006[戻り縁]
昨日の晩、103号室の旦那さんの方に桑の実を貰うまで、
気付くかなかったのだが、蚕葉町には、桑の木が多い、
生垣になっていたり、庭木になっている事が普通で、
その樹齢も木の幹の太さから、長い様子。
僕はその事が気になって、早朝から活動していて、
ハイツの近くで何時も井戸端会議をしている201号室のお婆さんに、
出掛け途中に話掛け、その事を訊いてみた。
それを僕が聞きかじりで要約すると、
「蚕葉町の「蚕葉」と言う名前の由来は「蚕が食べる葉」。
「蚕葉」は転訛して「食葉」になり、
「桑」の語源となっている。
つまり、蚕葉町は昔、蚕を育てて「養蚕」をする為の、
日本に自生していた山桑の木を集め栽培していた地域だった。」
と、言う事かもしれない。
因みに「かも」と、不確定になってしまった理由は、
いつもより1時間早く起きて、家も1時間早く出た僕が、
長過ぎる話に耐えられず、睡魔に襲われていたからである。
『ソウナンデスカァ~…スゴイデスネェ~……。
あ、だから今も、あちこちに山桑の木が植わってるんですか?』
『ん?あらやだ、おばちゃん言い忘れてたかしら?
生垣になってるのとかは、中国原産の真桑よ!
農家の人が、冬の収入を確保する為に養蚕を自宅でし始めて
植えられているのが現状ね』と言う感じ、
僕は何と無く、訊きたい事は聞けた気がして、
『ずっと、蚕葉町に住んでるんですか?』と、話をすり替える。
自称「おばちゃん」な、201号室のお婆さんは、
その事に気付いた様子はなく笑顔で、
『いえいえ、ここに住み始めて20年くらいなのよ』と言った。
僕にとっては「20年も」であっても、
70代だと言う201号室のお婆さんにとっては、
20年と言う歳月が、そんなに長い期間ではないらしい。
僕は世代間ギャップに少し驚きながら、今日も逃げる様に、
『あ、そろそろ時間が』と時計を見て、
『すいません、遅刻しますんで、そろそろ行きます。』と、
何時もより10分早く、電車1本分よりちょっと早い時間に逃げ出し、
今日は、仕事前に蔟不動産へと寄り道をするつもりで向かう。
蔟不動産に辿り着くと、初めに来た時と同様、
営業時間前なのに、蔟不動産は開いていた。
僕が何時も通り、自動ドアの押しボタンスイッチを押すと、
拭き跡も無く、綺麗に磨かれ、
端々に桑の葉のデザインが磨りガラス風に描かれた、
お洒落な自動ドアが、愛らしいチャイムと共に開いて、
囲さんを呼び寄せてくれる。
『あれ?佳土くん、いらっしゃい!
出勤前やんな?何か家で困ったでもあったん?』と、
囲さんが心配そうに駆け寄ってきてくれる。
僕は、事前にメッセンジャーアプリで「桑の実を持って行く」と、
「連絡しておけばよかったかもしれない」と思いつつ、
『桑の実を沢山頂いたんで持って来たんです。』と、
タッパー詰めの冷えた桑の実を囲さんに手渡した。
囲さんはニコニコ笑い、
『あらあら、桑の実、マルベリーは大好きよ』と、
早々に、タッパーを開けて食べ始める。
僕は、その食べる勢いに、護さんと迎さんと亘、
「3人の分は、残らないかもしれないなぁ~」と思い、
想定内過ぎて緩く笑って『じゃぁ~、僕、仕事に行ってきます。』と、
蔟不動産を出て行こうとする。
すると、『あかん待って、背中に糸が付いてるやん』と、
囲さんに呼び止められ、糸を取って貰う事になる。
僕は『ありがとうございます。』と言って、
糸が何の糸かを確認しないままに、会社へ行く、
囲さんは、満足そうな顔をして、僕を見送ってくれていた。
その日の天気予報は、午後から雨、
僕は営業先から、会社に戻る途中に雨に降られ、
営業先から会社までの距離と、コンビニまでの距離を考え、
営業先から走って会社まで戻った方が「濡れない」と、
判断してしまったのが、僕の「運の尽き」と言うヤツで、
僕は、その道中、見事に大転倒、
会社用の携帯は無事だったが、私物の携帯を大破させてしまう。
そう、スマホ保険に入らず、購入してしまった今回の携帯電話。
ガラパゴス携帯から、モバイル携帯に乗り換え、
アプリの使い勝手から、
Windowsの最新版を積んだスマートフォンに乗り換えて半年の僕、
年間割引サービス半ばでの撃沈に涙する。
『保険に入ってれば、その苦しみは、なかっただろうにな』と、
同僚に肩をやさしくポンポンっと叩かれ、
『年割の違約金と、機種変更費用、頑張れよ』と言われ、
『書類と、会社の携帯を死守してるから、今日はもう…
帰っていいぞ……。その状態では、仕事にならんだろうからな』と、
上司の優しい気使いに『ありがとうございます。』と苦笑いし、
僕は一旦、家に帰って着替えてから、機種交換に出かける。
駅前にある携帯のアンテナショップ、
格安携帯を扱うフランチャイズな代理店ではなく、
駅からも家からも少し離れた場所にある御値段の高い直営店。
但し、値段が高い分だけ、ちょっとした商品の不具合にも、
ちゃんと言えば対処してくれる御店へと足を運んだ。
そこで、前に住んでいたシュアハウスの住人、
