……仲間の命を助ける魔法の限界を試していないとでも思ったんですかッ……!」
薫子の目から涙がこぼれる。
「人間でこそありませんが、死んだ動物で何度も試しています。だから、わたくしの魔法の範疇を越えていることくらい……分かるんです」
「――――――――くそッ……!」
璃紗は唇を噛む。
口内で血の味が広がってゆく。
だが、その程度の痛みで自分を許せそうにない。
「アタシたちがもっと早くここに来てたら……こんなことにならなかったのかよッ……!?」
冷静にならなくてはいけない。
もしかすると、敵がまだ近くにいるかもしれない。
分かっている。分かっているのだ。
だが――
「ごめんなぁ……。悠乃ぉ……!」
涙をこらえきれない。
怒りにさえ変換できないほど深い悲しみに呑み込まれてしまう。
「でも……おかしいよ」
ふと、そう呟いたのは春陽だった。
彼女は悠乃の頬を撫でていた。
「――それは……確かに理不尽だとは思いますが」
美月はそう力なく言った。
彼女も憔悴しており、目の前の光景を受け止め切れていない。
「そうじゃなくて――」
――この場にいるほとんどの人間が冷静ではなかった。
だから気付かなかったのだ。
「――こんな短時間で、死体ってこんなに冷たくなるの?」
――そんな単純なことに。
「…………!」
最初に反応したのは薫子だった。
彼女は素早く悠乃に駆け寄ると、ポケットから出したハサミで悠乃の手を軽く切った。
「何してるんですかッ!?」
「血が……出ません」
美月が薫子を止めようとするも、薫子は悠乃の傷口を凝視している。
ハサミでつけられた傷口。
そこが――凍っていた。
「わたくしでは、悠乃君を治せません」
薫子が立ち上がった。
そして彼女が目を向けたのは――璃紗だった。
「これは、璃紗さんの魔法でなければ治せません」
「アタシの……?」
璃紗は彼女の言わんとすることが理解できずに眉を寄せた。
彼女の魔法は戦闘特化だ。
誰かを治せる魔法ではない。
超速再生だって、結局は自分にしか使えない。
「時間経過に対して低すぎる体温。胸に刺さった氷剣。それは悠乃君からのメッセージだったんです」
薫子はそう説明した。
「――悠乃君は多分、自害したんです」
「なんであいつが自殺するんだよ……?」
璃紗の頭はパニック寸前であった。
それが分かっているのか、薫子も説明を続ける。
「このままでは勝てないと悟った悠乃君は自分の魔法で自分を凍らせ――仮死状態になったんです。コールドスリープと言い換えても良いかもしれません」
魔法によって細胞が壊れる間もないほどの一瞬で体を凍らせる。
そうすることで、死を偽装したのだ。
「そこから分かることは、悠乃君が戦ったのは遠隔操作型の魔法――それも生命探知能力を持つタイプということです」
薫子は悠乃に起こった物事を解き明かしてゆく。
「もし術者が近くにいたのなら、こんな方法で死を偽装してもすぐにバレます。そして、相手が生命反応を探知できないのなら死を偽装する意味がない」
おそらく生命反応を追って自動で攻撃するタイプの魔法を使う相手だった。
だから悠乃は仮死状態になることで、自分を仕留めたものと敵に誤認させたのだ。
それが薫子の見解だった。
「璃紗さんの魔法なら悠乃君の氷を溶かせます。それを見越して、悠乃君は自ら仮死状態になったんですよ」
「そーいうことかよッ……!」
璃紗はすべてを理解した。
そして再び悠乃に駆け寄ると、彼女の体を抱き上げた。
氷のように冷たい肢体。それを、全身で抱きしめた。
「悠乃――戻ってこい」
璃紗は全身から放熱する。
少しでも早く解凍できるように熱く。
それでいて悠乃の体を壊してしまわないように。
もしも悠乃を溶かすのに時間をかけてしまえば、溶けてゆく過程で彼女の細胞が壊れてしまう可能性がある。
速すぎれば、大きすぎる熱量が全身のたんぱく質を変質させ今度こそ悠乃を殺してしまうこととなる。
そんな微妙な調節を要求される作業。
(でも悠乃は……アタシならできるって信じたんだよな……?)
だから、命運を璃紗に託したのだろう。
自力では生き残れないと悟った時、最後の希望を託してくれたのだ。
(なら、やるしかねーだろ)
璃紗は全霊を込めて魔力を制御する。
これまでの経験に従って、悠乃を壊さない限界まで熱量を引き上げる。
「お願いだからさ……戻ってきてくれよッ……」
少しずつ悠乃の体が熱を帯びてゆく。
だがそれは外部から熱を加えたからだ。
本当に彼女の容態が快方に向かっているのかが分かるのはこれからだ。
「――――――――けほ……」
小さな咳が聞こえた。
それは璃紗の胸あたりから。
「ぁ…………」
璃紗は声をこぼした。
見えたからだ。
悠乃が、わずかに目を開いたのが。
(――――良かった)
璃紗は成功したのだ。
絶妙な魔力操作を乗り越え、悠乃を蘇生させたのだ。
「……璃紗?」
まだ意識が朦朧としているのだろう。
悠乃は寝ぼけたような顔で璃紗の名を呼んだ。
ただそれだけのことが、たまらなく嬉しい。
「お前! マジで心配したんだからなッ……!」
璃紗は全力で悠乃を抱きしめた。
悠乃は「苦しい……というか……胸が……あわわわわ」などともがいているが知ったことではない。
璃紗は感情のままに彼女を抱いた。
「――正直、冷静ではありませんでしたね。もし春陽さんが違和感に気付いていなければ、わたくしも悠乃君の賭けを見落とすところでした」
薫子は安堵と自分への失望が入り混じったため息をついていた。
とはいえ、彼女が冷静でいられなかったことを責められはしないだろう。
親友が目の前で死んでいて、いつも通りの判断が下せるわけがないのだから。
「よがっだよー。ほんとーに悠乃センパイが死んじゃったかもって思っでだがらー」
春陽は号泣していた。
目の前で友人が死んでいるという光景は、彼女にとっても衝撃的なものだったのだろう。
そんな中で、彼女は悠乃が残した違和感に感付いた。
彼女が持っていた直感が、悠乃の命をつないだのだ。
「――ご無事で何よりです」
一方で、美月は澄ました表情でメガネを押し上げるだけだ。
もっとも、なぜかすぐに彼女は向こう側を向いてしまい、顔をこちら側の誰にも見せようとしなかったのだが。
――きっと、時々している顔を拭うような仕草が答えなのだろう。
「みんな……心配させてごめんね」
悠乃はそう言うのだった。
申し訳なさそうに。
同時に、少しだけ顔をほころばせて。
「それと……ありがとう」
そんな事を言うものだから、璃紗はつい悠乃を抱く腕に力を込め過ぎてしまう。
「むぎゅぅ……」
「――心配かけても良いけどさ……」
「またアタシが声をかけたら――ちゃんと戻って来いよ?」
璃紗が悠乃に言えるのはそれだけだった。
「いくら心配かけても、戻ってきてくれたら文句言わねーから。そのまんま……いなくなったりすんなよ……?」
璃紗は悠乃を抱きしめたまま語りかける。
言い聞かせるように。
「マジで……心配したんだからな?」
璃紗はそれからしばらく、悠乃を放すことはなかった。
悠乃の魔法にはこういう使い方もあります。
2話ほど日常回を挟んだ後、バトルパートです。
次回は『あなたのメイド金龍寺薫子』です。薫子による看病回となります。。




