004[何時も近くに]
蚕葉町の裏野ハイツに引っ越してから、
元彼女より長い付き合いだった、元彼女の新恋人との仕事を、
『私情で、仕事を台無しにしたくないから』と後輩に譲り。
最低限のノルマである新しい営業先を発掘した上で、
自分が勤めている会社の社長が求めていた、
「電子化した格好良い会議」の実現の為、
亘の会社に書類制作のシステム作りの仕事が行く様に尽力し、
亘の会社も自分の営業先の一つにした上で、契約を成功させる。
なぁ~んて言う、怒涛の様に忙しい仕事の後に、
最寄駅を通る帰り道、蔟家の人達との交流で、
癒しある暮らしを続け、
謎の隣人の、訳の分からない生活音に慣れた頃……。
元彼女との破局の密かな原因であった僕の父親が、
長い闘病生活の末に死んだ。
そして、別に望んでいた訳では無かったが、
病院から会社に、父親の危篤の連絡があった時に偶然、
会社同士の契約の為に来ていた亘と、
亘の御供として来ていた弁護士の護さんに会い、
その御蔭で、忌引きでの休暇が受理され、
僕は、父親の死に目に会う事ができたのである。
父親が亡くなる前の日の夜、
僕は『契約が完了して暇になったから』と言う亘に、
病院には「患者の甥っ子」と言う名目で付き添われ、
僕の父が死んでいく姿を僕の母親の後ろで一緒に見守った。
亘は、僕の事を心配し、仔犬の様な表情で僕を見上げ、
「その場に居る」と言う存在感だけで、
僕の淀んだ気持ちを救い上げ、淀みを解消して透明にしてくれた。
亘の御蔭で、静かに見守る事が出来た、
浮気性だった父の、乱交の末の自業自得の闘病生活の最期。
それを支える生活で、病み続けていた母の妻としての夫への愛、
途絶える事の無い、際限無き滑稽な献身さで母に心底愛され、
幸せ過ぎる死を迎えた父の死を見た僕に、
父への憤りは勿論、父を悼む気持ちも起きなかった。
まぁ~それ以前に、嘗て、父が病に侵される前、
若かりし頃、何度も繰り返し語っていた「見え透いた父の嘘」は、
何時も何度も、僕の心を切り裂いていた。
だから、僕は大人になる前に、父親に対して願い、
願いが叶う様に、神様に願うのを止めていたから、
「既にそう言う心は、擦り切れて無くなっていたのかも?」と、
思わなくもないのだが、
僕は冷静でいられた事を側にいてくれた亘に感謝し、
粗方の用事を済ませ、様子を見に来てくれた護さんの手を借り、
抜け殻になってしまった母親を亘に預けて、
無感情に父親の死後の手続きを行った。
その手続きの中で、護さん経由の囲さんに葬儀屋を紹介して貰い、
今回もまた、必要以上に蔟家に皆さんのお世話になる。
僕の母がやる筈の仕事は、総て僕の肩に大きく圧し掛かり、
僕の手伝いを蔟家の人達に全部して貰ったのだ。
僕の母は、そんな事に気付く事も無く、
通夜を越えても、死んだ父の棺に抱き付き、
火葬場で、までも『夫に愛されたかった。』と、嘆き悲しんでいた。
棺から引き離す苦労もあり、その姿は、実の息子から見ても、
とっても哀れでどうしようもなかったのだが、でも、
「そう言う風に人を愛せる人もいる」のだと、
「そう言う風に、愛されてみたい」と、ちょっとだけ、
母に愛されていた父親が羨ましく思える僕がいる。
「僕の母みたいな人間が他にも居るだろうか?
存在するのなら、そんな人に愛されてみたいかもしれない。」
「愛されたい」と言う希望を両親に向けても無駄だった僕は、
幼き日の事を忘れて、希望を捨てないで、
「将来、僕が好きになる人に対して期待しよう」と思った。
葬式が終わり、新しいスタートを切った筈だった僕は、
幼き日の様に、父を愛し過ぎた母親の目に映る世界に捨てられ、
存在すら忘れ去られ、
僕を自分の夫の代わりにしようとした母に対する絶望の末に、
僕は母親の事を諦める事にした。
幼い頃に描いた「幸せな理想の家族像」は、
「如何、頑張れば、見付けられたのだろうか?」の答えは、
「僕の家には、存在していなかった」と、言う事らしい。
「如何したら、僕の家族の絆を築き直せたのだろうか?」と言う、
問いの答えも、ある筈が無かったのだ、今思えば・・・
「あの頃の僕が、如何しようが、
今の僕が、如何頑張ろうが、無駄な足掻きだったんだ」と、
知る事になった僕は、僕が母親の糧にされた日、
僕の救いの神が『ウチの息子達にも内緒やよ?』と、
人差し指を自らの唇の前に立て、手を差し伸べてくれたので、
その手を取った。
僕の女神様は、僕の耳元で優しく囁く、
『臨床試験ありきの、心療内科クリニック知ってるんやけど……。』
僕は迷う事無く、その提案を受け入れて、
翌日、自分の父親が母に何時も言っていた様に話掛け、
自分の母親に対して優しく微笑み掛ける。
『俺を愛しているのなら、従えるよな?』と、
そして、母親に自らの身を売り渡す契約書にサインさせて、
『良い子にしてたらまた、会ってやるよ』と、
力強く背中を押して、病院の車に乗せて見送った。
其処でやっと、総ての厄が落ちて解放された気がする。
そう言えば、色々あって辛かった筈なのに、
囲さんに救われ、蔟家の皆さんの御蔭で気が紛れてしまい。
蔟家の皆さんと仲良くなった切っ掛け、
