やさしい世界
これはとても、やさしい世界。
「亡き人の記憶は一年で消える」
これが、この世界の法則。
長く悲しませないため、後追いなんて辛いことをさせないため。
やさしい世界が創り出したやさしい法則。
***
「この世界は残酷だね」
そう呟いたのは病室のベットの上、死に逝く人だった。
「なんで?」
「死ぬ前の人には分かるのだよ」
そういう君は全てを諦めたような瞳をしていた。
外から吹く風にベットの上にいる彼女の髪が揺れる。
髪と共に規則正しく揺れる、赤いリボンの揺れが収まると先程答えてくれた回答とも思えない言葉に対しての返事をする。
「それじゃあ分からないよ」
死ぬ前の人にしか分からないのなら当然僕はまだ分からないだろう。
病気知らずの健康人間なのだから。
……そう、健康人間なのだ。
僕の健康と、君の病気が半分半分ならどんなによかっただろう。
願わくば、君に僕の健康を半分あげる。
その分、君の苦しみを半分分け与えておくれ。
もちろんそんなこと、できるはずもなく。
「心配してるの? ……大丈夫だから」
そう笑う君に油断していた。大丈夫だと。
でも違った。
笑う一方、君の精神状態は限界まできていたんだ。
――――――発作の感覚が狭くなっている、今夜が山だろう。
突然告げられた医師の言葉が重く圧し掛かった。
「だ……なぃ……」
後ろから鼻声が聞こえる。
振り返ろうとしたがそれより先に背中に重いなにかが凭れかかり、その柔らかく悲しい重みを受け入れることしかできなくなった。
「し、に…………たくな、ぃ」
背中に爪が食い込んでくる。
君から流れる涙で背中が濡れてくるのに時間はかからなかった。
命の期限を言われて初めて、君の弱さを見つけた気がしたんだ。
なにもしてあげられない。
痛みを、怖さを共感してあげれない。
ああ、なんて。
傍にいるのに俺は無力なんだ。
結局、その日は無機質な機械音を聞くこととなった。
***
自分の無力を痛感したあの日。
大切な人を失ってから一年という月日がたった。
花を持って小さな丘に立つ。
この丘は、夕方になると綺麗な夕陽が見える絶好スポット。
二人しか知らない穴場。
木の枝で作られた十字架の前に花を置く。
今日は一年忌。
僕が君を覚えていられる最後の日。
「……少し、昔話をしようか」
一年で亡き人との記憶が消えるこの世界では、お墓というものは作られない。
だからこれは、僕が作った形だけの墓。
ここにあいつは眠ってはいないけれど、想いを届けたい。
「まずは小学校の時。その頃から身体弱かったよなぁ……風邪引く度に手紙書いたの覚えてる? 結構な長文だったけどちゃんと読んだ?」
うん、読んでたね。何度も捲った所為でボロボロになった手紙を、君の部屋で見つけたよ。
「喧嘩した時なんか、お互い意地っ張りだからなかなか仲直りとかできなかったよな」
メールで“ホットケーキ”とだけ来た。
急いでホットケーキ買って会いに行った……どんだけ仲直りしたかったんだよって話だよ。
いや、少しでも早く仲直りしたかったのは本当だ。嘘ではない。
「中学校の時。僕バカだから周りの目気にしてあっち行けとか病弱とか、ひどいこと言ったよな。ごめん」
入院したって、長くないって君の母親から聞かされた時は本当後悔した。
なんで、周りの目を気にしてひどいことを言ってしまったのか。
過ぎてしまった、傷付けた過去。
変えられない過去を、悔やんでも悔やみきれなかった。
傍にいるのが当たり前。
そう思っていたから気付けなかったんだ。
当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないと。
失って初めて知ったんだ。
「僕は、君のことさえ忘れてしまうのかな」
忘れるの?
忘れてしまうの?
笑顔も声も。仕草も全て。
左手に持つミサンガは“君との思い出”を込めたもの。
特徴的な赤色。赤いリボンで髪を結っていた姿が目に浮かぶ。
「忘れたくない。嫌だ」
「僕から、記憶を奪わないで」
時計の針が0を指す。
――――――わたしのこと、ちゃんと忘れてね。
眠たくなる意識の最中、そんな声が聞こえた気がした。
ねえ、まだ伝えてないことがあるんだ。
まだもっと。
もう少しでいいから、話そうよ。
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明るい朝日に重たい瞼を開ける。
途端に冷たい風が身体に容赦なく吹きつける。
「さっむ! なんで僕、外で寝てるんだ?」
「ここどこ……こんな場所知らない」
辺りを見回し、ここが住んでる街から少し距離のある場所だと分かった。
起きてすぐ歩く羽目になるとは。
さあ、早く帰って布団でもうひと眠りしよう。
そう思い身体を起こした際、なにかが地面に落ちる。
…………ミサンガ……?
赤を主体としたこのミサンガには小さくT.NとS.Aと器用に縫いこまれている。
T.Nは間違いなく僕のイニシャルだろう。
では、S.Aとは誰だ……?
こんな物もらった覚えも買った覚えもない。
それなのに。
「…………ぁ……」
手に持ったミサンガを手放すことはできなくて。
「あ、れ……なんで…………僕、」
理由も分からず流れる涙が頬を濡らしていった。
想いさえも消えてしまう。
残酷でやさしい世界の法則。