僕から彼女を奪った僕の年上な元友人で、元の仕事仲間と再会する。
彼は『桑ちゃん』と前のまま、前と同じ様に僕を親しげに呼び、
『親父さん、亡くなったんだってな……。』と、普通に話掛けて来る。
相手が普通だったし、僕的に、
もう、彼に持って行かれた元彼女の事は、どうでも良かったので、
『生まれて初めて、忌引きってヤツで休んだよ』と、笑う。
彼は緊張していたのか?僕の返答に安堵した様子を見せ、
『話掛けても無視されるんじゃないかって、心配してたんだ』と、
話掛けてきた時とは打って変わり、
『速攻で引っ越して、連絡を絶つんだもんな』と、弱々しく微笑んだ。
僕は不意に、亘に貰った「縁切り神社」と言うアプリの事を思い出し、
『実は不動産屋さんでね』と、
蔟不動産の事と「縁切り神社」と言うアプリの話を話して聞かせる。
彼は興味を持ち『実は俺も、引っ越したいと思っているんだ』と言う。
そこから、僕が切り捨てた過去の話を語られる。
実は、彼と、僕の元彼女とは「大人の関係」を持っていた訳ではなく、
『大学を卒業するまでは、結婚するつもり何て無いのに
「結婚に憧れている」みたいな話をしたら、
話が進んでしまって、困っている』と、僕の元彼女に相談され、
「協力する約束」をしたらしいのだが、
僕の元彼女が、その翌日、
『新しい恋人が出来たから別れて欲しい』と言い出し、
自分が、その「相手として紹介される」とは、思っていなかった。
と、彼は暗い表情で語るのだ。
そう言えば、そんな話の内容のメールやショートメールが、
引っ越した後に、何通か、
あのシュアハウスのメンバー数人から届いていた様な気がする。
僕は、今は携帯が壊れ見れなくなってしまったアプリ、
「縁切り神社」のデータに残されたメールを思い出し、
消えてしまったであろうデータをもっとちゃんと、
「読んでおけばよかったかもしれない」と、少しだけ思う、
そして僕は『シムカードが無事だと良いんだがなぁ~……。』と、
車に轢かれて大破してしまった携帯を眺め。
『新しいスマホになったら一番最初に、僕と連絡先交換しとく?」と、
彼に提案した。
彼、「小林 友保」は、僕が思ってた以上に喜んで、
僕の携帯の手続きが終わるのをずぅ~と、
飼い主の傍を離れない子犬の様に、一緒に待っていた。
馬鹿みたいに長い順番待ちと、面倒な手続きを終えた頃には、
普段、定時の退勤時間になっていて、
店を出て早々、護さんからの電話が入る。
僕が慌てて電話に出ると『電話屋の斜向かいを見ろ』と言われ、
『はすむかい?』僕は関西弁の言葉の意味を少し考え、
携帯屋から、道路を隔てた向こう側の道を眺め、
護さんと、護さんの車を見付けた。
僕が護さんに向かって手を振ると、護さんも振り替えしてくれ、
『横のん友達か?今日、ウチの事務所の子等と家で焼き肉するから
用事なかったら連れといで』と、笑顔で手招きしてくれる。
僕は小林に、そのまま、その事を伝え、
横断歩道を渡って、護さんの元へ2人で行き、笑顔で迎えられ、
『ホント、丁度良よかったわぁ……。人手欲しかってん』と、
車に乗せられ、酒屋の大型な店舗に連れて行かれ、
『じゃんけん負けて、酒の買い出しに出されたけど、
佳土と会えてツキが回復したみたいや』と、護さんは笑い、
金属製の樽入りの生ビール20L入りのをそれぞれ、
一人、2個ずつ運ばされる事になった。
その後は勿論、エレベーターの無い蔟不動産のビルの屋上まで、
僕と小林が、生ビールの詰まった金属製の樽を階段で運ぶ事になる。
のだが、それまでの道中、
僕と小林が巻き込まれた元彼女の暴挙の話で盛り上がり、
護さんも、
『2人共、女見る目ないなぁ~……。俺も人の事言えんけど』と、
ぶっちゃけネタを披露して、完全に打ち解けてしまった。
そんな事もあり、きっと無くても、後々そうなるのであろうが、
僕にとっての「コバさん」は、蔟家ルールに従い、
「蔟家と付き合うと蔟だらけなので名前呼び」と、言う事で、
「友保」で統一される事になり、
僕も例に漏れず、呼び方がそれぞれで違ったら分かりにくいからと、
僕と小林も互いに名前呼びする事を護さんに強要され、
僕と小林は少し照れながら、互いに『友保さん』『佳土』と呼び合い、
『なんか恥ずかしいな』と笑い合う。
その後で、僕が普段仕事をしている時間に携帯屋に行った訳を、
友保さんと誠さんに話さなければイケナイ状況になり、
笑われ、同時に怪我をしていないかを心配され、
書類を守って名誉の負傷をした腕を見せたら、護さんが、
『軽いけど擦り傷出来てるやん、消毒したか?』と訊いてきて
『屋上、上がる前にウチの事務所で消毒な!』と言うと、
友保さんが何かを勘違いしたのか?一瞬、顔を強張らせ、
『事務所って?』と僕に囁き掛けて来て、
『護さんは、弁護士なんだよ』と言うと、凄く驚いていた。
でも、その気持ちは、僕的に少しだけ理解できる。
「護さんって、真剣な顔すると迫力あるからなぁ~」
僕が少し、思い出し笑いをすると、
護さんはその顔で『やらしいなぁ~何笑ってん?』と言った。