僕の一番最初の彼女、元彼女と破局してから、
その彼女が今、何処でどうしているかさえ、分からないし、
知りたいとも思わない状態になっている。
『凄く好きで、僕の手で幸せにしたかったんだけどな』と、
小さく呟きながらも、
現在の僕は、「元彼女と復縁したい」とは思っていない。
「あの頃は若かったな」程度の感傷に浸る程度で、
最近、元彼女との思い出は、鮮やかな綺麗な思い出として、
僕の心を支配し続けている。
僕と元彼女、2人で一緒に描いていた結婚生活の夢、
僕が、僕の父の事をその彼女に話さず黙っていれば、
僕の父親の事が無ければ、叶える事が出来た筈の未来。
因みに、僕の父親の闘病生活、感染していた病の為に、
僕の人生が巻き込まれて、壊れてしまったのを知ったのは、
父親の葬式が終わり、
母親を送りだして数日が過ぎた最近の事だった。
亘がネットで発見した僕の元彼女のブログのバックナンバー。
其処に書き残された僕と元彼女が破局した本当の理由は、
元彼女と、その彼女の両親が、僕の父親の病が何なのかを知り、
「僕の父親の病をうつされる事を懼れて」との事だった。
『もし、そう言う感染が起きるのならもう、既に遅いっての』
身軽になった僕は、
亘に教えて貰った元彼女のブログを肴に酒を飲みながら、
自宅にあるPCの画面の前で静かに笑う。
元彼女からの別れの言葉は、ありふれた理由で、
『新しい恋人が出来たから別れて欲しい』と、言う事だった。
破局の原因が、
「僕の父が感染していた病気の所為」だと言わなかったのは、
元彼女の優しさだったのであろうか?
僕は、隣人宅からの足音を自然のBGMに、
僕の思考を、一瞬だけ過去に戻らせる。
元彼女の両親に「ちゃんと挨拶をする」と、
その彼女に約束をした日。
僕の父親の患っている病気の事をその彼女に語る前まで、
『どんな事があったとしても、この気持ちは変わらない』と、
何度も何度も、彼女が求めるだけ誓わされ、その彼女も誓い、
2人で誓い合い。
『死ぬまで、一緒に居よう』と微笑み合っていた筈なのに、
現実問題、先に強く求めた彼女の方が裏切ってくれたのだ。
夢の中で何処かをゆっくり歩き回りながら
『彼女に愛され続けていたかった』と、悲嘆する僕。
其処に、夫を亡くした僕の母の面影が重なった。
現実では、僕はそんな風に嘆く事はしなかったけど、
夢の中の僕が僕の代わりに嘆いてくれているから、
こんな僕でさえ、こんなにも「人を愛せた」と、
こんなにも「人を愛せる」のだと言う証明になった気がする。
何故だか分からないけど、僕は壁沿いを歩きまわりながら
何処かで何かが救われた様な気がしていた。
其処で僕は、不意に考える。
もしも、僕の父親が死んだ今、母親との縁を切り捨てた現在、
冗談ででも、今の僕が、
『今も、あの頃と同じままに君を愛している』と、
元彼女に言ったとしたらどうなるのだろう?
元彼女は、その言葉に飛び付いて来るのであろうか?
『でも、もしそんなので受け入れられたなら、嫌だな……。
僕の方が、そんな女は受け入れられないよ』
僕は独り言を言っていた。
そんな軽い元彼女との未来は無いだろうし、無かったであろう。
そもそも、今はもう、
「僕を捨てた相手を再び愛せる何て事は、僕には無理だ」でも、
『彼女が嘘吐いて、
「そんな理由で終りにしたいって思った訳じゃない」とか言って、
断られたり、振られたり方が僕的に、
良い思い出として、元彼女の事を好きでいられるんだろうな』と、
理想主義で支離滅裂な部分があるのだが、そう言うのを望んでいた。
『何かなぁ~…何だかなぁ~……。恋したい。』と僕は呟き、
「人を愛せる気持ちを持ったまま、次の恋を探しに行こう」と、
夢の中で、僕はそう思った。
「次に愛する人との未来を描いてみたい……。」と、
願った所で目が覚めた。
残念な御話、何処から何処までが夢なのか分からないし、
僕はベットでは無く、椅子に座って眠っていたらしい。
そして、僕はソファーから立ち上がり、
一見では、目に見えない程に細い糸が僕の顔に触れるので、
溜息を吐き、今日も何時もの様に糸をそっと振り払う。
その糸を出す虫の正体は、今も未確認だが、
取敢えず我が家には、壁に糸を張る虫が住み着いているらしい。
朝起きると、部屋の中に糸が張り巡らされている事が多々ある。
僕はメッセンジャーアプリを起動し、
囲さんに向けて「今日も糸を張ってますよw」と打ち込んだ。
すると直ぐに既読になり、
囲さんから「置いとったてな!」と返信があった。
囲さんは「虫の出す糸が大好き」なのだと言う。
以前、壁に糸が張っているのを見つけ、
「今度の休みにでも、蜘蛛用の殺虫剤の購入を検討している」と、
蔟家の屋上で、ビールを飲みながら迎さんと話していたら、
囲さんが『なにそれ!蜘蛛の巣でも張ってるの?』と話に参加し、
家まで来て見て、大騒ぎして、
『めっさ綺麗な糸やん!ウチこれ欲しいわ!採取させたって!』と、
滅茶苦茶高いテンションで言い出し、最近では・・・
合鍵で自由に僕の家に入り、
糸の採取序に、掃除と洗濯をする無償の家政婦さんを担っている。