009[繰り返される化蛾]
ショリショリショリショリ、ショリショリショリショリショリ……
雑音交じる近くて遠い場所から、誰かの声が聞こえてくる。
『だってウチなぁ~…そろそろ、女の子が欲しかってんもん
護は、女の子嫌いなん?』
それは囲さんの声だった。
『あの子は良い材料やったと思わへん?』
いったい何の話だろう?
護さんは、囲さんのに返事をしなかったみたいで、
『あぁ~確かに、家で何かしらする時とか、やたらとめっさ、
女子力高い子やったよなぁ~』と、
迎さんが、護さんの事をスルーして、囲さんの言葉にコメントする。
ショリショリショリ、ショリショリショリショリショリショリ……
記憶の片隅に、老女が糸で包み、
年下の友人を連れ去る場面が走馬灯の様に流れて行く。
何もない部屋のキッチン側の片隅、
年下の友人は、繭の中でドロドロに溶かされていた。
その反対の何もない部屋の隅、
長く付き合いと紆余曲折があり、友情を取り戻した年上の友人も、
年下の友人同様、ドロドロに溶かされていた。
ショリショリショリショリショリ、ショリショリショリショリ……
護さんが、桑の葉と蚕の入れ物から助けてくれた記憶が過ぎる。
その途中『帰るで』と、
年下の友人が、誰かに連れ帰られていくのを見た気もする。
ショリショリショリショリショリショリ、ショリショリショリ……
『そやろ、そやろ!ウチな!娘と一緒に料理したり、
一緒にお買い物行って、双子コーデしたりしたいねん』
誰かが、何かを希望を誰かに言っていた。
あぁ~でも、何か…もう、どうでもいいけど……。
ある朝目覚めると、殆どが真っ白になっていた。
何がどうなっているのか知りたくて、部屋にあった鏡台の鏡を見ると、
真っ白な中に目だけは真っ黒で、
其処だけ、何かちょっと、何かを思い出しそうで不安を感じ、
目を閉じ、鏡に背を向けた。
暫く不安になって怖くてベットの中に戻り、
布団の中で丸まっていると、部屋の扉が静かに開いた。
掛け布団と敷布団の隙間から、そちらの様子を窺っていると、
女性らしき人が掛け布団を強引に剥ぎ取り、こちらを見て、
『失敗しちゃったかぁ~、残念やわ』と、呟き出て行く。
何が失敗で残念なのか理解できないが、
何だかとっても胸が痛くて、凄く悲しかった。
どうして良いか分からず、
ベットと壁の隙間に入り込み、掛け布団を掛けて隠れていると、
また、誰かが部屋に入ってくる。
ベットと壁の隙間から様子を窺っていると、少し怖そうなお兄さんが、
『ごめんな、許したってな…
取敢えず、俺んとこおいで、御腹空いてるやろ?御飯食べようや』と、
手を差し伸べて来てくれた。
『護さんだ…』微かな記憶の糸を辿り、
その名前だけを思い出し、口にして相手に抱き着くと、
凄くビックリされたみたいだった。
相手の反応を見て「名前、間違えたのかな?」と、
不安に思い、手を放して下がろうとすると、逆に抱きしめられる。
『間違ってへんよ、大丈夫や、無いと思ってたんが有ったから
ちょっと、驚いただけや』
護さんはそう言ってから『逃げんとってな』と言い。
着用していた上の服を脱ぎ、肩に掛けてくれ、抱き上げて、
綺麗なだけの部屋から、難しそうな本だらけの部屋に連れて行く。
行った先は、護さんの部屋らしく、
そこに有った簡易的なキッチンで簡単な物を作り、食べさせてくれた。
護さんは「護さんの部屋を出ない」「護さん以外の人に姿を見せない」
と、言う約束を守れば、
何にもない自分に、色々なモノをくれ、教えてくれる。
と、言う事みたいだった。
着用する物から、生きるのに必要な食べ物、飲み物に至るまで、
寝床は、護さんのベットの奥側の端っこで、
簡易トイレは、使ったら砂を入れ足すのを忘れてはいけない。
トイレを使ったら、手を洗って布巾で拭く。
御飯を食べる時間を守って、食べる前にも手を洗って布巾で手を拭く。
手が汚れたと思った時も、手を洗って布巾で手を拭く。
それが、この場所で生きていく為のルール。
自分の事は、女の子だから「私」と言えば良いと言う事、
名前は「佳」、呼ばれたら『はい』と、返事をする御約束。
私は護さんから色々貰った。
ある日の事・・・
最初に見た女の人が、護さんが鍵を掛けて出て行った後、
鍵屋と言う人に頼んで、鍵を壊して入ってくる。
女の人は『ケイト』と言う何者かを呼びながら部屋を歩き回り、
『10日過ぎたら死んでまうのに、何処に隠したんやろ?』と言って、
扉を開け放ったまま出て行ってしまった。
その後は、2人の男の人が交互に入ってきて、
一人は「ケイト」と言う何者かを捜し、もう一人は「ケイ」、
もしかしたら、私の事を捜しているのかもしれない様子だったけど、
「部屋を出ない」「護さん以外の人に姿を見せない」は、
私と護さんの間で交わされた大切な御約束。
私は、本棚を攀じ登り、身を隠した本棚の上の段ボールの中、
息を殺して只、只管、扉が閉まるか、護さんが返ってくるのを待った。
扉はずっと開いたまま、エアコンで管理されていた気温は上昇し、
男の人がエアコンを切って出て行ってしまったので、
段ボールの中で、私は汗だくになってしまった。
でも、扉が開いてるから箱の外には出られない。
『扉が閉め終わるまで、出てきたあかんで』って、
護さんが何時も言っていたから、
私は約束を守る為に、暑さも、空腹も、喉の渇きも我慢した。
どのくらいの時間が経過したのだろうか?
何度も気が遠くなり、もう、汗も掻かなくなった頃、
護さんに「佳」と、名前を呼ばれた気がする。
私は返事をしようとしたけども、声は出なくて、
何も出てこないのに、嘔吐感に身を震わせる事になった。
私が苦しんでいると誰かが、段ボールを動かそうとした。
でも、面倒になったのか?段ボールを破いて私を見付けだす。
残念な事に、それは護さんではなかった。
私は気力を振り絞って、差し出された手を拒絶する。
その後ろで扉が開き、慌てた様子で護さんが部屋に入ってきた。
「あぁ、約束守れなかったなぁ~……」
私は目の前の人間が護さんの方を向いているのを見て、
「怪我してもいいや、もう、此処には居られないんだから、
約束は守らなくても良いよね?」と、
逃げる為に、自らの身を本棚の上から落とした。
護さんは凄く怒っていた。
きっと、私が約束を守れなかったからだろう。
だから護さんは、私を白い芋虫の餌にしたのであろう。
私は涙も流せない目で、自分が食べられていく所を眺めた。
ショリショリショリショリ、ショリショリショリショリショリ……
私が白い芋虫に食べられていく中、
私を一目見て『失敗しちゃったかぁ~』と言っていた女の人が、
『逆らったら駄目やよ?護もウチの蚕なんやから』と、
楽し気に笑っていた。