『第十六話』
バイトが終わり帰宅すると、玄関に君の靴があった。でなければ礼儀正しい不法侵入者だ。今日はもう遅いので、泊まっていく気なんだろう。部屋をのぞくと、案の定君がいた。
僕の布団に潜り込んで、すやすや寝息を立てている。
忍び足でそっと近づいて、枕元の顔をのぞき込む。無防備によだれなんか垂らしている君の横顔は、月に照らされて綺麗だった。
『ーーーーいいのかよ、それで』
いつかの言葉が蘇る。僕があの校門をくぐった最後の日、呼び止めるために追いかけて来た、たった一人の親友の台詞が。
それが、僕があの二年と半年の中で手にした、唯一のものだった。
暗く曇った空の下で、僕は長谷川に向けて振り返った。
声に出したい想いもあった。言い放ちたい言葉もあった。
いっそ叫んでしまいたかった。
けど、浮かぶ言葉はありきたりで、僕の想いとはほど遠い。
「……いいんだ」 結局、こぼれ出たのは、そんな一言と、一筋の涙だけだった。
そんなやりとりを最後に、僕は、国内随一の進学校を去った。
後悔なんてしていない。多分一生しないだろう。なにせ僕には、今があるから。
ほっぺたに垂れた前髪をなでると、君はくすぐったそうにうめいて、寝返りを打った。
それだけで僕は、幸せだった。




