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第37話 『闇市へおつかい -護衛任務-』上

 外に出るとあたりは暗かった。夕日ももう落ち着る寸前で、闇夜の中に消えかけの焚火のような赤を残すばかりだ。一琉は腰のホルスターに差した拳銃の存在を黒衣の上から触れて確かめ、ふうと息を吐き、先を行く時江に続いた。鼻歌混じりの彼女を、傷一つでも付けて帰すことになったら、自分は殺されるだろう。時江は、裾を紐で絞ったような丸いシルエットのカジュアルな黒衣を、涼しい風に膨らませて、気持ちよさそうに歩いていた。一琉とは反対に、緊張している感じはなかった。それにしても……あんなところへ、何を買いに行くというのだろうか。あの、無法地帯――闇市へ。


「闇市って、よく行くんですか?」

 一琉は近づいて、小声でそう尋ねてみた。佐伯に連れて行ってもらっているようだったが。

「うん、そうだね」


 闇市の連中とまで繋がりが……? 佐伯は一体どこまで手広いんだと途方に暮れるような気分になる。

 内緒話を楽しむように、時江も半歩近づいて囁き声で言う。


「秋葉原じゃ……手に入らない部品も、あるから……!」

「え、と……?」


 詳しく聞いてみようと思った時、不穏な気配を察知した。前方、右、後方を確認。後方に、基地内配置の夜勤兵が三、四人見えた。


「近くに死獣が出たみたいですね」

 獣の咆哮が上がり、次いで、まぶしい光がカッ、カッと足されていく。

「迂回しましょう」


「そうね。対応はされているみたいだけど」


 基地内は面積に対しての人員配置が多いので安全だ。だが、だからといってわざわざ死獣の出た道を選んで行くこともない。時江は近くの細道を曲がった。電燈も少なく、通ろうとしたこともないような道だ。十メートルくらい先にバス停が見えた。こんなところに、バスが通っているのか。夜勤の住む基地に電車は存在しない。代わりに、バスが網の目のように無数に走っている。


「乗るよー!」


 っと、バスが停まるのが見え、走り出す時江を追いかける。転がり込むように二人、乗り込んだ。


 一琉はバスの中でさっきの話の続きを聞いてみるつもりだったが、開くドアに足を踏み入れ段を上がった瞬間、そんな雰囲気ではないことを悟った。車内は空いてはいるものの、異様な空間が広がっていた。額から顎下まで切り裂かれたような傷のある眼帯者、右のズボンの裾を膝上で縛ってある片足しかない者、鼻をすすりずっと咳をしているうろんな乗客……事情を抱えたような乗客たちが、じろっと、一琉たち二人を見ていた。なんだ、おまえらは……何の用で……こっちに来る? と。


 空いている二人席に着いた時に隣の時江をちらと見ると、大丈夫、とでも言うように微笑み返された。一琉は黙って前を向いた。途中から乗車してきた者も似たような雰囲気で、終点まで一言も言葉を発しなかった。


 腐敗した街、闇の街、闇市……呼び名は数々で、ある程度想像はついていたが、実際に足を踏み入れてみるとその意味がよくわかるものだった。くたびれた露店や、うらぶれた娼館。ここは怪我や病気、その他事情により夜勤兵から転落した夜勤が集まる典型的なスラム街だ。時江はしばらく歩くと、プレハブ庫のような倉庫の前で足を止めた。


「ついたー。ついたついたっ」

 看板も何も出ていない建物だが、時江に迷う様子はなかった。

「ハードおじさんっ! 時江が来たよ~」


 ハードおじさん……?


 名前の時点で怪しさを感じたが、一琉が驚いたのはその人を見てからだった。その声に窓から顔を出したのは、老人……いや、中年か? 老人にも見紛うほど、薄汚く黄ばんだ歯はほとんど抜け落ち、白髪は何年も放置したようにごわごわとして野良犬を彷彿とさせる。穴の開いたボロボロのシャツを着て、垢なのか褐色の顔の皺を増やすように、彼はにかーっと笑うと、


「おお……お……グ、グヒッヒッヒ、キ~~~ヒヒヒッ!」


 奇声のような笑い声を上げ始める。一琉は首筋にナメクジが這うような不快感を覚え、ぞくっとした。


 おい、大丈夫なのか……?


「一琉くん、ありがとね。ここまでで大丈夫だから、外で待ってて」


 むしろ、こいつからこそ守らなくていいのか?


 心配な気にはなった。なったが……一琉は疲労を覚えながら片手を挙げて、小屋に入っていく時江を見送った。ここまでの道程を思い返せば、おそらく、問題ないのだ。一琉は苦々しい気分になった。はっきり言って時江は一人でも平気だった。金をせびろうと纏わりついてくる怪しげな浮浪者を笑顔の中ににらみを利かせてうまく捌き、颯爽と目的地に向かって不自由なく歩いていた。一方で一琉は酔ったような娼婦に絡まれ、時江に恋人のフリをして振り払ってもらったりと、あまり役には立てなかった。やれやれだ。


 しばらく時間ができた一琉は出入り口の前で突っ立ったまま、街の様子を眺めていた。


 商人らしき人が、指を、二、三と立てて、道行く男に何かを交渉していた。成立したのか札と引き換えに、小袋を渡す。どこからかうめき声が聞こえたと思ったら、娼館の裏手から、血みどろになった女性が這いつくばるようにして出てきた。そう思ったら、また引き摺られるようにして、店に戻されていった。それを見て、まひるの状況を思い出した。


(研究所に戻されているんだよな……)


 佐伯から知らされた事実。夜勤幹部に確かに引き渡したはずなのに、一体なぜそうなっているのか。


(生きてはいるようだった。しかしどんな状態で、いるのか……)


 人権という人権が無視された、あの話が作り話でないなら、保護者がそこへ戻すなんてこと、していいはずがない。本人だって拒んだはずだ。身内である委員長にすら、行方は知らされていないという。


 どういうことなんだ?

 何か理由があるのか?

 あるとしたら何だ?

 まひるは納得の上なのか?


 ひどいことをされたというのはまひるの記憶の混乱で、本当は極めて良心的な施設であるという可能性も捨てきれない。


 事実としてわかっているのは、まひるは壊れた太陽光線銃を、確かに直してみせたということ。そしてそれはこの世界において、何を差し置いてでも必要とされる技能であるということ。


 改めて国から協力を求められて、まひるが応じたのだろうか? たとえば、何か条件付きで。

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